~薬剤師として心に刻んだ名言~
 僕は1995年ころ、病棟活動をしてようやく一人前の薬剤師として出発したとき、「自分の理想とする薬剤師像を築き、そしてその役を演じよう」を心に刻み、病棟では「優しい薬剤師・明るい薬剤師・何でも知っていて不安を取り除いてくれる薬剤師」を一生懸命演じていました。本当はそんなに明るくないけど患者さんを元気づけることができるような薬剤師になりたかったのです。  「薬物動態が苦手と言っている薬剤師は、診察が苦手と言っている医師と同じだ」は日本で初めてわかりやすい薬物動態の本を出版された岩手県のどんぐり工房の菅野彊先生だと思っていましたが、実はそうではなかったらしいです。「薬効・副作用=患者〔(薬力学)×(薬物動態)」が菅野彊先生の唱えた言葉だと思います。

100里を行くものは90里を半ばとす(中国のことわざ)

 最後まで気をゆるめずに努力をしなければならないという戒めです。フルマラソンも35kmからが辛い。今、君は若いが、後で後悔しないために、若いうちに苦労しろ。薬剤師として学会発表する人は多いが、論文を書いた人は少ない。さらに英語論文を書いた人はさらに少ない。僕もはじめて論文を書いたときはとても苦労したが、慣れれば何でもないことと今は思っています。テーマの選定方法が間違っていなければ続ける努力さえあればできるのに、あきらめるなんてもったいない。つらいからというだけで自分に負けるな。くじけるな。あきらめるな。頑張れ。ゴールはもう少しだ!と自分を励ましたものです。

たった1人しかいない自分を、たった1度しかない人生を、本当に生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないんじゃないか (路傍の石・山本有三)

 これも励ましてくれる言葉でした。

今日 精一杯生きれば明日がある。
才能に限界はあるが、努力には限界がない。

 これらの2つの名言、どちらも広島カープ時代の丸佳浩選手が言った言葉だと思いますが、丸選手が考えた言葉じゃないと思います。野村克也氏が「能力には限界があるが、思考力には限界はない」というよく似た名言を残しています。その当時、広島カープの不動の3番打者だった丸選手はプロに入ったころはフライもろくにとれないくらいに不器用だったし、送球もどこに行くかわからなかったらしいです。当時、コーチだった緒方興孝市氏が丸選手に言った言葉「お前は不器用だから、一つのことを覚えるのに時間がかかるだろう。だけど不器用な人間というものは、一度覚えたら忘れないものなのだ」と諭したそうです。丸選手はその後、メモ魔になり「野球ノート」を作って努力し、2013~19年まで7年連続ゴールデングラブ賞をとる「守備の名手」になり、打撃でも2年連続3割、2年連続MVPになる活躍をした。そしてフリーエージェントで巨人に行ってしまいましたが・・・・。

毎日5000回も素振りをしたから阪神の掛布氏は名選手になれたという人がいるが、掛布氏本人は「5000回なんてプロ野球選手ではみんなやっている。ただ僕はただ素振りをして筋トレをやってスイングスピードを上げるだけではなく、こんな球種を内角低めに槇原が投げたらどうやって打ち返すか、常にいろんな場面を想定しながら素振りをしていた。」

 続いてプロ野球選手に関する名言です。おそらく島田紳助氏が掛布氏のことを称してテレビで言った言葉だと思います。すごく耳に響いたのでメモしました。学会で発表して僕も質問にうまく答えられないことがよくあった。30歳を過ぎても予期しない質問に頭が真っ白になった事もあった。僕はそのころマラソンをしてたけど、ウォークマンやiPodがない時代、何を考えながら3時間のLSD(long, slow, distance: 長時間かけてやるゆっくりとしたジョギング)をやっていたかというと「こう聞かれたらこう切り返そう」「この座長ならこんなことを聞いてくるはずだ」「ここが弱いからこの文献を探して読もう」だったら何を突っ込まれても「これはまだ誰も検討していませんよ」と言えるようになるくらい論文をチェックしたら世界中で負ける人なんていなくなる」と思った。3時間も走っていると、時にすごくいいフレーズがわくことがある。その時は立ち止まってメモをする。これは今も続行けていることです。 元広島カープの名捕手の達川光男氏が言っていました。


プロフィール

平田純生
平田 純生
Hirata Sumio

趣味は嫁との旅行(都市よりも自然)、映画(泣けるドラマ)、マラソン 、サウナ、ギター
音楽鑑賞(ビートルズ、サイモンとガーファンクル、ジャンゴ・ラインハルト、風、かぐや姫、ナターシャセブン、沢田聖子)
プロ野球観戦(家族みんな広島カープ)。
それと腎臓と薬に夢中です(趣味だと思えば何も辛くなくなります)