第37回の「基礎から学ぶ薬剤師塾」は2024年7月12日(金)18時半から(20時までの予定)です。登録していただいた方のみ視聴できます。ライブのみで再放送はありませんが、質問をお受けすることができます。
5月に終了した初心者向けシリーズではなく、先月より初級・中級向けの新たなテーマとして、「腎臓の役割~腎臓はなにをしている?②尿細管編~」です。
糸球体は腎臓の病気が主に起こる場ですが、尿細管は腎臓の最も重要な機能である体液の恒常性を保つ働きを示します。ではどこでどうやって体液量・体液の組成・pHなどを非常に狭い範囲内に調整する作業を行っているのでしょうか。腎臓の役割を理解するためには尿細管の機能について学ぶ必要があるのです。前回(糸球体編)と今回は薬剤師の苦手な腎の解剖について、できるだけ分かりやすく解説したいと思っています。
参加を希望される方は 申し込みフォーム に記入のうえ、7月7日までに送信してください。
薬剤師塾となっていますが、医師・看護師など医療従事者であれば参加可能です。300名まで参加可能ですが、登録者数はいつも200名を超えていますので、早めに登録してください。
第36回の「基礎から学ぶ薬剤師塾」は2024年6月21日(金)18時半から(20時半までの予定)です。登録していただいた方のみ視聴できます。ライブのみで再放送はありませんが、質問をお受けすることができます。
今回から初心者向けシリーズではなく、新たなテーマとして、「腎臓の役割~腎臓はなにをしている?①糸球体編~」です。糸球体は大量の血液を濾過して、健常者であれば1日150Lもの原尿を産生していますが、なぜこのように大量の原尿を産生する必要があるのでしょう?透析導入の原因疾患のトップ3の糖尿病、高血圧はともに糸球体硬化、慢性腎炎は糸球体の炎症によって起こりますから、腎臓の役割を理解し、腎機能の悪化を予防するためには糸球体の機能について学ぶ必要があるのです。今回と次回(尿細管編)は薬剤師の苦手な腎の解剖について、できるだけ分かりやすく解説したいと思っています。
参加を希望される方は 申し込みフォーム に記入のうえ、6月16日までに送信してください。
薬剤師塾となっていますが、医師・看護師など医療従事者であれば参加可能です。300名まで参加可能ですが、登録者数はいつも200名を超えていますので、早めに登録してください。
第35回の「基礎から学ぶ薬剤師塾」は2024年5月24日(金)18時半から(20時半までの予定)です。ライブとなりますので質問をお受けすることができます。登録していただいた方のみ視聴できますが、ライブのみで再放送はありません。
今回のテーマも初心者向けシリーズ7回目で、「初心者向けシリーズ⑦心房細動と脳塞栓」です。脳卒中の中で最も重症で罹患後の要介護度も最も高い心源性脳塞栓を防ぐために、抗不整脈薬も使われますが、主役になるのは抗凝固薬で、ワルファリンからDOACに変わりつつありますが出血リスクと腎機能の関係が気になります。カテーテルアブレーションや左心耳閉鎖術など根本治療法も行われます。最新の薬物療法と新規治療法についても、できるだけ分かりやすく解説したいと思っています。
参加を希望される方は 申し込みフォーム に記入のうえ、5月19日までに送信してください。
薬剤師塾となっていますが、医師・看護師など医療従事者であれば参加可能です。300名まで参加可能ですが、登録者数はいつも200名を超えていますので、早めに登録してください。
第34回の「基礎から学ぶ薬剤師塾」は2024年4月19日(金)18時半から(20時半までの予定)です。久々のライブとなりますので質問をお受けすることができます。登録していただいた方のみ視聴できますが、ライブのみで再放送はありません。
今回のテーマも初心者向けシリーズ6回目で、「初心者向けシリーズ⑥虚血性心疾患とその治療薬」です。大学で学んだ薬物治療学ではわかりにくかった労作性狭心症と異型狭心症の特徴と薬物療法の違い、そして一刻一秒を争う致命的疾患である心筋梗塞の最新の治療方法、薬物療について、できるだけ分かりやすく解説したいと思っています。
参加を希望される方は 申し込みフォーム に記入のうえ、4月14日までに送信してください。
薬剤師塾となっていますが、医師・看護師など医療従事者であれば参加可能です。300名まで参加可能ですが、登録者数はいつも200名を超えていますので、早めに登録してください。
モーリシャスを看護師Annと廻る~人命救助に関わった~
インド人看護師のAnn(写真8)と知り合ったのは僕が「糖尿病の食事と血糖管理」の講演後のことでした。「内容は素晴らしいのに、なんで日本語だけなの?ピースボートの英語通訳をつけたらいいのに」と言って話しかけてくれました。その後、Annは日本語通訳をつけて英語で講演をしたのですが、いくら英語の堪能な通訳でも「ヘモグロビンA1c」とか「血清クレアチニン」「インスリン抵抗性」などの語句は分からないので、おかしな翻訳になっていました。そこで僕が代わりに通訳をしたのです。彼女はインド人なので、インド訛りの英語は僕は得意ではないし、僕は英語新聞も小説も読めないし映画も字幕がないとほとんどわかりませんが、医学用語に関しては国際学会などで腎臓病や糖尿病の英語講演でもほぼ100%分かるので、問題なく翻訳することができ、親交が深まり、一緒に食事もするようになりました。
聞くところによると彼女は西ドイツで看護学を学び(これだけで年齢がだいたい予測できますね)、その後、カナダで心理学の学士号を取得し、そのままトロントに住んでいるそうです。彼女はモーリシャスに行くにあたって、僕に一緒に行かないかと誘ってくれました。なぜかというとモーリシャスにはインド人がとても多く、現地の人と間違えられるのが嫌だから日本人のスミオと行きたいんだということでした。もちろん僕の妻も一緒に3人で行く予定でしたが、突然の下痢・嘔吐で行けなくなったので、他の日本人4人とともに滝、7色の砂、ビーチ、ポートルイスのショッピングモールに行くことになり、6人なので1人20USドルという格安で7人乗りのトヨタのタクシーに乗りました。モーリシャスのビーチはとてもきれいな海でしたが、魚は全く見えず、69歳にしてスノーケリングではなく、ただの海水浴だけをすることになるとは・・・・。ああ~、疲れました。
ショッピングモールでタクシーを降りて、1人20ドルずつ集めていた時に、運転手が何かに気づき、海岸に走っていきました。そこでは誰かが溺れていたらしく、男の人たち数人で引き上げているところでした。この時のAnnの行動は素早く、横向きに寝かせて背中をたたくと(図1)、救助された男性の口や鼻からおびただしい量の海水が出てきました。そして仲間のバスタオルを借りて枕にして、「Call the ambulance!」と、群がる人たちに救急車を呼ぶように指示。僕は溺れた人の救助法は知らなかったのでAnnの指示に従い、頸動脈、手首で脈診があるのを確認、呼吸も正常でしたが10分経っても口や鼻から海水が出てきており、大声で耳元で「Are you OK?」と繰り返しましたが意識はなさそうです。救急車がかなり遅れて到着すると救命救急隊員がSpO2を測るためにパルスオキシメータをなんと親指に装着。「何やってんだ」と人差し指に付け替えるとSpO2は98%と出て、Annと「よかった。大丈夫だ。」と笑顔になり、あとは救急隊員に任せました。後で聞くところによると海水に転落した人は海上の警備員で、海に落ちないようにつないである鎖(写真9)に腰掛けようとして、後ろ向きに海に転落したのだそうです。
モーリシャスは17世紀に絶滅した飛べない鳥「ドードー」がいた島として有名です。ドードーの祖先はアフリカ大陸やマダガスカルから飛んできたらしいのですが、この島には天敵がいなかったので、どんどん大型化して飛べなくなってしまったのだそうです。大きさは七面鳥ぐらいで、体重が25キロもあったらしいです。ヒトが絶滅に関与した鳥として有名なニュージーランドに生息していた飛べない大型鳥ジャイアントモアは、最大で約3.6m、体重は250㎏ほどあったとされていますが16世紀か19世紀にマオリ族による乱獲によって絶滅したと言われます(図2)。モーリシャスはマダガスカルから近いのに、アフリカでは有数の豊かな国で、治安もよかったです。それに急角度の勾配の山が多く、トレッキングを楽しむにはとてもいいところですが(写真10)、滞在時間が短く、十分な時間が取れなかったのがとても残念でした。
インド洋を東に行き、マレーシア、シンガポール、深圳から日本に
モーリシャスのポートルイスを出るとインド洋を通ってマレーシアのペナン、シンガポール、中国の深圳に寄港しますが、これらは乗客が降りるための寄港と考えてもいいでしょう。だってこれらの中国系の乗客の方々は500人以上はいますので。
神戸から出発してこれまでの期間、僕は「平田の健康長寿塾(写真11)」と「ギター弾き語り‘70(写真12)」をそれぞれ、10回以上開催し、どちらも好評を得ました。ギター弾き語りをやる日本人はかなり多いのですが、塚本さんとぼくの特徴は英語の持ち歌が多いので、Simon & Garfunkel SpecialやThe Beatles SpecialやEnglish songs Specialなどで1時間のライブで約20曲を演奏し、これらはシンガポール、マレーシア、香港の英語を話す中国系の方々に大好評でした。The Beatlesに関しては30曲以上のレパートリーがありますので、リクエストに応えることもできるようになりました。僕はギターも歌も自信がなかったのですが、偶然、高音部・低音部で覚えている曲はうまくハモれることもあり、リードギターを弾きながら、渋い声で歌う師匠の塚本さんとやっていると、僕もギターや唄がうまくみえるらしく、「今日のライブ、よかったですよ」と声をかけてくれる人たちがいてくれて、うれしくなりました。
ということで106日間の長い世界一周の旅が3月28日の神戸で終えることになります(図3)。この間に論文をメールを介して4本書きましたし、3月31日には早速、横浜での薬学会で企業セミナーで「透析導入を防ぐための薬剤師の役割」についての講演です。帰国したらスイッチを音楽から薬剤師に戻して頑張ります。でもギターも続けようと思います。また六甲山に登りたいし、神戸の街を2~3時間かけてゆっくり走りたいです。
◆ 平田純生: 腎疾患におけるTDM. 臨床検査2024年4月増大号「AKI・CKDの診断・治療に臨床検査を活かせ」2024
◆ 平田純生: 7.便秘症. 月刊薬局 ストップCKD「腎臓を守る包括的な視点」月刊薬局2024年4月号
◆ 平田純生: 腎障害患者へのNSAIDs,アセトアミノフェンの考え方. 月間薬事「“何となく”では終わらせない 病棟で出合う疼痛への薬物療法」月間薬事2024年6月号
◆ 平田純生: CKD患者の鎮痛療法の新時代. 扶桑薬品BP.up-to-date新連載「透析導入を防ぐための薬物療法について考える」全12回の第1回. 2024年6月掲載予定
サファリを楽しんだポートエリザベス
ケープタウンを出港して翌々日の2月28, 29日の2日間はポートエリザベスに寄港です。港には何千台もの新車が欧州への輸出を待っていました。聞くところによるとポートエリザベスではフォード、フォルクスワーゲン、いすず、トヨタが車を生産しているとのことでした。ここは2日間の停泊のため、広大なワイルドサファリでアフリカの様々な動物をたくさん、自然のまま見ることができます。2日目は前もってアッドエレファント国立公園に行くことに決めていますので、初日はポートエリザベス港を出ると観光ガイドでいいツアーを捜して、価格を聞いて、どこに行くかを決めます。結局、妻が大の動物好きなので、1人8000円の観光タクシーに乗って日本のサファリパークをより本格化したようなKragga Kamma Game Parkと街巡りのツアーに行きました。シマウマ、アフリカンバッファロー、白サイ、キリン、ダチョウ、スプリングホック、イボイノシシ(ライオンキングのプンバァ)、インパラなどを野生の姿を、そのままで見ることができました(写真1)。スプリングホックは南アフリカの国の動物に指定されていて強豪ラグビーチームの名前に使われているそうです。あまり強そうではないですね・・・・。アフリカでは草食動物:肉食動物の数の比は1000:1だそうで、ここにもライオンやチータがいるのですが、昼間はブッシュの中で寝ていて見れませんでした。ちなみに肉食動物は檻に囲まれていて、エサを与えられているので全くの自然な形では遭遇できません。ライオンは3頭いるらしいのですがウクライナから運ばれてきたとかで、戦争のために動物園どころではないのでしょうね。
2日目は前もってネット予約した半日アッド エレファント国立公園サファリのツアーです。ここは国立公園というだけあって広大で本格的ですし、もともと象の保護区なので、昨日見れなかったアフリカ像はたくさん見ることができました。この日は暑かったので、象は水ベに集まって、水を飲んだり、水を身体に浴びて涼んでいました(写真2)。像の数は大変多く、車を止めて、社内から観察するのですが、像が移動するときに車に近寄ってくることがあります。怖くて思わず悲鳴を挙げそうになるのですが、運転手から「危ないから声を出さないで!」と叱られます。 牙のあるオスのアフリカゾウはとても凶暴なので、車に近づいても決して声を出してはいけないのです(写真3)。“”ビッグファイブ“”と呼ばれる大型動物とはライオン、アフリカンバッファロー、サイ、ゾウ、ヒョウですが、ライオンやヒョウは木陰で隠れて寝ているのでここでも見れませんでした。1時間ちょっとかけて街に帰りつく前に見た広大な大地にはすべてトタン作りのスラムがありました(ただし後述のマダガスカルと異なるのは電気が通っており、パラボラアンテナがついていたことです)。運転手が自嘲気味に「All black, no money」と言っていましたが、アパルトヘイトが終わり、アフリカでは裕福な国の方だと思っていたこの国でも、まだまだ黒人の方々の暮らしはとても貧しいことに気づかされました。そしてその近くには同じく広大な墓地がありましたが、COVID-19による死者のお墓なのだそうです。ケープタウンで見た裕福できれいな街並みとは大違いでした。ポートエリザベスでもネルソン・マンデラさんの人気は高く、ゆかりの建造物が多くありました(写真4)。ここのお土産としてはルイボスティーが有名ですが、ピノタージュという赤ワインは日本に入ってこないので貴重だそうです。
バオバブの木のあるマダガスカル、だけど極貧の世界を目の当たりにした
ピースボートはいよいよインド洋に入り、強風と強い波の中を揺れながら走り、3月5日、6日の2日間、世界で4番目に大きい島、マダガスカル島のトゥリアラ沖に投錨しましたが、遠浅のため停泊できません。イースター島の時と同様、2日間に分けて1回100人足らずに分かれてテンダーボートに乗って上陸することになります。ここで今までになかった光景に出くわしました。マダガスカルの人々が小さなボートや帆掛け船など、決して立派ではない小さな船でクルーズ船に近寄ってくるのです(写真5)。何のために来たのかというと、食べ物や船室のアメニティの石鹸、使い古しの衣服などをせがみに来たのです。
マダガスカルはサン・テクジュペリの書いた「星の王子様」に登場するバオバブの木が有名ですが、それを見るために上陸すると、藁やトタンでできた、おそらく電機も水道もない非常に貧しい家がほとんどでした(写真6)。世界でも最貧国の1つ、物乞いも多いですし、15歳以下の子供の人口が48%を占めており、広大な平野があるのに、畑ではなく荒れ地になっています。サトウキビやフルーツ、コーヒーなどの農園や酪農になんで使わないのでしょう?この国に大事なのは子供たちの教育なのかもしれませんが、マダガスカルは、国民の約79%が1日1.9ドル以下で生活しているという極貧状態にあり、慢性栄養失調率が世界で4番目に高く、5歳未満の子供の40%が発育障害に苦しんでいるそうです。バオバブの木を見ることはできましたが(写真7)、主要な港なのに全く華やかさのないトゥリアラの貧しさが心に残りました。いろいろと考えさせられた2日間でした。
8日間かけて大西洋を通って2月24日にはアフリカ大陸の砂漠の国ナミビアのウォルビスベイに到着しました。この港はアフリカの内陸国のジンバブエやボツアナの輸出入港としても重要なのだそうです。ここのナミブ砂漠は世界最古の砂漠らしいのです。サハラ砂漠はもっともっと新しくできた砂漠なのです。ここでは英語学習を兼ねて現地の人たちとコミュニケーションをする課題付きのオプショナルツアーに参加しました。ピースボートのスペイン語・英語の講師のAliとドライバー兼ガイドのHennyと、みんながジープと呼んでいる4WD(すべてトヨタか日産でサンドバギーとして使うにはタフな日本車がいいのだそうです)に分乗して出発です(写真1、2)。
まるで他の惑星に来たみたいな荒涼とした大地Moon landscapeを車で約1時間走ったのですが、この場所はSF映画で火星や月のシーンを撮るためによく使われるそうです(写真3)。砂漠でカメラやスマホに少しでも砂が入ると故障の原因になるので、特に砂丘ではジップロックに入れたまま撮影しました。その後、ナミブ砂漠の大砂丘デューン7砂丘に行き、1000年以上の生きる不思議な植物ウェルウィッチア(和名はなんと奇想天外というそうです)を観察しましたが、ただの普通の植物にしか見えないので、写真は割愛します。ここでは水晶やアメジスト(紫水晶)がいろんなところで見つかります。大理石やグラナイト(御影石)も豊富で輸出していますし、磁石を砂の中に入れればたくさんの砂鉄が付いてきます。聞くところによるとナミブ砂漠の赤色は鉄を含んでいるかららしいのです。ほかにもナミビアではウラニウム、ダイヤモンド、金、亜鉛、リチウムが豊富で輸出しているらしいのですが、なんでUAEのような裕福な国になれないのでしょう?ナミビアは決して豊かな国ではありません。
砂漠だからもちろん雨は少ないので、塩を海水から作っています。日本でも数十年前までは香川県などに塩田がありましたが、非常に安価に塩を作れるので、広大な塩田と製塩工場がありました(写真4)。海には現地の人たちがラグーンと呼ぶ干潟があり、多数のフラミンゴが生息しており、夕焼けをバックに写真を撮ることができました(写真5)。
2月27日には南アフリカ有数の都市、ケープタウンに午前6時に寄港する予定でしたが、ケープタウンの港は風速25m以上の強風のため、寄港許可が12時になってもなかなか下りないのです。オプショナルツアーも中止になったり、返金したりで大混雑する中、ようやく上陸許可が下りたのが午後2時。帰船リミットは午後7時なので、降りてすぐに観光会社を捜して英語で交渉開始です。こういう時の旅行会社ではぼったくりはないのですが、これまでに交渉制のタクシーやお土産屋のぼったくりはよ~くありましたが、値切れば半額どころか1/4以下価格になりました。このツアーは1人1800ランドだったのが6人集めて、1人1200ランド(9600円)にディスカウントしてもらいました。時間は4時間しかないので、ケープペンギンのいるペンギンコロニーやテーブルマウンテンに行く契約で出発です。英語のできる人がいない場合は僕はいつも助手席に乗って、通訳係を受けもつことになります(写真6)。
まずは1時間かけてボルダーズビーチに自然に生息するアフリカペンギン(通称ケープペンギン)を観察です(写真7)。
港での情報の通り、強風で細かい砂が顔にあたって痛かったです。裸眼だと目の中に砂が入ってしまうので、眼鏡をしていてよかったと思いました。帰りは事故車のための大渋滞(これは日本でもよくありますね)で、事故現場をすぎればスムーズに動きましたが、ドライバーのOmarの情報によるとテーブルマウンテンに登るケーブルカーは強風のためストップしているとのことなので、市庁舎に向かいました。通常は市庁舎のような建築物には興味がない僕ですが、ここでは若くしてアパルトヘイト運動に身を投じて、黒人の公民権を得るために戦い、国家反逆罪で終身刑となって27年間も刑務所に入れられ、釈放されてすぐにアパルトヘイト撤廃に尽力し1994年に南アフリカ初の全人種参加した普通選挙で勝利して大統領になったネルソン・マンデラさんが市庁舎前の公園にいる10万人の支持者の前で演説する等身大の像を見ることができました(写真8)。南アフリカでは今でもマンデラ元大統領は国民だれからも愛されているのです。残念ながらテーブルマウンテンに登ることはできませんでしたが、やはりテーブルのようなまっ平らな山ですね(写真9)。帰途はカラフルな街並みがみえましたが(写真10)、ここはかつては白人の居住区で、今では多人種が住んでいますが、裕福な人たちが住む地区です。
イグアスの滝はほんとうにすごいらしい
ピースボートに乗っている人たちは旅のベテランが多く、その人たちからいろんな情報を耳にします。世界3大の滝、つまりナイアガラの滝、アフリカ大陸のヴィクトリアの滝、そして南米のブラジルとアルゼンチンの国境にあるイグアスの滝(写真1)を僕はどれも見たことがありませんが、3つとも見たことがある、あるいはそのうち2つを見たという方が少なからずいるのです。その人たちの意見を総合するとナイアガラは広いだけで高さがない、ヴィクトリアの滝はナイアガラよりもすごく水量も多いが、やっぱり一番衝撃的なのはイグアスの滝ということで一致していたと思います。アメリカのエレノア・ルーズベルト大統領夫妻がイグアスの滝を訪れた際、夫人が「My poor Niagara… (かわいそうなナイアガラ…)」と言ったとか・・・・。調べてみるとアルゼンチン側にある最大の瀑布である「悪魔の喉笛」は高さ82m、幅150mのU字型で長さ700mに亘ります。
ただしピースボートのイグアスの滝のオプショナルツアーは1人50万円以上と、とても高いのと、日本人ツアーガイドがいるのではなく、英語ツアーガイドの翻訳してくれるスタッフが1人いるだけで、その人の持っている旗に数十人がついていくのです。僕はマチュピチュのツアーを自分でネット予約したので、僕たち2人だけのためにマチュピチュにとっても詳しい英語ガイドのウォルターさんが2日間同行をしてくれました。だからとても安く楽しめ、勉強することができました。
船内でイグアスの滝のツアーを予約したが、行けず残念無念~
大自然の大好きな僕たちはイグアスの滝に行きたい!という気持ちが募り、そのため旅に出てから、つながりにくいインターネットをつなげて、①ブエノスアイレス発着のイグアスの滝2泊3日のコースの中でリーズナブルかつ、内容の濃いものをTripAdviserやExpedia、VELTRAなどのサイトを比較して予約、②滝の見学後にブエノスアイレスからリオにいる船に合流するためブエノスアイレス発、リオ着の飛行機をSkyscannerやExpediaなどのサイトで比較して最安値のものを予約、③空港から近いブエノスアイレスの4つ星ホテルをExpedia、トリバゴ、Hotels.comを比較して1泊1人1万円ちょっとのものを予約(日本よりかなり安くて30㎡あるものもある)、という3つのステップを踏んで、イグアスの滝ツアーを自分で予約したのです。1日目は滝の数は少ないけれど、1つ1つの滝が大きいブラジル側から、そして2日目は大小無数の滝があって、「悪魔の喉笛」を上から見下ろすことがでるアルゼンチン側から滝を見に行くツアーです。
ところが僕が大きなミスを犯してしまいました。ペルーのカヤオからマチュピチュに行くのには、飛行機に乗ったりホテルに泊まるため、ピースボートのレセプションに預けているパスポートが必要になりますが、それは前日にレセプションで申請すればよかったのです。だからブエノスアイレスに着く2日前にレセプションに行くと、「下船する寄港地の入港予定日5日前までに申請手続きをしないとパスポートは渡せない」というルールがあるということで強く断られました。まさに青天の霹靂ですが、乗員に配られた定款のような本には明記されているそうです(こんな本、渡されているけど誰も見ないはずです)。泣きそうになるくらいのショックでしたが、仕方なく旅程をキャンセルしました。30万円の金額が戻ってきません。でも後で、他の方から聞いた話では前日であっても、しつこく交渉したらパスポートをもらった人がいるそうです。これを聞いてより無念さが募りましたが、終わったことは仕方ないです。高い学習費を払って勉強させてもらいました。滝に行った人に聞くとみんな一様に「ほんと、すごかった!」と言っていました。ああ、残念!
リオのカーニバル狂騒曲
船は2月7日にアルゼンチンの首都ブエノスアイレス、翌日にウルグアイの首都モンテビデオに1日ずつ停泊しました。ブエノスアイレスは観光地ではありませんが、8か国語の案内付きの2階建てバス(写真2)に乗って1周約3時間半で何度も乗り降り可能な観光バスに乗って市内を周遊し、夜には船内でアルゼンチンタンゴのショーを観劇しました(写真3)。南米では比較的安全なモンテビデオではゲバラも愛したというマテ茶のセットを購入し(写真4)、とてもおいしいチョリパン(牛肉野菜をパンで挟むサンドで、パンも炭火のような囲炉裏で焼く)という料理を楽しみました。
でもこの旅のメインイベントは2月11日から13日まで停泊するリオデジャネイロです。リオのカーニバルの最大の催しであるサンバのトップチームによるパレードは、1部リーグの本選が1日6チームずつ2月の11,12日の2日にわたり開催されるのです。まさに世界最大の祭典のリオのカーニバルに参加するためにこのピースボートの南半球の旅行プランが建てられていると言っても過言ではありません。
リオのカーニバルは夜22時から両側にアリーナ席(野球場の内野席みたいな座席でピースボートのオプションでは730,000円)、スタンド席(野球場の外野席みたいなコンクリートの座席でピースボートでは129,000円と高い)の間の700mの道路を1チーム85分かけて朝6時ころまでパレードをします(写真5,6,7)。山車、踊り、サンバのリズム、音楽など10項目によって審査され、最優秀チームを決め、最下位チームは2部リーグと入れ替えになるシステムです。僕は安い方のスタンドで見ましたが世界最大の祭典というだけあって、そりゃすごかったです。生涯で一番写真とビデオを撮りまくりました。サンバの強烈なリズムと唄、ダンサーの踊り、山車、花火、照明、たぶん1チームで数千人以上の行進など、そりゃ誰でも生涯に一度はみるべき価値があります。僕は午前3時くらいで、翌日の予定のことも考えて船に帰りましたが、何もなければ朝まで楽しんでいたかもしれません。
リオデジャネイロは巨大なキリストの像(写真8,9)が絶壁の崖の上に立っていますので、その世界3大美港として景色の良さはよく知られていますが、危ない南米の中でもスリだけでなく強盗、ピストルを使った殺人もある「とびきり危険な街」でもあります。カーニバルがあるからなおさらかもしれませんが、港を出ると昔の大阪の
通天閣あたりのように、尿のにおいが強く、多くの人が半裸の状態でたむろし女性も男性も多くがTバック姿です。少人数で歩くと危ない街だということがすぐにわかりますが、街としては全長4kmで砂浜の幅も広いコパカバーナビーチや、有名なボサノバの曲「イパネマの娘」で知られるイパネマビーチなど、とてもきれいな白砂の海岸が続き、キリスト像のある「コルコバードの丘」から見える景色は絶景でしたし(写真10,11)、シュラスコなどの料理やフレッシュフルーツジュースはとてもおいしいですし、人々はとても陽気でエネルギッシュです(写真12)。
カラカス市民オーケストラとの別れ
2月15日には南米最後の寄港地サルヴァドールに立ち寄り、バルパライソで乗船してきたベネズエラのカラカス市民オーケストラのメンバーがここで降りますので、前日の夜、さよならコンサートが開催されました。クラシックではなくマシュ・ケ・ナーダなど南米の名曲の数々や「未来へ(キロロ)」「愛をこめて花束を(Super Fly)」「世界に1つだけの花(SMAP)」などの日本曲も多数演奏していただき、最後には乗客との合同演奏・大合唱で会場は大きな拍手に包まれました。指揮者やメンバーも涙していました(写真13)。僕たちももらい泣きしそうでした。ほぼ3週間をピースボートのメンバーと共有(一緒に演奏、食事なども同じ場所で)できて友人になれたのは彼らにとっても私たちにとっても貴重で大切な時間だったのだと思います。
南米は黒人奴隷を使った資源の収奪と、ヒトの搾取の歴史
ヤクルトの元監督のラミレスさんの出身地であるベネズエラは世界有数の産油国でありながら、非常に貧困に悩んでいる国です。ピースボートとの付き合いは長く、今も楽器や文具などを貧困国に寄付しています。南米は長い期間、スペイン、ポルトガルの植民地で、アフリカの黒人奴隷(これによって一部の富裕層がさらに裕福になった)を輸出入する中継基地として旧首都であるサルヴァドールは発展してきました。その歴史は資源の収奪と、ヒトの搾取の歴史と言ってよいでしょう。一部の大金持ちは自家用ジェットを持ち、メイドを多数雇い、ヘリコプターで出勤するような日本では考えられないような富裕層もいますが、ほとんどは1日の食糧を得るのもやっとの貧困層です。だから強盗や殺人がよく起こりますが、僕たちの接した南米の方はほとんどがとても明るく親切で、面倒見がよかったです。ペルーの港湾地区のカヤオで歩いていると「殺されるくらい危ないところだからここから速く立ち去るように」と親身でアドバイスをしてくれ、タクシーも手配してくれて僕たちは無事にピースボートに帰ることができました。彼らの親切を決して忘れません。
英語ツアーガイドとポケトークのすすめ
これらの大都市でのツアーは、前もって予約しておかなくても港のそばにツアーガイドがあるので、英語の分かる人であれば英語ツアーに参加する方が、ピースボートの用意しているオプショナルツアーに参加するよりも内容も充実していて、価格も1/3~1/2以下とずいぶん安いです。南米ではホテルのフロントやツアーガイド以外で英語を話せる人はとても少なく、タクシーの運転手もレストランでもまったく英語は通じないことが普通です(How much?も通じない!)。しかもタクシーはメーター制よりも交渉制の方が多いのです。そこで大活躍したのがソースネクストが販売しているポケトークです(写真14)。スペイン語でも国によって単語などがかなり異なるので、55言語に対応しているポケトークを1つ持っていれば、とても便利です。
ということで、今、船はサルヴァドールを旅立ち、8日間かけて大西洋を通ってアフリカ大陸の砂漠の国ナミビアに向かっています。
チリの氷河に行く
バルパライソを出港してから、太平洋は波が非常に高く、船は大いに揺れ、空には厚い雲、海は色を失い、鉛色になって強風が続き、気温は徐々に下がっています。季節は南半球なので、夏とはいえこの船旅で、一番寒いところに来ました。平均最高気温は13℃、最低気温は6℃です。
船は荒れた太平洋を避けて内海に入り(地図を見ると一見、大きな河のように見えますが、瀬戸内海のように穏やかな内海なのです)、1月28日15時に海峡に入り、夜間は内海を通ってフィヨルドを進み(図1)、1月29日の早朝にはピオⅪ世氷河の間近に到達し(写真1-2)、朝7時にピースボートの最上階で巨大な氷河をバックに記念撮影。ピースボートは夏でも溶けないこの氷河を見るためにこの長い内海を通ってきたのでした。
この船旅は2月11日にリオデジャネイロに着きますが、その時がリオのカーニバルの最盛期なのです。ピースボートでもブラジル情報やカーニバルの歴史を学び、実際にカーニバルに参加したダンサーのダンス(写真3)を楽しみましたが、その迫力のすごいこと。本物のカーニバルにはあまり興味のなかった僕たも余ったスタンド席のチケットを購入しました。
南米大陸最南端の街プンタアレナスに停泊
その後、内海水路を戻って、1月30日、31日にはチリ側の南米大陸の最南端でマゼラン海峡に面したプンタアレナスに停泊しました。プンタアレナスは年間を通じて風が強い街ですが、バルパライソと同様、パナマ運河開通までは、太平洋と大西洋を結ぶ重要な航路であった同海峡を航行する外洋船の寄港地として繁栄したそうですし、最果てなのでチリの流刑地でもありました。今は人口13万人の牧羊で得られた羊毛や羊肉の拠点になっています。海岸には海鵜、カモメとたくさんのマゼランペンギンがいました(写真4)。ここは人口13万人とは思えないほど、大きなショッピングモ
ール(この中にはユニクロの看板も見ましたが、なぜかGAPなどの他メーカーと一緒で、お店の中にはユニクロ商品は皆無でした: 写真5, 6)やスーパーマーケットが港の近くに多く、どのお店の店員や警備員の人たちもとっても優しい人ばかりでした。
そしてこれまでの、あるいはこれからの南米・アフリカの中ではかなり安全な街です。ただし英語の通じる人は全くいなかったため(これは南米各国で言えます。ホテルのフロントはさすがに英語を話せますが、タクシーの運転手やお土産屋さんの店員もまったく英語を話しません)、ポケトークが大活躍してくれました。僕はこの時、旅行者下痢症でしょうか、2日間下痢が続いていたのですが、ロペミンⓇを持っていなかったので、ショッピングモールの薬店でロペラミドを購入。小さな2mg錠(日本の倍量)が6錠入って3,990ペソ(638円)とリーズナブルな価格でした(写真7)。それとチリ人が好むMerquenという辛みの調味料と好物のマシュマロを2袋(1袋150円程度で日本とほぼ同じ)購入しました。チリワインも欲しかったのですが、なぜかこのあたりのスーパーマーケットにはチリワインどころかビールも売っていなかったので翌日はワインを買うために港から6km以上離れたUnimarcという大きなスーパーに行きました。南米では日本で見られない種類のバナナを多く見ました。クスコでも赤いバナナや太目のバナナを買って食べましたがとてもおいしかったです。ここでは緑のバナナが売っていましたが(写真8)、店の人の話によると、これは料理油のバナナなので、そのまま食べてもおいしくないそうです。その後は船内でなくしたギター用のカポタストを楽器屋さんで購入しました。僕の持っているマーチンのバックパッカーというギターのネックは太いので、クラシックギター用のものでないと合わないのでです。ずっと他人のカポを借りていましたので、ちょうどよいものがあって本当によかったです。天気は午前中の霧雨はやみましたが、ほんとプンタアレナスには風の強い街でした。でもカラフルな家が並ぶ素敵な街でもありましたし(写真9)、この辺りの日の出は6:20、日の入りは21:44と1日が長く(白夜のよう?)、1日を長く楽しめるのはとてもお得な感じがしました。
南米最南端の街ウシュアイアでパタゴニアトレッキング
2月2日にはアルゼンチン側のフエゴ島に位置する南端に位置する人口6万人のウシュアイアに停泊しました。この辺りは南米大陸のプンタアレナスよりも200kmも南にある島で、いわゆる「世界の果て」でもあり、1人200万円以上もするオプショナルツアーの南極クルーズに行く人たちもこの街を起点にします。ここもプンタアレナス同様、アルゼンチンの流刑地としても有名で、刑務所は観光地になっています(写真10)。日本の網走みたいですね。ブンタアレナスよりもやや寒く、この旅で最も寒いところです。ウシュアイアに着いた時から、見渡す限り、険しい山々があって(写真11)、まさにあの防寒・登山ウエアで有名な「パタゴニア」のマークのような形の山々が連なっており、初めてスイス・オーストリアのアルプスを見た時のような衝撃でした。
ここでは船内のオプショナルツアーのパタゴニアのミニトレッキングを選択しました。僕たちは基本的には船内のオプショナルツアーは高いのであまり参加しませんが、ウシュアイアという小さな街を起点とするパタゴニアツアー自体がウェブ上では見つからなかったので仕方ありません。ピースボートでは高齢者が多いためか、トレッキングといっても息が切れるようなきつさはありませんが、風景はどこを見ても、さすがに美しいです(写真12)。
時々、上高地や尾瀬のような湿地帯や池がありましたが、これはアルゼンチン海軍が1940年代に毛皮で産業を育てようとビーバーを連れてきたのですが、彼らが川をせき止めて池を作ったために、水に弱い木が枯れてこのような池ができたとのことで(写真13)、せっかくビーバーが作ったダムを、住民が壊して森林破壊を食い止めているそうです。ビーバーはその後、毛皮にもならず、天敵もいないため数は増えましたが、ヒトと共存しているそうです。ウシュアイアはタラバカニがおいしく、列車「世界の果て号」、世界の果て博物館、堺の最果て駅、世界最南端の郵便局があり、アラスカから続くパンアメリカンハイウェイの終着点です。
ピースボートは2月3日より大西洋に出て南米大陸の東岸のアルゼンチン、ブラジルに向かいます。2月7日には世界最大のイグアスの滝、そして2月11日にはリオのカーニバルが待っています。
第 32回 基礎から学ぶ薬剤師塾 Q&A
初心者向けシリーズ④ 降圧薬を極める
セントラル病院 薬剤科 野村温子先生
Q .サイアザイドが腎機能低下者に大きな降圧効果をもたらすのは、ループ利尿薬と併用した場合のみで単独での使用にはあまり効果がないと考えてよろしいでしょうか?
A.一概に「サイアザイドが腎機能低下者には効果がない」とは言えませんが、一応CKD診療ガイドライン2023では重度腎障害以上(G4, G5)では効果が減弱するため、使用は推奨されず、半減期が延長するので長時間作用型のループ利尿薬が体液貯留患者にサイアザイドに代わる降圧薬としても用いられます。
サイアザイドの使用目的は利尿作用に伴う降圧作用です。ループ利尿薬は利尿薬ですが、サイアザイドとループの併用は高度腎障害以上の患者でも「強力な利尿効果・降圧効果」をもたらすことが報告されています。
海邦病院 後藤夏美先生
Q .ARBと比較して低血圧の副作用はあるものの、腎イベントや高カリウムの副作用が少ないARNIは今後75歳以上の高齢者の降圧剤の一手になりうるのでしょうか。
A.ARNIは確かに腎イベントや高カリウムの副作用がRAS阻害薬に比し少なく、しかも高齢者でリスクの高い心不全に対する効果も高いので、高齢者には、使いやすそうですね。でもRAS阻害薬にNa利尿ペプチドの作用が加わるため、降圧作
日本調剤 中島鉄博先生
Q .RAS阻害薬と利尿薬の併用によって蛋白尿はより減少していましたが、腎機能は悪化してしまうのは虚血やそれに伴う糸球体内圧の減少が影響として大きいからでしょうか。また、時間軸をより長期で見た場合にも腎機能低下の傾きはより大きいと予想されますか。宜しくお願いします。
A.以前から言っていますように利尿薬は脱水による腎血流量の低下、RAS阻害薬は糸球体内圧の低下から蛋白尿(-)の患者では腎保護のメリットよりも腎機能低下が心配になります。ただし、蛋白尿(+)の患者に対してどちらもうまく使えば、つまり脱水、糸球体内圧の低下を予防するための腎機能モニタリング、電解質などのモニタリングのしっかりした医師が使い、薬剤師もきちんとした脱水防止のための服薬指導を行い、NSAIDsとの併用に対してきちんと疑義照会すれば、より強力な腎保護作用が期待できると思います。ただし、腎臓内科医以外の医師、特に他科の開業医の先生方がRAS阻害薬と利尿薬を併用する場合、あまり血液検査・尿検査をしていただけないようであれば、腎保護よりも急性腎障害のリスクの方が心配になります。
腎機能が低下してきて脱水のリスクが高まる後期高齢者は、CKD診療ガイドライン20