第39回 熊本腎と薬剤研究会のご案内です。

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   6時に起きて、宮原1丁目の坂道を一気に駆け下りて呉駅へ、「あった!」「外木場、完全試合」の文字の載っているスポーツ新聞が。でも一番嫌いな報知新聞だけ。ほかのスポーツ紙は全部売れてしまってた。それでもいいやと報知新聞を買って、坊主頭に汗をかきながら、息を切らしながら坂道を駆け上ってわが家に帰り、カープ狂の母親の喜ぶ顔を見て、それから中学2年生の僕は坂道を駆け下りて、いつものように中学校に通っていった。呉って町は長崎のように平地が少なく、山の斜面に家がへばりついているから坂道だらけ。コンビニなんてこんな時代にあるわけがなく、スポーツ新聞を売っているのは駅の売店しかなかった時代だ。

  20160912_1.jpgこのころのカープは、たいてい最下位。4位になればよく頑張ったといわれたし、それでも我が家はみんな夢中でカープを応援していた。うちの母親はナイターでも部屋を真っ暗にさせてテレビをつけず(その当時、広島でもカープのテレビはほとんどなく、テレビ中継があるとすれば巨人戦だけ)。全試合、ラジオ中継をしていたラジオ中国RCCの音を全開にして、カープの選手が内野フライを打ち上げると、いつも母親は「落とせ、落とせ」と叫びながら祈っていたが、僕の記憶では1回もフライを落としてくれたことはない。

  外木場義郎投手って知っていますか?鹿児島県出水市出身で、カープが初優勝した時の絶対的エース。背番号141965年にプロ入りして初先発の阪神戦でノーヒットノーランをやった。1968年、ぼくが中学2年生の時に、広島カープは広島東洋カープになり、監督は初めて外部から呼ばれた根本監督がなった。根本監督は大トレードを断行し、阪神タイガースから「打撃の職人」山内一弘(なぜかこの人はバッティングのことをバッチング、セカンドのことをセコンドと言ってた)が入団し4番を任せ、安仁屋宗八と外木場の若手2人にエースの座を競わせ、若い衣笠をレギュラーにして、この年のカープは強くなった。いつもこいのぼりの季節までといわれていたカープが6月になっても7月になっても首位巨人から離されずに、オールスター前まで首位争いをしていたのだった。だけど、いつものようにオールスター後は大失速。悪夢の13連敗(だったと思う)をして、いつものように優勝戦線から離れていった。でも連敗が止まってしばらくして、外木場が大洋ホエールズ(現在の横浜ベイスターズ)を相手に完全試合をやったのだ。もちろんテレビ中継はなく、いつものようにラジオ観戦。9回になるとドキドキしながら、11球ごとに「やった」「やった」から、最後のバッターを打ちとった時には「やったー!」となり、連敗の暗い気分を吹き飛ばしてくれた。まさに今年の25年ぶりの優勝直前のクローザー中崎を応援しているように。

   20160912_2.jpg結局、この年の外木場は21勝して最優秀防御率を取り、安仁屋は23勝して防御率2位だった。そして山内は打率.313で打撃十傑では王、長嶋に次いで第3位で、古葉竹識(のちの監督で、熊本の名門・濟々黌出身)は盗塁王。なのに優勝できなかったのはチーム打率がセリーグで最低の.224だったから。でもこのころからカープは猛練習によって走って守って、1点を守り抜く今のスタイルを確立しつつあったのだ。そして1972年に外木場は巨人相手に3回目のノーヒットノーランをやってのけた。プロ野球史上、3度のノーヒットノーランを達成したのは沢村栄治(ただし完全試合はやっていない)と外木場の二人のみなのだ。大きな夢を見させてくれた1968年だったのだが、翌年、山本浩二が入団したものの、カープは相変わらず4位どまり。3年連続最下位ののちに、本当に夢がかなう初優勝は1975年。中学2年の時から7年後、ぼくが大学3年生になった時だ。

  余談ですが、2006年に僕が熊大の教授になったころには、県外の優秀な学生を引っ張るため、南九州の各名門高校を回り、熊大薬学部の説明と模範授業を薬学部志望の高校生に対してやることになっていた。2007年、2008年と奇遇なことに2年続けて外木場投手の出身校・鹿児島県立出水高等学校を担当になった僕は、模範授業で「皆さんの高校のOBで沢村栄治と並んで生涯に3回ノーヒットノーラン、そのうち1回は完全試合をやった大投手がいますが知っていますか?」と聞いて、模範授業そっちのけで外木場談義を熱弁したのは皆さんの想像通りです(とはいってもまじめな授業もちゃんとやりました)。

 

上の写真:1968年完全試合達成時の外木場投手    

下の写真:1975年カープ初優勝時のエースの雄姿

 


宇野理事長との出会い

  私は大阪での薬剤師時代(ご存じですね、92床の白鷺病院)に病態・薬物の理解を高め、HPLCを利用した幅広いTDMの実施によって薬物動態・相互作用の理解を高め、副作用モニタリングの実施、必要とされる情報を満載した医薬品集(formulary)の作成などによって医原病とも言える中毒性副作用を徹底的に少なくすることができました。でも薬剤師がいくら頑張ってもアレルギー性副作用は一定の割合で発生し、ゼロにはできません。だから白鷺病院での最後の2~3年間はアレルギー性副作用対策が我々の重要な仕事の1つになっていたような気がします。20160908.png
  この当時、宇野先生は白血球遊走試験によって80%前後の高い確率で過敏症・アレルギー性副作用の原因薬物の同定試験によって膨大なデータをもとに薬剤過敏症に関する貴重な情報を発信していました。白鷺病院から新潟の水原郷病院の宇野先生のもとに3回にわたり、この同定試験を学ぶための薬剤師の1週間の派遣を引き受けていただきました。残念ながら白血球遊走試験を完全にマスターすることはできませんでしたが、アレルギー性副作用の発生と潜伏期間の関係やどんな薬物がアレルゲン性が高いかという宇野先生から教えていただいた情報からアレルギー原因薬物を推定することができるようになり、アレルギー性副作用を起こした患者にアレルギーカードを渡す、カルテの表紙にアレルギー情報を貼付するなどのアレルギー性副作用発症後の対策を教えていただくことによって、白鷺病院の副作用モニタリングシステムは飛躍的に向上しました。このような縁から宇野先生との深い付き合いが始まり、私が熊本に来てからも宇野先生に講演会に来ていただき、様々なことを教わりました。
  その宇野先生が2014年の5月に日本医薬品安全性学会を設立するということを聞き、福山に行くと、私と同じように宇野先生にお世話になった実力者の方々が大勢集まりました。その中には旧知の中国労災病院の前田頼伸先生、東京理大の小茂田昌代先生、福岡大学病院の二神先生、赤穂市民病院の室井先生、そして私の後輩の白鷺病院の和泉智先生もいらっしゃいました。そして2015年7月には宇野先生が大会長として福山で第1回の学術大会が開催され、そして2016年7月には岐阜大学医学部附属病院薬剤部・伊藤善規先生が大会長を務められ、第2回の学術大会が開催されたのは皆様もご存じのことと思います。
  前回も書きましたが、安全性は軽いテーマではありません。第1回大会・第2回大会ともに、どの講演もシンポジウムも、演題も聞きごたえのある面白い学会でした。第3回大会は熊本で開催しますが、小回りの利く会場の特性を生かして、最新の研究成果や専門家向けの講演だけでなく、医薬品の安全性に関しては初心者の方も学べるような親しみやすい学会にしたいと思っていますので、2017年の7月には熊本でお会いしましょう。よろしくお願いいたします。

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  2000年の7月に私が新潟に初めて訪れたときにツーショットです。この時は2時まで宇野先生にお酒を飲みに連れまわされ、ほとんど意識を失ってしまいました。宇野先生と付き合って私のような被害を受けた人は非常に多くいますが、最近は12時までに帰していただけるようになったそうです。ちなみに宇野先生のハスキーボイスはお酒によるもの。皆さんもお酒はほどほどに。


≪ 第3回安全性学会のトピックス ≫  教育講演だけでこんなに決まりました。

 トピックス1  

 教育講演:「副作用の考え方と服薬指導・副作用情報検索」
 どんぐり工房・菅野 彊先生

 教育講演:「よくわかる気管支喘息の治療とその副作用」
 新潟県立柿崎病院・藤森勝也先生

 教育講演:「腎機能低下に伴いハイリスク薬に変身する薬物への対処」
 白鷺病院薬剤科・古久保拓先生

 教育講演:「高齢者に安全な薬物療法を提供する為のコツと理論
 ~嚥下・認知機能低下患者へのマネージメント~」
 くまもと温石病院・森 直樹先生

 教育講演:「中毒性有害反応を防ぐための保険薬局のかかわり」
 託麻中央薬局/熊本大学薬学部・近藤悠希先生

 20160912_3.jpgカープ、とうとうやりました!25年ぶりの優勝。15年連続4位以下だったチームが、奇跡のぶっちぎりの優勝。優勝の瞬間は武庫川女子大の非常勤講師のため、甲子園近くのホテルのテレビで観戦。黒田が泣き、新井と抱き合っているところで僕の涙腺も大いに緩んだ(ホテルの部屋の中でよかった)。やっぱりカープは最高!わしゃ、広島の呉出身じゃけん。

 思えば野村謙二郎監督のころの5年前、レギュラーは決まっておらず、毎試合、岩本、松山、広瀬、ニックあたりが日替わりで4番を打っていた。ほとんどの先発選手の背番号は50番か60番台の若手ばかりで、年俸は石原捕手の1億円以外は1000万前後の若手選手ばかり。先発選手9人併せて巨人の阿部1人分のほうが年棒が高かった。こんなんじゃ勝てるわけないよねって思ってた。4位になったらよく頑張ったとほめてやりたかった。クライマックスシリーズ出場なんて夢のまた夢だと思ってた。

 でもこのシチュエーションは僕が物心ついたころから大人なった1975年までとほぼ同じ。このころも4位になったらよく頑張ったと思ってた。それでも衣笠が入り、山本浩二が入って若手が台頭し、外古場・安仁屋の両エースが頑張っていた。3年連続最下位後の1975年、古葉監督の下でカープは奇跡の初優勝。そのとき僕は大阪薬科大学の3年生の20歳。唯一テレビのある食堂に集まるとまさに「広島県人会」の集まりで、優勝が決まるとみんなで抱き合い、「それゆけカープ」を熱唱し、大いに興奮したものだ。

 古場監督といえば熊本は濟々黌出身。野球が強くって校名がかっこよくって、クリームシチューの出身校って聞けば、私学だと思っていません?僕も熊本に来て初めて知ったのだけれど、濟々黌は由緒ある名門公立高校。偏差値もかなり高い。だけど情けないのは濟々黌のOBの学生たちのほとんど(野球好きの男子までも)が「古葉さん」の名前を知らない。濟々黌はなんてひどい教育をしてるんだろうね。「社会に貢献したOBの名前くらい教えろよ」と今も思っている。僕は濟々黌出身の学生たちに「古葉さん」のことを熊本で啓蒙するのが1つのライフワークだと思ってる。実はそんなむきになるほどのことではないのだが、ついつい、熱弁をふるうので、熊薬の濟々黌のOBたちは「平田ってしつこい、くどい」と思っているだろうね。

 ところで大きな声では言えないけれど、ぼくは今年、カープの試合を6回見に行った。3月の初めに学会スケジュールを調べ、金曜日から日曜日の空きを調べて、行く試合を決めてすぐに宿の予約をし、チケットを最速ゲットできる日をカレンダーに記入し、予約を怠らない。時には途中で抜けられない学会の仕事や会議が入って、僕だけ球場に行けないってこともあったっけ。でもカープは我が家の絆。カープがあるから一家が集まる。カープがあるから会話も弾む。

 でも今年、マツダスタジアムに行ったのはゼロ。毎年広島に23回行っているものだから、「広島はもう行き飽きた。広島でおいしいものも全部食べたし、広島の観光地にもほとんど行った。」と長男が言い出すものだから、今年は横浜2試合×2回、神宮2試合と関東地区で6試合見た。性格の悪い客の多い東京ドーム、ナゴヤドーム、甲子園はできるだけ避け、とっても平和で、黄緑よりも赤色が圧倒的に多い神宮(写真左)、地味な紺色よりも派手な赤色の客が圧倒的に多い横浜(写真右)に行ったのでした。戦績は33敗。う~ん、今年の圧倒的な強さで33敗は厳しい。でも去年の2勝3敗1引き分けよりまだましかな?

 横浜スタジアムは見た目きれいだが、座席が狭いし売店がとっても少ない。神宮は駅から遠いし、見た目が古臭いし、トイレが大行列。その点マツダスタジアムはトイレが混むことはないし、売店の充実度は日本一(日本の全部の球場に行ったわけじゃないですが多分、どこよりもいい)。売店やトイレの廊下が驚くほど広い。シートもバラエティに富んでいて、どの席もゆったり。横浜も神宮も甲子園も人とぶつかるのを避けるのに苦労する。もう1つ、僕のふるさと、呉市二河球場の外野の芝生席も、寝転がって見れるので最高です!1年に1回しかカープの試合はないけどね。

20160912_7.jpg左:神宮球場に虹がかかる。いざ出陣のカープ(撮影平田9/3●1-3)。

右:真っ赤に染まる横浜スタジアム(撮影平田8/123-2

  今年はみんなよくやった。特に若手が頑張った。1番「背は低いがパワーがあり、脚も速い広輔」、2番「人間離れ(サル並み?)驚異の守備範囲の菊池」、3番「顔がでかい丸で~すと自己紹介してた丸」、4番「阪神から戻ってきて大活躍の広島市民の新井さん(写真)」、5番「来年はトリプルスリーが狙える神ってる誠也」、6番「体重120kgだけど肥満じゃないのでCockcrof-Gault式もそのままOKの無双の怪力エルドレッド」、7番「走攻守三拍子揃った安部(カープの選手はほとんど走攻守三拍子揃ってるけど、安部ちゃんはあんまり特徴ないんだよね)」、8番「イケメンぞろいのカープの中で唯一のおじさん顔だけど、リードは抜群の石原(うちの嫁はなぜか石原の大ファン)」、9番「男気・一球の重み、雪に耐えて梅花麗し、20億円を蹴って4億円のカープに帰ってきてくれた元大リーガー黒田様(写真)」。それにセットアッパーのめっちゃ明るいジャクソン、マエケンのいじられ役だった守護神・中崎、みんなよく頑張ってくれました。なんで新井さんで黒田様か、これは僕の熊大でのあまり野球を知らない学生たちへの教育方針です。熊大薬学部臨床薬理学分野に入ると広島には3人の神様がいるから、呼び捨て厳禁。その3人は黒田博樹様、前田智徳様(写真)、そして監督の緒方孝市様(写真)。そしてカープに帰ってくれた新井さんも呼び捨てにしちゃ失礼だと、無理やり作り上げたカープ女子たちに教育しております(実は隠れホークスファンも多いらしいが・・・・)。

 やっぱり来年は全部が真っ赤なマツダスタジアムに行こう。あの聖地へ帰ろう。平和の都市・広島へ!あっ!2月にはキャンプ地の宮崎・日南の天福球場もおすすめです。 

20160912_6.jpg左から新井さん、黒田様、嫁が美人の監督・緒方様、熊本出身の引退した天才打者・前田様

ポスター作製秘話

  平田も今年で62歳。あと3年ちょっとで熊大を定年退職します。それまでにやっておかねばならない大仕事が、来年72223日開催の第3回日本医薬品安全性学会と、2019年、熊大最後の年に開催する第13回日本腎臓病薬物療法学会です。

  2017年の安全性学会の熊本開催はずいぶん前から決まっていましたが、予想にもしなかったのが、「熊本地震」です。開催する予定だった会場の熊本市民会館大ホールが地震で被災し、復旧のメドが立たない。宇野理事長には電話で、このような事情から開催を断念するかもしれないことも相談していました。全国規模の学会を開催するのは立地・収容人数から考えても熊本市民会館とお向かいの国際交流会館はどうしても外せなかったからです。

  ところが、熊本市の国際観光コンベンション協会(県外からの熊本への来訪客の誘致を促進するための団体)がここで動いてくれました。協会から紹介されたのは「ホテルメルパルク熊本」、便利な場所できれいなホテルというイメージはありましたが、県外の友人が止まったということも聞いたことがないし、馴染みのないホテルでした。なぜならこのホテルは宿泊施設としての部屋数は少ないのですが、結婚式などのイベント会場として有名だったからですが、「ホテルを学会会場として使うと高くつく」というイメージとは異なり、コスパのよい価格を提示してくれました。安全性学会の開催はいつも暑い7月。他の学会と競合しにくい日程を選んでいたのです。このころに結婚式はほとんどないため、思い切った価格を出してくれたのでした。

  ただし熊本の観光は地震の影響を強く受けました。シンボルの熊本城は無残な姿、阿蘇は主要道路が寸断され、水前寺公園の庭園の池も水がなくなっていたのです。もうすぐ岐阜大会が迫ってくる。プロのデザイナー以上のデザイン能力を持つ秘書さん(名前は内緒です)に、熊本のシンボルを避けて「安全性」をイメージしたポスターを数種類作成してもらいましたが、20160907_2.png宇野理事長には「やっぱり熊本城が一番いいね」と言われました。内心、ぼくもそう思いました。苦肉の策ではありますが、熊本城をメインにしたポスターを作成し、第3回のテーマを「医薬品の安全性を担保せよ!~復興・熊本からのメッセージ~」とさせていただきました。熊本は地震の被害を受けましたが、頑張って復興します。学会の時には熊本城の本丸もまだ改修は終わっていませんが、あえて、そのありのままの熊本城を見ていただきたい。そしてその1~2年後は本丸の改修工事が終わる予定ですので改めて立派な熊本城を見なおしていただきたいのです。熊本に1人でも多くの人に集まっていただきたいというメッセージを込めてこの大3回大会を開催しようと思います。安全性学会は第1回大会を福山、第2回大会は岐阜、そして第3回大会は熊本、この共通点はお城で有名な都市であること。やはり日本3大名城といわれる熊本城をメインにしたポスターが一番だなと改めて思います。20160907_3.png

  安全性学会は医薬品の安全性を主眼に置いた唯一の学会です。安全性は軽いテーマではありません。どの講演もシンポジウムも、演題も聞きごたえのある面白い学会です。勉強になる学会です。そして本当にためになるプログラムを一生懸命考えていきたいと思います。ぜひとも2017年の7月22日、23日には熊本に来てください。よろしくお願いいたします。


≪ 第3回安全性学会のトピックス ≫

 トピックス1

  来年の安全性学会はクールビズでやります!上着・ネクタイ不要です(何らかの着衣は必要です)。

 トピックス2

  以下の講演が決まりました。

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   特別講演:「医薬品安全性を高めるための育薬の役割」東京大学大学院育薬学講座・澤田康文先生 

   理事長講演:「医薬品の交差アレルギーを極める」日本医薬品安全性学会理事長・宇野勝次先生 

   大会長講演:「薬剤性腎障害を防ぐ」熊本大学薬学部・平田純生


 

9月に熊本大学薬学部で4回連続して開催している育薬フロンティアセミナーのお知らせです。
熊本大学臨床薬理学分野HP「育薬フロンティアセミナー」のサイトはこちらです。
育薬フロンティアセミナー

この研修はエコファーマに認定されました。

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熊本大学臨床薬理学分野HP「薬剤師のための医療薬科学研修会」のサイトは

こちらです。 ⇒ 育薬剤師のための医療薬科学研修会サイト

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~熊本腎薬下石会長からのメッセージ~

全国の腎薬の先生方には発災直後より、多くの励ましのお言葉や、温かいお便り、メールを頂きました。ありがとうございます。

おかげ様で、熊本腎薬スタッフ全員、元気に震災を乗り切ることができました。

まだまだ余震も続いてはいますが、7月から研修会も再開し、来るべき2019年腎臓病薬物療法学会in熊本開催に向けて、熊本腎薬スタッフ一同、心を一つに頑張っていきます、いや “がまだし” ます。

熊本腎と薬剤研究会会長 下石 和樹

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 いまだに多くの医師・薬剤師が腎機能の指標として血清クレアチニン(Cr)値を使っているという学会発表や調査報告があります。以下の2人の患者の血清Cr値は同じ値ですが、皆さんは腎機能をどのように判断しますか?

Aさん:20歳男性180cm70kg、血清Cr1.2mg/dL

Bさん:80歳女性155cm50kg、血清Cr1.2mg/dL

 Aさんは若くてアスリートのような体形を予想させますね。でもデータだけで腎機能を判断するのはよくないです。実際にAさんBさんの体格と活動度を確認する必要があります。Aさんは大学生でバスケットボール部のキャプテンで、筋骨たくましい男性でしたが、肉離れで整形外科を受診していました。そしてBさんは大きな病気はないものの、腰痛や膝関節症などで、整形外科に通っており、日常生活は通常にできているものの、ほとんど運動はしていません。血清Cr値が同じで、腎機能を判断しにくいので、腎機能推算式として汎用されているCockcroft-Gault によるクレアチニンクリアランス(CCr)を算出してみましょう。そうすると図1のようにAさんは97L/min、アスリートでなかったら筋肉量は少ないので、もっと高いCCrになり、多分120130mL/minはあるのではないかと思います。

 BさんはAさんの1/3以下の29mL/minで高度腎障害に分類される腎機能した。もっと運動ができていたら、血清Cr値はもっと高くなってCCr20mL/minに推算されていたかもしれません。Cockcroft-Gault式は肥満患者では腎機能を高く推算し、元気な高齢者では腎機能を低く見積もってしまうという2つの欠点がありましたが2人とも肥満ではなくBさんも活動度は低いので、推算値と実測値との乖離はそんなにないと思われます。

 ただしこれらはあくまで推算値であり実測値ではありませんが、血清Cr値が同じでも推算CCrはこんなに差があり、実測するともっと差が出るかもしれないなと平田は予測します。

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 ということで、わす化に高い程度の血清Cr値で腎機能を判断するのはあまりよくありません。今後はCCr、いやもっと精度の高い体表面積未補正eGFRmL/min)を使うべきだと思います。なぜこのようなことをブログで書いたのかというと、201648日にFDAから”FDA Drug Safety Communication: FDA revises warnings regarding use of the diabetes medicine metformin in certain patients with reduced kidney function“という医薬品安全性情報(Drug Safety Communicationshttp://www.fda.gov/Drugs/DrugSafety/ucm493244.htm)が出されたからです。内容は以下の通りです。

We are recommending that the measure of kidney function used to determine whether a patient can receive metformin be changed from one based on a single laboratory parameter (blood creatinine concentration) to one that provides a better estimate of kidney function in patients with kidney disease (i.e., glomerular filtration rate estimating equation (eGFR)). 

 メトホルミンを投与している患者に対しては血中Cr濃度のような単一の検査値からではなく腎機能をより正しく見積もることのできるeGFRに変えましょうという内容です。そうです。時代は変わってきているのです。国際間で、測定法の違いによって値が異なり、加齢・性別によって評価の仕方を注意しなければならない血清Cr値や、肥満患者で過大評価し、元気な後期高齢者では過小評価してしまう推算クレアチニンクリアランス(CCr)からeGFRを使って腎機能を評価しようという時代になりつつあるのです。

 これに呼応して{かどうかは分かりませんが}2016年5月12日日本糖尿病学会は「ビグアナイド薬の適正使用に関する Recommendation」http://www.jds.or.jp/modules/important/index.php?page=article&storyid=20をおよそ2年ぶりに改訂し「メトホルミンの適正使用に関する Recommendation」として発表しました。

 


「ビグアナイド薬の適正使用に関するRecommendation

メトグルコは中等度以上の腎機能障害患者では禁忌である。SCr値(酵素法)が男1.3mg/dL、女性1.2mg/dL以上の患者には投与を推奨しない

 高齢者ではSCr値が正常範囲内であっても実際の腎機能は低下していることがあるので、eGFR等も考慮して腎機能の評価を行う。ショック、急性心筋梗塞、脱水、重症感染症の場合やヨード造影剤の併用では急性増悪することがある。尚、SCrがこの値より低い場合でも添付文書の他の禁忌に該当する症例などで、乳酸アシドーシスが報告されている。 


   


「メトホルミンの適正使用に関する Recommendation

腎機能をeGFRで評価し、eGFR30mL//1.73m2)未満の場合にはメトホルミンは禁忌である。

 eGFR3045の場合にはリスクとベネフィットを勘案して慎重投与とする。脱水、ショック、急性心筋梗塞、重症感染症の場合などやヨード造影剤の併用などではeGFRが急激に低下することがあるので注意を要する。eGFR3060の患者では、ヨード造影剤検査の前あるいは造影時にメトホルミンを中止して48時間後にeGFRを再評価して再開する。尚、eGFR45以上また60以上の場合でも、腎血流量を低下させる薬剤(レニン・アンジオテンシン系の阻害薬、利尿薬、NSAIDsなど)の使用などにより腎機能が急激に悪化する場合があるので注意を要する。


 

「腎機能を正しく判断するには血清Cr値よりも推算CCr、推算CCrよりも体表面積未補正eGFRmL/min)を使いましょう。そして諸々の事情で推算値が適応しにくい症例には実測CCrを使いましょう。軽度腎機能低下時や筋肉量の影響を受けないシスタチンCによる体表面積未補正eGFRmL/min)も結構いいですよ」というのが今回のブログの結論です。

プロフィール

平田純生
平田 純生
Hirata Sumio

趣味は嫁との旅行(都市よりも自然)、映画(泣けるドラマ)、マラソン 、サウナ、ギター
音楽鑑賞(ビートルズ、サイモンとガーファンクル、ジャンゴ・ラインハルト、風、かぐや姫、ナターシャセブン、沢田聖子)
プロ野球観戦(家族みんな広島カープ)。
それと腎臓と薬に夢中です(趣味だと思えば何も辛くなくなります)

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