2024年3月

モーリシャスを看護師Annと廻る~人命救助に関わった~

 インド人看護師のAnn(写真8)と知り合ったのは僕が「糖尿病の食事と血糖管理」の講演後のことでした。「内容は素晴らしいのに、なんで日本語だけなの?ピースボートの英語通訳をつけたらいいのに」と言って話しかけてくれました。その後、Annは日本語通訳をつけて英語で講演をしたのですが、いくら英語の堪能な通訳でも「ヘモグロビンA1c」とか「血清クレアチニン」「インスリン抵抗性」などの語句は分からないので、おかしな翻訳になっていました。そこで僕が代わりに通訳をしたのです。彼女はインド人なので、インド訛りの英語は僕は得意ではないし、僕は英語新聞も小説も読めないし映画も字幕がないとほとんどわかりませんが、医学用語に関しては国際学会などで腎臓病や糖尿病の英語講演でもほぼ100%分かるので、問題なく翻訳することができ、親交が深まり、一緒に食事もするようになりました。

 聞くところによると彼女は西ドイツで看護学を学び(これだけで年齢がだいたい予測できますね)、その後、カナダで心理学の学士号を取得し、そのままトロントに住んでいるそうです。彼女はモーリシャスに行くにあたって、僕に一緒に行かないかと誘ってくれました。なぜかというとモーリシャスにはインド人がとても多く、現地の人と間違えられるのが嫌だから日本人のスミオと行きたいんだということでした。もちろん僕の妻も一緒に3人で行く予定でしたが、突然の下痢・嘔吐で行けなくなったので、他の日本人4人とともに滝、7色の砂、ビーチ、ポートルイスのショッピングモールに行くことになり、6人なので1人20USドルという格安で7人乗りのトヨタのタクシーに乗りました。モーリシャスのビーチはとてもきれいな海でしたが、魚は全く見えず、69歳にしてスノーケリングではなく、ただの海水浴だけをすることになるとは・・・・。ああ~、疲れました。

 ショッピングモールでタクシーを降りて、1人20ドルずつ集めていた時に、運転手が何かに気づき、海岸に走っていきました。そこでは誰かが溺れていたらしく、男の人たち数人で引き上げているところでした。この時のAnnの行動は素早く、横向きに寝かせて背中をたたくと(図1)、救助された男性の口や鼻からおびただしい量の海水が出てきました。そして仲間のバスタオルを借りて枕にして、「Call the ambulance!」と、群がる人たちに救急車を呼ぶように指示。僕は溺れた人の救助法は知らなかったのでAnnの指示に従い、頸動脈、手首で脈診があるのを確認、呼吸も正常でしたが10分経っても口や鼻から海水が出てきており、大声で耳元で「Are you OK?」と繰り返しましたが意識はなさそうです。救急車がかなり遅れて到着すると救命救急隊員がSpO2を測るためにパルスオキシメータをなんと親指に装着。「何やってんだ」と人差し指に付け替えるとSpO2は98%と出て、Annと「よかった。大丈夫だ。」と笑顔になり、あとは救急隊員に任せました。後で聞くところによると海水に転落した人は海上の警備員で、海に落ちないようにつないである鎖(写真9)に腰掛けようとして、後ろ向きに海に転落したのだそうです。

 モーリシャスは17世紀に絶滅した飛べない鳥「ドードー」がいた島として有名です。ドードーの祖先はアフリカ大陸やマダガスカルから飛んできたらしいのですが、この島には天敵がいなかったので、どんどん大型化して飛べなくなってしまったのだそうです。大きさは七面鳥ぐらいで、体重が25キロもあったらしいです。ヒトが絶滅に関与した鳥として有名なニュージーランドに生息していた飛べない大型鳥ジャイアントモアは、最大で約3.6m、体重は250㎏ほどあったとされていますが16世紀か19世紀にマオリ族による乱獲によって絶滅したと言われます(図2)。モーリシャスはマダガスカルから近いのに、アフリカでは有数の豊かな国で、治安もよかったです。それに急角度の勾配の山が多く、トレッキングを楽しむにはとてもいいところですが(写真10)、滞在時間が短く、十分な時間が取れなかったのがとても残念でした。

 

インド洋を東に行き、マレーシア、シンガポール、深圳から日本に

 モーリシャスのポートルイスを出るとインド洋を通ってマレーシアのペナン、シンガポール、中国の深圳に寄港しますが、これらは乗客が降りるための寄港と考えてもいいでしょう。だってこれらの中国系の乗客の方々は500人以上はいますので。

 神戸から出発してこれまでの期間、僕は「平田の健康長寿塾(写真11)」と「ギター弾き語り‘70(写真12)」をそれぞれ、10回以上開催し、どちらも好評を得ました。ギター弾き語りをやる日本人はかなり多いのですが、塚本さんとぼくの特徴は英語の持ち歌が多いので、Simon & Garfunkel SpecialやThe Beatles SpecialやEnglish songs Specialなどで1時間のライブで約20曲を演奏し、これらはシンガポール、マレーシア、香港の英語を話す中国系の方々に大好評でした。The Beatlesに関しては30曲以上のレパートリーがありますので、リクエストに応えることもできるようになりました。僕はギターも歌も自信がなかったのですが、偶然、高音部・低音部で覚えている曲はうまくハモれることもあり、リードギターを弾きながら、渋い声で歌う師匠の塚本さんとやっていると、僕もギターや唄がうまくみえるらしく、「今日のライブ、よかったですよ」と声をかけてくれる人たちがいてくれて、うれしくなりました。

 ということで106日間の長い世界一周の旅が3月28日の神戸で終えることになります(図3)。この間に論文をメールを介して4本書きましたし、3月31日には早速、横浜での薬学会で企業セミナーで「透析導入を防ぐための薬剤師の役割」についての講演です。帰国したらスイッチを音楽から薬剤師に戻して頑張ります。でもギターも続けようと思います。また六甲山に登りたいし、神戸の街を2~3時間かけてゆっくり走りたいです。

 

 

船内で完成させた論文

◆ 平田純生: 腎疾患におけるTDM. 臨床検査2024年4月増大号「AKI・CKDの診断・治療に臨床検査を活かせ」2024 

◆ 平田純生: 7.便秘症. 月刊薬局 ストップCKD「腎臓を守る包括的な視点」月刊薬局2024年4月号

◆ 平田純生: 腎障害患者へのNSAIDs,アセトアミノフェンの考え方. 月間薬事「“何となく”では終わらせない 病棟で出合う疼痛への薬物療法」月間薬事2024年6月号

◆ 平田純生: CKD患者の鎮痛療法の新時代. 扶桑薬品BP.up-to-date新連載「透析導入を防ぐための薬物療法について考える」全12回の第1回. 2024年6月掲載予定

 

 

サファリを楽しんだポートエリザベス

 ケープタウンを出港して翌々日の2月28, 29日の2日間はポートエリザベスに寄港です。港には何千台もの新車が欧州への輸出を待っていました。聞くところによるとポートエリザベスではフォード、フォルクスワーゲン、いすず、トヨタが車を生産しているとのことでした。ここは2日間の停泊のため、広大なワイルドサファリでアフリカの様々な動物をたくさん、自然のまま見ることができます。2日目は前もってアッドエレファント国立公園に行くことに決めていますので、初日はポートエリザベス港を出ると観光ガイドでいいツアーを捜して、価格を聞いて、どこに行くかを決めます。結局、妻が大の動物好きなので、1人8000円の観光タクシーに乗って日本のサファリパークをより本格化したようなKragga Kamma Game Parkと街巡りのツアーに行きました。シマウマ、アフリカンバッファロー、白サイ、キリン、ダチョウ、スプリングホック、イボイノシシ(ライオンキングのプンバァ)、インパラなどを野生の姿を、そのままで見ることができました(写真1)。スプリングホックは南アフリカの国の動物に指定されていて強豪ラグビーチームの名前に使われているそうです。あまり強そうではないですね・・・・。アフリカでは草食動物:肉食動物の数の比は1000:1だそうで、ここにもライオンやチータがいるのですが、昼間はブッシュの中で寝ていて見れませんでした。ちなみに肉食動物は檻に囲まれていて、エサを与えられているので全くの自然な形では遭遇できません。ライオンは3頭いるらしいのですがウクライナから運ばれてきたとかで、戦争のために動物園どころではないのでしょうね。

 2日目は前もってネット予約した半日アッド エレファント国立公園サファリのツアーです。ここは国立公園というだけあって広大で本格的ですし、もともと象の保護区なので、昨日見れなかったアフリカ像はたくさん見ることができました。この日は暑かったので、象は水ベに集まって、水を飲んだり、水を身体に浴びて涼んでいました(写真2)。像の数は大変多く、車を止めて、社内から観察するのですが、像が移動するときに車に近寄ってくることがあります。怖くて思わず悲鳴を挙げそうになるのですが、運転手から「危ないから声を出さないで!」と叱られます。 牙のあるオスのアフリカゾウはとても凶暴なので、車に近づいても決して声を出してはいけないのです(写真3)。“”ビッグファイブ“”と呼ばれる大型動物とはライオン、アフリカンバッファロー、サイ、ゾウ、ヒョウですが、ライオンやヒョウは木陰で隠れて寝ているのでここでも見れませんでした。1時間ちょっとかけて街に帰りつく前に見た広大な大地にはすべてトタン作りのスラムがありました(ただし後述のマダガスカルと異なるのは電気が通っており、パラボラアンテナがついていたことです)。運転手が自嘲気味に「All black, no money」と言っていましたが、アパルトヘイトが終わり、アフリカでは裕福な国の方だと思っていたこの国でも、まだまだ黒人の方々の暮らしはとても貧しいことに気づかされました。そしてその近くには同じく広大な墓地がありましたが、COVID-19による死者のお墓なのだそうです。ケープタウンで見た裕福できれいな街並みとは大違いでした。ポートエリザベスでもネルソン・マンデラさんの人気は高く、ゆかりの建造物が多くありました(写真4)。ここのお土産としてはルイボスティーが有名ですが、ピノタージュという赤ワインは日本に入ってこないので貴重だそうです。

 

バオバブの木のあるマダガスカル、だけど極貧の世界を目の当たりにした

 ピースボートはいよいよインド洋に入り、強風と強い波の中を揺れながら走り、3月5日、6日の2日間、世界で4番目に大きい島、マダガスカル島のトゥリアラ沖に投錨しましたが、遠浅のため停泊できません。イースター島の時と同様、2日間に分けて1回100人足らずに分かれてテンダーボートに乗って上陸することになります。ここで今までになかった光景に出くわしました。マダガスカルの人々が小さなボートや帆掛け船など、決して立派ではない小さな船でクルーズ船に近寄ってくるのです(写真5)。何のために来たのかというと、食べ物や船室のアメニティの石鹸、使い古しの衣服などをせがみに来たのです。

 マダガスカルはサン・テクジュペリの書いた「星の王子様」に登場するバオバブの木が有名ですが、それを見るために上陸すると、藁やトタンでできた、おそらく電機も水道もない非常に貧しい家がほとんどでした(写真6)。世界でも最貧国の1つ、物乞いも多いですし、15歳以下の子供の人口が48%を占めており、広大な平野があるのに、畑ではなく荒れ地になっています。サトウキビやフルーツ、コーヒーなどの農園や酪農になんで使わないのでしょう?この国に大事なのは子供たちの教育なのかもしれませんが、マダガスカルは、国民の約79%が1日1.9ドル以下で生活しているという極貧状態にあり、慢性栄養失調率が世界で4番目に高く、5歳未満の子供の40%が発育障害に苦しんでいるそうです。バオバブの木を見ることはできましたが(写真7)、主要な港なのに全く華やかさのないトゥリアラの貧しさが心に残りました。いろいろと考えさせられた2日間でした。

 

 8日間かけて大西洋を通って2月24日にはアフリカ大陸の砂漠の国ナミビアのウォルビスベイに到着しました。この港はアフリカの内陸国のジンバブエやボツアナの輸出入港としても重要なのだそうです。ここのナミブ砂漠は世界最古の砂漠らしいのです。サハラ砂漠はもっともっと新しくできた砂漠なのです。ここでは英語学習を兼ねて現地の人たちとコミュニケーションをする課題付きのオプショナルツアーに参加しました。ピースボートのスペイン語・英語の講師のAliとドライバー兼ガイドのHennyと、みんながジープと呼んでいる4WD(すべてトヨタか日産でサンドバギーとして使うにはタフな日本車がいいのだそうです)に分乗して出発です(写真1、2)。

 

 まるで他の惑星に来たみたいな荒涼とした大地Moon landscapeを車で約1時間走ったのですが、この場所はSF映画で火星や月のシーンを撮るためによく使われるそうです(写真3)。砂漠でカメラやスマホに少しでも砂が入ると故障の原因になるので、特に砂丘ではジップロックに入れたまま撮影しました。その後、ナミブ砂漠の大砂丘デューン7砂丘に行き、1000年以上の生きる不思議な植物ウェルウィッチア(和名はなんと奇想天外というそうです)を観察しましたが、ただの普通の植物にしか見えないので、写真は割愛します。ここでは水晶やアメジスト(紫水晶)がいろんなところで見つかります。大理石やグラナイト(御影石)も豊富で輸出していますし、磁石を砂の中に入れればたくさんの砂鉄が付いてきます。聞くところによるとナミブ砂漠の赤色は鉄を含んでいるかららしいのです。ほかにもナミビアではウラニウム、ダイヤモンド、金、亜鉛、リチウムが豊富で輸出しているらしいのですが、なんでUAEのような裕福な国になれないのでしょう?ナミビアは決して豊かな国ではありません。

 砂漠だからもちろん雨は少ないので、塩を海水から作っています。日本でも数十年前までは香川県などに塩田がありましたが、非常に安価に塩を作れるので、広大な塩田と製塩工場がありました(写真4)。海には現地の人たちがラグーンと呼ぶ干潟があり、多数のフラミンゴが生息しており、夕焼けをバックに写真を撮ることができました(写真5)。

 

 2月27日には南アフリカ有数の都市、ケープタウンに午前6時に寄港する予定でしたが、ケープタウンの港は風速25m以上の強風のため、寄港許可が12時になってもなかなか下りないのです。オプショナルツアーも中止になったり、返金したりで大混雑する中、ようやく上陸許可が下りたのが午後2時。帰船リミットは午後7時なので、降りてすぐに観光会社を捜して英語で交渉開始です。こういう時の旅行会社ではぼったくりはないのですが、これまでに交渉制のタクシーやお土産屋のぼったくりはよ~くありましたが、値切れば半額どころか1/4以下価格になりました。このツアーは1人1800ランドだったのが6人集めて、1人1200ランド(9600円)にディスカウントしてもらいました。時間は4時間しかないので、ケープペンギンのいるペンギンコロニーやテーブルマウンテンに行く契約で出発です。英語のできる人がいない場合は僕はいつも助手席に乗って、通訳係を受けもつことになります(写真6)。

 まずは1時間かけてボルダーズビーチに自然に生息するアフリカペンギン(通称ケープペンギン)を観察です(写真7)。

港での情報の通り、強風で細かい砂が顔にあたって痛かったです。裸眼だと目の中に砂が入ってしまうので、眼鏡をしていてよかったと思いました。帰りは事故車のための大渋滞(これは日本でもよくありますね)で、事故現場をすぎればスムーズに動きましたが、ドライバーのOmarの情報によるとテーブルマウンテンに登るケーブルカーは強風のためストップしているとのことなので、市庁舎に向かいました。通常は市庁舎のような建築物には興味がない僕ですが、ここでは若くしてアパルトヘイト運動に身を投じて、黒人の公民権を得るために戦い、国家反逆罪で終身刑となって27年間も刑務所に入れられ、釈放されてすぐにアパルトヘイト撤廃に尽力し1994年に南アフリカ初の全人種参加した普通選挙で勝利して大統領になったネルソン・マンデラさんが市庁舎前の公園にいる10万人の支持者の前で演説する等身大の像を見ることができました(写真8)。南アフリカでは今でもマンデラ元大統領は国民だれからも愛されているのです。残念ながらテーブルマウンテンに登ることはできませんでしたが、やはりテーブルのようなまっ平らな山ですね(写真9)。帰途はカラフルな街並みがみえましたが(写真10)、ここはかつては白人の居住区で、今では多人種が住んでいますが、裕福な人たちが住む地区です。

 

 

プロフィール

平田純生
平田 純生
Hirata Sumio

趣味は嫁との旅行(都市よりも自然)、映画(泣けるドラマ)、マラソン 、サウナ、ギター
音楽鑑賞(ビートルズ、サイモンとガーファンクル、ジャンゴ・ラインハルト、風、かぐや姫、ナターシャセブン、沢田聖子)
プロ野球観戦(家族みんな広島カープ)。
それと腎臓と薬に夢中です(趣味だと思えば何も辛くなくなります)

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