RAS阻害薬+ SGLT2阻害薬+MRAのトリプルセラピー この続きは登録ユーザーのみ閲覧できます
MRの過剰活性化によって起こる腎機能悪化・心機能悪化 この続きは登録ユーザーのみ閲覧できます
糖尿病性腎臓病DKDにおける2つのフィネレノンの大規模試験 この続きは登録ユーザーのみ閲覧できます
慢性心不全治療のFantastic Four この続きは登録ユーザーのみ閲覧できます
最近、SGLT2阻害薬の話ばかりだったので、少し話題を変えてみましょう。今日はミネラルコルチコイド受容体拮抗薬(MRA:Mineralocorticoid receptor antagonist)の話。でも、ステロイド骨格を持つスピロノラクトン、エプレレノン、そしてステロイド骨格を持たない第3世代のエサキセレノンはいまだに活躍していますが、多くの報告が心保護作用としてのMRAです。腎臓関係の学会では血清カリウム濃度を上げにくいMRA=ケレンディアⓇ(フィネレノン)が注目されています。さすがジヒドロピリジン系Ca拮抗薬のニフェジピンを合成したバイエル薬品の製造だけあって、アルドステロンの構造を工夫して作られたのではなく、ニフェジピンと同じジヒドロピリジン骨格を持っています(図1:赤丸がジヒドロピリジン骨格)。
非ステロイドMRAフィネレノンの腎保護作用への期待
明日より4回にわたり、さらに詳しく話していきます。
2月25日「慢性心不全治療のFantastic Four」
2月26日「糖尿病性腎臓病DKDにおける2つのフィネレノンの大規模試験」
2月27日「MRの過剰活性化によって起こる腎機能悪化・心機能悪化」
2月28日「RAS阻害薬+ SGLT2阻害薬+MRAのトリプルセラピー」
40歳の時に、ようやく100床未満の小さな病院でも病棟活動が可能になって薬剤師の仕事に夢中になった。はじめて会う患者さんの情報を下調べし、知らなかった薬や病態について知ることがうれしくて仕方なかった。いろいろと調べ物をしたりスライドを作成したり、発表原稿を書いているうちに、気が付けば最終電車がなくなったので、病院に泊まることになり、それが常習化して、病院に寝袋を持って行って薬局で寝泊りするようになった。でも病院が薬剤師としての仕事ぶりを認めてくれて、給与が上がり、昇進できた。そして自分の部屋を持てるようになったので、折り畳みベッドを買って持ち込んだ。おかげで深夜2時まで大好きな薬剤師の仕事ができるようになり、朝、目覚めて8時半には患者さんの様態を確かめに病棟に行くことができた。そのうち、学会でも認められ(森ノ宮・ピッコロホールで透析患者さん1000人が集まった講演会、レジェンドの秋澤先生と(52歳?))、名前が知られるようになって評議員や理事を務めるようになり、総説や本の執筆依頼が来るようになった。50歳を超えたころには、臨床研究で英語論文を数本書いていたので、まったく基礎実験をすることなく何の苦労もせずに博士号を取れた。そして腎臓の専門家の多い米国オレゴン州ポートランドに国費留学が決まり、熊本大教授に就任することを伝えると、客員教授待遇で留学でき、自分の部屋ももらえた。
今思うことは、40歳になって仕事に夢中になれたってことは、遅かったかもしれないけれど本当に幸せだっていうこと。自分のこの「夢中になる」性格がギャンブルや変な薬物なんかにはまらなくてよかった。本当に良かった。
金曜日の夜、論文を書き、図表を作っていると「あ、夜が明けてしまった」ということが今でもある。でも楽しいんだから、ま、いいか。
35歳の時にゲームのテトリスに夢中になった。ウイークデイなのにテトリスに夢中になって気づけば深夜3時。翌日の仕事に支障をきたすようになったので、これ以降、自分は夢中になりすぎる性格だから、テレビゲームは一切しないと心に誓った。
油絵にも夢中になった。でもデッサンはまあまあだけど、色彩感覚に劣っていると気づきやめた。
スポーツに関しては何をやっても駄目だと劣等感を持っていたけど長距離走はあまり運動神経が関係しないと思って始め、27歳(1981年 六甲山の10kmレースで上り坂を走る(27歳))の時にフルマラソンで3時間20分を切れるくらいまで速くなった。運動音痴の僕としては、これはすごいことだったけど、基礎体力が伴わないのに、夢中になって練習しすぎて腰痛、ひざ痛、股関節痛で全く走れなくなった。再びまともに走れるようになるまでに40年近くかかった。70歳の今はなぜか走れるようになりました。60歳以降の記録は69歳の時の4時間20分台なので、運動音痴の僕としては上出来。なので、今も走ってます。
病院で作った草野球チームで試合に出るようになったが、1年目は打率1割台(1982年 白鷺病院の草野球チームでは1番バッター(28歳))。でも阿倍野のバッティングセンターで毎週、土曜日に300球打ち込んだ。30球で300円だから3000円も毎週使って練習し、4割近くの打率を残せるようになった。これはあらゆる運動、特に球技の苦手な僕にとってはあり得ないくらいの好成績だったけど、マラソンで痛めた脚腰の痛みがひどくなり、断念。
小学校から中学1年くらいまでは僕の成績は中の下で体育や運動会、音楽なんかは大の苦手だった。おかげでよくいじめられてたので、強いものにあこがれて東宝のゴジラ映画に夢中になった。ゴジラだけではなくすべての怪獣についての知識を身に着けた。
中学・高校の時にアントニオ猪木に夢中になった。友達にそれを言うと馬鹿にされそうだったので、1人で馬場・猪木を広島県立体育館に見に行った。高校2年の時に猪木は日本プロレスをクビになって独立。新日本プロレスファンになる。これは50歳くらいまで続いた。高校生のころの僕は女子と話すことが全くできなかった。自信が全くなかったから(1972年 自信がなかった18歳のころ)。
大学生の時にパチンコに夢中になりかけた。でも25歳になるまでに「勝てるわけがない」と知って、全く興味なくなった。
4年生の時にギターに夢中になった。国家試験の勉強もしたけれどスリーフィンガーの練習も毎日やったっけ(1974年 父が質屋で2000円で買ってきたガットギターを弾く(22歳))。初任給でポールサイモンが使っていた憧れのギルドのギターを買い、その後30万円するTEAC社の4チャンネルオープンリールテープデッキを買ってギター演奏を毎日録音、25歳で40万円するマーチンHD28を買い、つい最近まで弦楽器は30本くらい買ったかも?あ~ぁ、なんという無駄遣い。嫁からも「また買ったの?どこに置くのよ?」と怒られてばかり。だってそんなに上手じゃなかったのに(集め過ぎた楽器類(反省))。 70歳になった現在、独立するためにやらなきゃならない仕事が増えてギターが弾く時間が無くなったため、少し興味は失せたけど、いつ再発するかわからない。
局所作用を示すロキソプロフェンパッチによる2件の急性間質性腎炎
PubMed検索では「Esflurbiprofen patch×AKI」、「Ketoprofen patch×AKI」では全くヒットしませんでしたが、「Loxoprofen patch×AKI」で見つかったのが、76歳の女性にロキソプロフェンパッチ投与によりネフローゼレベルの蛋白尿を伴う微小変化型の腎炎・間質性腎炎を発症した2014年の日本の報告です(図2)3)。 この続きは登録ユーザーのみ閲覧できます
フルルビプロフェン錠とエスフルルビプロフェンテープの薬物動態の違い
NSAIDsはRAS阻害薬、利尿薬と併用するとTriple Whammy処方と呼ばれ、高齢者の急性腎障害(AKI: acute kidney injury)のリスクになります。ロコアⓇテープやジクトルⓇテープは経皮吸収されて全身作用を示すNSAIDsの貼付薬でいずれも重篤な腎障害患者には禁忌になっています。ではこれらの薬による全身性副作用、つまり胃障害や急性腎障害はあるのでしょうか? この続きは登録ユーザーのみ閲覧できます