僕はエリートじゃない。
 前から何度か言ったことがあるかもしれないけれど、小学校の時の成績はひどかった。4年生になるまで3人に1人は取れるはずの「良い」の評価が1つもなかった。いつも先生の話すスピードが速いため、理解力がついて行けなかった。割り算のやり方がさっぱり理解できなくてトラウマになったこともあった。何をやっても遅い、運動も何をやっても全くダメな生徒ということでいつも名指しで担任にいじられた。そのせいか給食で食べるスピードを上げることに熱中し、1~2番に食べるのが早かった。こんなことでしか1番になることができなかったのだが、今にして思えば、この早食い癖は健康には良くないなと思う。ただ僕は子供のころ、よく妄想するのが好きだった。すごい発明家になる妄想、総理大臣とディベートする妄想、それと夢中になると寝食を忘れて熱中する子供だった。
 でも中学に入り丁寧に教えてくれる先生の成績は良くなった。クラス40人中23番だった1年生の1学期から徐々に10番内に入り、卒業時には5番内に入るようになり、小学校の時には普通科に入れるとは思いもしなかったが、一応進学校の普通科の高校に入れた。今思うとそんなに一流校ではないが小学校の時には僕にとってはあこがれの高校だった。同級生たちは「小学校のころからひどい成績だった平田が何で合格したの?」と不思議がっていた。15430928_s.jpg
 中学校や高校では運動音痴の僕にとってクラスマッチは本当に嫌だった。「平田のせいで負けた」とは言われなくても、そんな視線を感じて殻に閉じこもり、女子生徒とは全く話ができない、人前では全く話ができない、とても暗い高校生活だった。

大阪に来て20歳になって自分の考えを持てるようにはなった
 暗かった広島時代から大阪薬科大学に入学して大阪で下宿生活を始めるといろんな友達ができたし、先輩たちにもかわいがってもらった。でも19歳までは葛藤、苦しみ、自己否定、悩みだらけの情けない毎日だった。このころ人生について考えるようになって高野悦子の「20歳の原点」などの本をたくさん読んだ。自分のオリジナルの考え方を全く表現できない子供だったが、先輩や友人の助言をもらって自分自身の考え、自分自身の個性、独自性、アイデンティティが芽生え始めたのは20歳の時。

100床以下の個人病院で埋もれていた誰も知らない20年近くの薬剤師時代
 それ以来の平田の考え方は65歳になった今でも基本的には成長していないと思う。一個人としては物忘れがひどく、よく失くし物をし、全く運動神経がなく、方向音痴の頼りない人間でしかない。ただ好きでい続けること、少年のように夢中であり続けたこと。誰かの影響で「何かを始めなくっちゃ」と思うようになってドキドキワクワクすることがあると熱中する性格だった。いわゆるオタクです。40歳になってやっとわかったことは熱中すると集中力が出ることだ。いつもは出ない能力がその集中力のおかげで出せるようになる。15457686_s.jpg
 誰もが時がたてば仕事には慣れる。そして時間がたてばある程度の技量も身につく。でも人並外れて伸びる人になれるかなれないかは「何のためにやっている」かを理解できているかどうかの違いだと思う。僕の場合、40歳になって「目の前の患者さんのために」と思ってやると本当に重要な仕事をやっているのだと思えるようになって、かけがえのないものに対して集中することができるようになった。やっと自分自身の考えによってかけがえのないもの、つまり「薬剤師という仕事」に夢中になれたことが自分自身の宝になった。ただこのようにして年月を積みかさねることによって成長しているように見えているだけかもしれないが・・・。本当の大人になるのに20年もかかった。
 やらなかったことで後悔することはすごくたくさんあるが、やったことに対して後悔したことはほとんどない。トライして失敗したことに対する後悔よりもやらなかったことによる後悔の方がはるかに悔しいと思う。


プロフィール

平田純生
平田 純生
Hirata Sumio

趣味は嫁との旅行(都市よりも自然)、映画(泣けるドラマ)、マラソン 、サウナ、ギター
音楽鑑賞(ビートルズ、サイモンとガーファンクル、ジャンゴ・ラインハルト、風、かぐや姫、ナターシャセブン、沢田聖子)
プロ野球観戦(家族みんな広島カープ)。
それと腎臓と薬に夢中です(趣味だと思えば何も辛くなくなります)