35歳の時にゲームのテトリスに夢中になった。ウイークデイなのにテトリスに夢中になって気づけば深夜3時。翌日の仕事に支障をきたすようになったので、これ以降、自分は夢中になりすぎる性格だから、テレビゲームは一切しないと心に誓った。
油絵にも夢中になった。でもデッサンはまあまあだけど、色彩感覚に劣っていると気づきやめた。
スポーツに関しては何をやっても駄目だと劣等感を持っていたけど長距離走はあまり運動神経が関係しないと思って始め、27歳(1981年 六甲山の10kmレースで上り坂を走る(27歳))の時にフルマラソンで3時間20分を切れるくらいまで速くなった。運動音痴の僕としては、これはすごいことだったけど、基礎体力が伴わないのに、夢中になって練習しすぎて腰痛、ひざ痛、股関節痛で全く走れなくなった。再びまともに走れるようになるまでに40年近くかかった。70歳の今はなぜか走れるようになりました。60歳以降の記録は69歳の時の4時間20分台なので、運動音痴の僕としては上出来。なので、今も走ってます。
病院で作った草野球チームで試合に出るようになったが、1年目は打率1割台(1982年 白鷺病院の草野球チームでは1番バッター(28歳))。でも阿倍野のバッティングセンターで毎週、土曜日に300球打ち込んだ。30球で300円だから3000円も毎週使って練習し、4割近くの打率を残せるようになった。これはあらゆる運動、特に球技の苦手な僕にとってはあり得ないくらいの好成績だったけど、マラソンで痛めた脚腰の痛みがひどくなり、断念。