ピースボート最大の難点はオプショナルツアーの代金が高いこと。僕は前回にも書いたように旗を持った日本人ツアーガイドについていく多人数のツアーは日本から出てきた意味がないように思えて、あまり好きじゃないのです。だって1日にピースボートから600人が旗を持ってマチュピチュに行くなんて、想像してみてください。最近の僕と妻の旅のスタイルは1つの都市に1週間程度は滞在して、現地の人たちが本当にいいと言っているところに行くことです。ハンガリーでは多国籍の人たちとワイナリーツアーを楽しんだし、ニュージーランドのクライストチャーチではレンタカー(旧英国領なので右ハンドル)を借りてテカポ湖、プカキ湖からマウントクックまで旅をしました。オーストラリアのケアンズでは夜行性生物の観察や馬に乗って川を渡って大自然を満喫できるツアー、ホワイトウォーターラフティング(日本での急流下り)にも参加しましたが、すべて英語ツアーです。いろんな国の人たちと会話するのはとても楽しいです。日本語ツアーガイドは数が少ないのでどうしても多人数のツアーになりがちなのが問題だと思います。

 

カヤオ港周辺はとっても危険な街

 ピースボートが停泊しているカヤオ港の港湾地区から外に出るには無料のシャトルバスに乗る必要があります。そうやって首都のリマ市内に入ることができますが、バスから降りると、多くのタクシーが待っています。ペルーのタクシー代はメーター制ではなく、交渉しなければなりませんが、カヤオからリマのホルヘ・チャベス空港までの距離は7.6kmで、車で15分と聞いていますので、ペルーの物価から考えると10ドルもあれば十分なはずです。ただしタクシーの運転手は前もって話し合っているのか、どのドライバーも最初はカヤオからリマ市内に行くのに40ドルを要求しますので、「高すぎる!」というとタヒチと同じく30ドルの30のことをタクシードライバーたちは「ターティ」と発音します。それでも高いと思ったので「20ドル」でまとまりましたが、やっぱり高いです。ただしリマ市内は交通渋滞がひどく、空港に着くには30分かかりました。

 後で聞いた話ですが、カヤオの港湾地区で日本人男性が殴打されて持っていたバッグに入っていたすべての現金(船内の各部屋には金庫があるのにそこに現金を入れず、すべてを持参していたらしい)、そして6人の人たち(日本人男性5人と女性1人)が襲われ、ナイフで切られスマホも取られたそうです。南米やアフリカの治安は悪いことは知っていましたが、スリやひったくりではなく、まさに強盗や殺人もあって、日本人は特に狙われやすいのだから怖いです。ピースボートが停泊している港湾地区はスラム街と密接しており、危なっかしい雰囲気です。ほぼ1800人のお金を持った人たちがやってくるのだから、強盗たちは格好の獲物が来たと考えているのでしょう。襲われたというニュースは船内でも流れたものの、詳しくは知らされていませんが、お金だけならいいけど、海外でパスポートやスマホを盗られたら大変です。カヤオでの窃盗はピースボートの乗客だけで13人の被害者が出たそうです。

 僕自身、昨年の6月に学会で訪れたローマの満員の地下鉄内でバッグの中に入れていたパスポートやクレジットカード、現金の入った盗難防止用のケースを盗まれて(おそらく車内で複数人数の窃盗団が気づかないようにバッグのジッパーを開けて鋭利なナイフを使って瞬時に切り取ったのでしょう)、警察へ届け、日本大使館に行き、パスポートの再発行をお願いし(これには戸籍謄本が必要ですので、大阪にいる次男にすぐに写メを取って送ってもらいました)、クレジットカード会社に電話連絡して機能停止させなくちゃならないという大変な苦労をしましたが・・・・。

 前もってカヤオやリマは危険と知っていたので、僕は金持ちらしい格好はせず、楽天市場で買った500円のT シャツ、ユニクロの雨除けジャケット、腕時計は1500円のカシオ、現金は2万円分程度のドル紙幣だけという姿で空港まで行きました(写真1)。でもクスコやマチュピチュであったペルー人はみんないい人ばかりでした。たぶん、貧困が原因なんだろうなと思っています。

 

標高3400mのクスコの高山病対策~ダイアモックスの予防効果~

 マチュピチュに行くために経由するクスコの標高は3400mと富士山山頂よりもやや低い程度なので、急激にSpO2が90%以下になり(表1)、平地では酸素吸入が必要となる状態と判断されてICUで監視される重症の状態になるので、結構辛いのです。せっかく持ってきたパルスオキシメータを妻が船内に置いてきたため、測定ができませんでした、残念!

 高山病は重症になると、高地脳浮腫や高地肺水腫などを発症することもあり、意外と怖いので(実際に帰船してから多くの人が高山病に罹ったと聞きました)、水分をこまめに摂って脱水を防ぎ、炭酸脱水酵素阻害薬ダイアモックス(アセタゾラミド)250mgをクスコに行く前日から1日2回服用して高山病を予防しました。炭酸脱水酵素を阻害すると、水素イオンの尿中排泄を阻害しNaイオンが再吸収されず利尿作用をもち、アルカリ尿が排泄されるので、血中の血液pHが下がり、これが呼吸中枢を刺激して(脳血管を拡張して呼吸中枢を刺激するという説もある)、換気量が増大することによって高山病予防効果があるとされています。高地に行く1~2日前から内服することで高山病予防効果があるというされています。ダイアモックスは炭酸脱水酵素阻害作用ではなく水チャンネルに結合してその機能を阻害するメカニズム(Aquaporin-1とAquaporin-4を阻害する)によって脳浮腫や肺水腫などの高山病症状の治療薬になるというメカニズムも想定されています。

 ダイアモックスのジェネリックはリマの国際空港でも売っていました。Boticaというのがいわゆる薬店のことみたいです(写真2)。ピースボートのメンバーが高山病の心配をしていたので薬剤師の僕が購入の仕方、服用法を教えてあげました。僕たち夫婦は昨日からダイアモックスを1日2錠飲んでいたので安心していますが、さすがにクスコに着くと体がなんか変でした。浮遊感が半端ないのです。水を飲む、深呼吸をして、アルコールは取らない、大食いはしないなどの高山病対策をしてなんとか過ごすことができました。

 

クスコは美しい街並みでペルー料理を堪能

 クスコはかつてエクアドルからチリまで続く栄華を誇ったインカ帝国の首都でした。今までにいろんな都市を見ましたが、これまでで一番印象に残る古い街並みに感動しました(写真3)。山のさらに高いところまで家が建ち並び(写真4)、路上に

はセーターやお菓子、飲料などの行商の人たちがたくさんいます。僕たちはセーターを2着買いました。最初は2着で45ドルといわれましたが、「30ドルにして」とお願いし、33ドルで交渉成立。お土産では1着20ドルするTシャツが普通にありますが、セーター2着で33ドルですからかなりお得です。夜のクスコは高地なので気温が10℃以下になってしまうため、早速着てみました(写真5)。有名な12角形の石(写真6)や夜景を楽しみながら食べるペルー料理は最高でした(写真7,8)。

 

マチュピチュへの旅程

 マチュピチュに行くには1月18日にカヤオ港からリマのホルヘ・チャベス国際空港空港に行き、飛行機でインカ帝国の首都だったクスコに行かねばなりません。クスコのホテルでは19日の朝5時半に朝食を済ませ、6時に迎えに来てくれる運転手を待って、車で90分走って駅に行き、標高3400mのクスコから列車(写真9,10)でウルバンバ川沿いを90分下って標高2400mのマチュピチュ村に行き、それからさらにバスで急勾配を上がって遺跡に着きます(写真11、12)。マチュピチュはクスコよりも1000m低いので高山病に似た症状はほとんどの人で消失します。そしてマチュピチュ遺跡を観光する1日目はマチュピチュ村のホテルで宿泊し、20日の朝もマチュピチュ遺跡を見て、クスコに帰って同じホテルに宿泊し、21日に再び飛行機でリマに帰ってピースボートに合流します。

 

ついにマチュピチュへ行くことができた

 ピースボートのマチュピチュへのオプショナルツアーは1人50万円以上と、とても高いのでリマからクスコへの飛行機(1人往復で19,000円)、クスコでの宿泊(2泊で1人15,653円)、マチュピチュツアー(2日間のマチュピチュ遺跡見学と英語ツアーガイド+クスコからマチュピチュへの往復交通+マチュピチュ村のホテル1泊付きで1人115,000円)は前もって自分でネット予約しました。そうすると1/3以下の価格でマチュピチュ遺跡に2日間行けますが英語ガイドになります。今回の通訳は自称インカ人の血を引くウォルターさん(写真13)で彼の話す英語はとても分かりやすく100%理解できました。神戸に来てから毎日DMM英会話(オンライン英会話でフィリピン、アフリカ、セルビアなどの旧ユーゴスラビア、中米などの世界中の人々と1対1で会話できますが、英米豪などのネイティブと英語の達者な日本人教師は価格が2倍以上になる)25分×2コマをやってきて、英会話力がかなり戻ってきたのだと思います。

 空中都市マチュピチュが作られたのは1450年ころ、インカ帝国の皇帝の離宮であったとされますが、1532年にインカ帝国は鉄砲を持った200人足らずのスペインのピサロによって征服され、1572年には最後の王もスペイン人に殺されスペイン植民地になってしまいます。インカには鉄器ではなくブロンズ製のものしかなく、武器は石斧、投石器、投げ槍(槍先は石)、弓矢しかなかったので、鉄砲、鉄器を持ったピサロの群には全く敵わなかったようです。でもインカの人々が亡くなった原因は殺されたのではなく、多くは疫病(天然痘など)で、一説によると9割前後が伝染病によって亡くなったそうです。これはアメリカインディアンも同じですね。最盛期の人口が1万人だったマチュピチュも1536年から人口は減って1540年には人が住まなくなったのですが、スペインの侵略後も発見されないまま、1911年にイエール大学の考古学者ハイラム・ビンガム(インディ・ジョーンズのモデル)によって発見されました。300年以上経過しても浸食されることなくマチュピチュがほぼ完全な姿で残ったのは、石でできた上水道と雨水などの排水などの灌漑装置がしっかりしていたからではないかと思いました。だってこの上水道と雨水を別々に分けるシステムは今でもうまく機能しているのですから(2日目は雨だったので確認できました: 写真14)。

 ペルーの伝統的な音楽のフォルクローレでサイモンとガーファンクルが歌ってヒットした有名な「コンドルは飛んでいく」という曲がありますが、僕はこれまでにコンドルが飛んでいるのを見たことがないので、ウォルターに「コンドルはいないの?」と聞くと、「マチュピチュにいるリャマを崖からあんたが突き落とせば、リャマは死ぬ。そうするとコンドルを見れるよ。コンドルは生きた動物は襲わずに死んだ動物をエサにして生きているんだから。ほかにも危険な動物はアナコンダやピューマなんかもいるよ」とユーモアたっぷりに教えてくれました。

 

プロフィール

平田純生
平田 純生
Hirata Sumio

趣味は嫁との旅行(都市よりも自然)、映画(泣けるドラマ)、マラソン 、サウナ、ギター
音楽鑑賞(ビートルズ、サイモンとガーファンクル、ジャンゴ・ラインハルト、風、かぐや姫、ナターシャセブン、沢田聖子)
プロ野球観戦(家族みんな広島カープ)。
それと腎臓と薬に夢中です(趣味だと思えば何も辛くなくなります)

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