腎の構造と機能から学ぶCKDの病態
24日目 サイアザイド系利尿薬再び
話をサイアザイドに戻そう。
サイアザイド系利尿薬のタンパク結合率はフロセミドほどは高くないが、おそらく尿中排泄性薬物で、効果を発揮するには腎尿細管の内腔に到達しなければならない。この過程は近位尿細管の有機アニオントランスポータによって媒介される。したがって、腎機能が低下している場合には、より多くの利尿薬を尿中に排出するために投与量を増やさなければならない。腎不全患者では効果が乏しくなるのであまり使われない。 この続きは登録ユーザーのみ閲覧できます
腎の構造と機能から学ぶCKDの病態
23日目 利尿薬について誤解していない?
利尿薬への誤解~利尿作用は1~2週程度しか続かない?~
ナトリウム利尿薬について解説したい。すべて尿細管に作用して尿量を増やす薬だ。15日目、16日目にMRA、19日目に水利尿薬トルバプタン、21日目にARNIについて解説したので、今回は肝腎のサイアザイド系利尿薬・ループ利尿薬の本流の利尿薬について解説しよう。大まかにすべての種類の利尿薬の尿細管での作用部位について簡潔にまとめると図1のようになる。 この続きは登録ユーザーのみ閲覧できます
マラソンは長い。僕らの年齢では4時間以上、ずっと心拍数160で走り続ける過酷なレースだ。そして30kmを超えると脚と足の全ての関節が痛む。だけどどんなに長くてもゴールはあるし、走り続ければそのゴールに近づく。そして長かった分、感じることのできる完走後の達成感。このために僕は数か月間、休むことなく走り続けたんだよ。土日は必ず20-30kmのLSD(これは幻覚剤じゃなくってLong, Slow, Distanceの略でゆっくり長距離を走るスタミナ練習、僕はこの時間を無駄にしたくはないので走りながらイヤホンで英会話や医学・薬学英単語を繰り返して聞いている)をやったんだよ。坂道ダッシュやペース走も、こんな年で無理してやったんだよ。食べたいものは我慢して炭水化物制限ダイエットを2か月近く続けてレースのために体重を5kgも落としたんだよ。だけど順位なんてどうでもいい。「やり遂げた」という気持ちを味わいたいから。この年になってもこのきついフルマラソンを完走できたんだということを心の支えにしたい。これは普段の生活や仕事にも当てはまる。嫌だけどやらなきゃいけないことが目の前にたくさんある。それから逃げるんじゃなく、工夫してうまく向き合い、何とか超えてゆくんだ。同じじゃないかな、スポーツも仕事も。レースの結果が悪くってもいい。苦しい練習を積んだんだというプロセスを大切にしたい。今回の結果がよくなくても今後の自分の成長にきっと役立つから。
きつい練習だけど、外に出るといつも神戸の穏やかな海が見え、振り向けば六甲山が見える。日本全国、旅をしながら旅先の景色を見ながらのランニングもとても気持ちいいし、その後のお風呂やサウナは最高だ。膝が治って69歳になってもなお、健康で走れるという喜びは何にも代えがたい。「目指せ大阪マラソン市民アスリート(1,500人)」という枠が大阪マラソンにはあって40歳未満の若い人はサブスリー、60歳代は3時間50分以内、そして70歳以上では4時間30分以内で走れば先着順で抽選しなくても走れるらしい。これを目指したい。だから70歳になってもマラソンはやめられないね。
学会に参加するといつも熊本のランニング仲間が声をかけてくれる。「日曜日の朝6時集合で走りましょ」。今年も10月の日腎薬名古屋大会では名古屋城まで仲間と走り、11月の医療薬学会仙台大会では青葉城まで仲間と走って朝焼けを見た。職場にはI&Hランナーズというランニングクラブがあって、定期的に長居公園や淀川河川敷での駅伝やリレーマラソンに参加する。距離は3-5kmなので、いつもよりハイペースの5分/kmと僕にとってはかなりのハイペースなので死にそうなきつさ。でも走った後には居酒屋でビールで乾杯!あ~、もう、最高!生きててよかった。
ということで2023年11月19日の神戸マラソンは60歳代で4時間25分19秒(平均ペース6分12秒/km)でした(写真)。去年の神戸マラソンより22分速く、9月の網走オホーツクマラソンよりも10分速く走れました。いつもは65kgある体重を59kgに絞ったのでやつれて見えますが、中身は元気です。
6分/kmで走り続ければ4時間13分、5分40秒/kmで走れば4時間の壁を超えられる。70歳で4時間の壁を超えられれば、本当にすごいと思う。
あれは小学校の3年か4年の時だった。体育の時間に50m走の初めてのタイムを取った。僕は足が遅く、運動神経もとても鈍いので嫌だったけど、全員、1人ずつタイムを取った。結果は11秒で、女子で一番遅い子と同じタイムだったので、恥ずかしくて死にそうだった。すごく嫌な思い出だったし、小学校からや高校になるまで運動会やクラスマッチなどが大嫌いだった。できることなら学校を休みたかったが、そんなことのできる時代ではなかった。中学の3年間、僕は宮原1丁目に住んでいたので、中学のある13丁目まで歩いていかねばならず、重い革のカバンを持って、よれよれになりながら通学していたことを思いだす。高校の3年間は人前で話をすることが全くできない、女子と話をすることなんて全くない暗い学生時代を送っていた。
でも中学時代の遠距離通学がよかったのか、中距離や長距離は早くはなかったが人並みに走ることができるようになった。
運動神経が極めて鈍い僕が人並みにできるスポーツなんてないと思ってたけど、人並みに走れたのがただひとつ長距離走だったから、薬剤師になってから白鷺病院の仲間と、マラソンに参加するようになった。初めてのマラソンは4時間くらいかかり歩きもしたけど、フルマラソンは練習を積むと3時間20分台ではいつでも走れるようになった。28歳の時には3時間20分を切ることができた(写真)。目指すはサブスリー、3時間切りだったけれど、左ひざの故障、股関節(今から思うと大殿筋痛)の故障で走れなくなった。もうそろそろいいだろうと30歳代、40歳代とフルマラソンにエントリーしたが膝が痛くてリタイアするか、最後まで歩くと6時間以上かかった。もう一生、フルは走れないんだなと思った。2012年、熊本市が政令指定都市になったのを記念して僕が59歳、熊本大学教授の時に第1回熊本城マラソンが開催された。「走ってみたい・・・・。」でも左膝は数km走っただけで、痛む。熊本城マラソンの制限時間は7時間だ。時速7kmで歩けば6時間でゴールできる。来る日も来る日も時速7kmの早歩きの練習をした。そして2016年2月、61歳の時、6時間2分で完走ではなく完歩した。この時から毎年熊本城マラソンに毎年参加、膝が痛くなるまではゆっくり走り、痛くなったら歩くというスタイルで徐々にタイムがよくなり順位も60歳代では平均より上になってきた。そして2020年、コロナ禍の直前の2月、豪雨の中、靴が水浸しになって豆がつぶれそうになったため、妻に30km地点に靴を持って来てもらい履き替えたロスがあった。熊本城の最後の坂はいつものように心が折れて歩いしまったが、5時間16分でゴール。
2020年3月に神戸に引っ越してから、通っているジムで、フルを2時間30分以内で走るランナーのKさんにパーソナルトレーナーをお願いした。教わることはとても貴重なものばかりだった。まずはフォームの矯正をしていただいた。
①猫背にならないよう
②1秒間3歩のピッチで
③足趾で地面をつかむイメージで
④脚を高く上げるとストライドが伸びる
⑤腕を強く振る(というより強く引く感じ)
⑥顎を引く
⑦レースの時は塩熱サプリを摂る
これによって7分/km でもひーひー言ってたのが、不思議と6分/kmより速く走っても全然きつくない、おそらく省エネ走法が身に着いたのだと思う。そして68歳での神戸マラソンでは全く歩くことなく4時間42分でゴール。マラソンはいかにエネルギーをロスしないよう、少しずつアウトプットしていくのが大事。だからランナーズハイになって気持ちよくなる5-10kmでのスピードの出しすぎに気を付けた。そして最初はゆっくり6分40秒/kmでそれ以上早くならないよう我慢、そして25から30kmから意識的にパワーアップして、40km以降は腕の振りでスピードダウンを防いで最後までほぼイーブンペースで走った。
でも翌年2月の大阪マラソンはたっぷり練習を積んで絶好調だったが、頑張りすぎて左ふくらはぎの肉離れが起こり、無念のリタイア。僕は左脚が右脚に比べて明らかに筋肉量が少ないし、体幹が弱いのですぐに転びそうになる。体幹を鍛えるにはトレッキングがいいと聞いて、芦屋川から六甲山山頂を通る有馬までの11kmのコースを何度も登った。そしてKトレーナーから太ももだけではなく背筋、腹筋、上腕の筋トレで体幹を強化して、けがをしないためのストレッチを学んだ。69歳になって臨んだ今年の9月末の網走・オホーツクマラソンでは夏の間の練習不足があったうえに、最初の15kmまで標高100mのアップダウンが続く難コースだったが、タイムよりも完走が目標だったので、少し冒険した。最初の難所はランナーズハイになって、6分/kmのハイペースで貯金した。案の定、後半はばてたけど、60歳台でのマラソン再開後の最高の4時間34分でゴールできた。60歳代では266人中89位、全体でも1447人中696位で平均より上になった。これは運動神経の鈍い僕にとっては奇跡的な成績だ。
平田の考える薬剤師の定義は
有効かつ安全で
目の前の患者さんに配慮した最高の薬物療法を
責任もって提供する人
その前にすべての医療人に必須なものは患者さんに対する「やさしさ」だと思う。