今回のマラソンの目標は自己ベストの3時間20分を切ること。10km地点は41分で通過。僕の実力からすれば早すぎるが、気分が高揚しているからか、あまり苦しくない。折り返し地点は1時間33分、好調が続いている。こりゃ、もしかして、このまま走れれば、3時間を切れるかもしれない。「栄光のサブスリーランナー」の夢がよぎった。

 だけど、前半飛ばしすぎたのがたたったのか、あるいは折り返し地点から続く向かい風のせいか、脚が思うように進まない。35kmを超えると脚全体が痛んでくる。ちょっとしたアスファルトの段差が膝に強く響く。だけど痛みをこらえ、頑張る。ゴールには由美ちゃん(当時彼女、現在妻)が待っているから。ゴールがやっと見えてきた。だが手元の時計を見ると、頑張らないとまた20分台になりそうだ。脚が思うように上がらないので、腕を思い切り強く振ってスピードをつける。ゴール地点に由美ちゃんが見えてきた。なんとか気力で3時間20分をぎりぎり切ってゴール。これが27歳の平成57年の44日の中日福井マラソンのこと。丹波篠山ABCマラソンでは何度も3時間20分台で走っていたが、初めて陸連に登録して公認の自己記録を作った。

 20170222_1.pngあれから35年。その後も何度かフルマラソンに挑戦したが、30歳を過ぎてからは、いつものことだが、左ひざが数kmから15km以内で確実に痛んで、それ以降はびっこを引きながら歩くしかなかった。去年の熊本マラソンも参加したが、数kmで膝が痛むのがわかっていたから、最初から歩いた。ただし関門は確か7時間までだから6時間で走れるようずっと時速7kmの速度を保ち、6時間で「完歩」した。今までのかかと着地だとすぐに左ひざが痛むので、今年からはつま先着地になるようにフォームを変え、コナミのジムのランニングマシーンでしっかりと走りこんだ。土日は2030km走ったが、つま先着地でマシーンだと膝が全く痛くならない。うまくいけば4時間ちょっとで完走できたはずだが、膝が痛めば競歩に切り替えるしかない。案の定、本番では13km地点で両ひざが痛み始めた。でも競歩に切り替えると全く痛みが出てこない。熊本マラソンでは沿道の声援がうれしい。広島出身の僕は去年は赤、今年は白のカープのユニフォームで走ったから途中何度も「カープがんばれ!」の声援をたくさんいただいた。去年も今年も36km地点では「母ちゃん(33年間連れ添っている由美子さん)」が待っていてくれる。39km地点を超えてから、歩くことをやめ、両ひざの痛みをこらえて、走り始めた。熊本マラソンのラスト1kmは急な上り坂。僕のタイムでは周りはほとんど歩いていたから、最後はおとなげない走りで、ほとんどごぼう抜き。「膝が痛くなかったら・・・・」。でも、「たら、れば」を言ったらきりがない。それでも去年より30分速い5時時間30分台でゴールできた。

  20170222_2.jpgゴールすると、そこは二の丸公園。熊本城の本丸・二の丸が視界に入ってくる。去年の参加賞のTシャツには立派な熊本城が描かれていたが、去年までの勇壮な姿と違って、眼下に映る熊本城は瓦がほとんどなく、屋根には野草が茂ってどこか痛々しい。確かに、本丸は見た目はいつもと違うが、それでもしっかりと立っている。今年のTシャツには「Start! Kumamoto」と書かれている。これから出発なのだ。

【熊本マラソン後の本丸と二の丸(219日平田撮影)】


 
この二の丸公園で今年の723日(日曜日)の早朝には日本安全性学会のみんなと一緒に早朝ランニングする予定だ。2年後には、再び立派な本丸に戻っているはずだが、この痛々しい姿の熊本城は、なぜか人生を感じさせてくれる。無機的ではなく、生きているような感覚を味あわせてくれる。このような傷ついた本丸の姿を拝めることは2年たてば二度とない。荒城となった熊本城、それでもしっかりと立ち続けている本丸を見ながら、7月には、みんなで一緒に風を感じながら走りましょう!

 

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プロフィール

平田純生
平田 純生
Hirata Sumio

趣味は嫁との旅行(都市よりも自然)、映画(泣けるドラマ)、マラソン 、サウナ、ギター
音楽鑑賞(ビートルズ、サイモンとガーファンクル、ジャンゴ・ラインハルト、風、かぐや姫、ナターシャセブン、沢田聖子)
プロ野球観戦(家族みんな広島カープ)。
それと腎臓と薬に夢中です(趣味だと思えば何も辛くなくなります)

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