40歳の時に、ようやく100床未満の小さな病院でも病棟活動が可能になって薬剤師の仕事に夢中になった。はじめて会う患者さんの情報を下調べし、知らなかった薬や病態について知ることがうれしくて仕方なかった。いろいろと調べ物をしたりスライドを作成したり、発表原稿を書いているうちに、気が付けば最終電車がなくなったので、病院に泊まることになり、それが常習化して、病院に寝袋を持って行って薬局で寝泊りするようになった。でも病院が薬剤師としての仕事ぶりを認めてくれて、給与が上がり、昇進できた。そして自分の部屋を持てるようになったので、折り畳みベッドを買って持ち込んだ。おかげで深夜2時まで大好きな薬剤師の仕事ができるようになり、朝、目覚めて8時半には患者さんの様態を確かめに病棟に行くことができた。そのうち、学会でも認められ(森ノ宮・ピッコロホールで透析患者さん1000人が集まった講演会、レジェンドの秋澤先生と(52歳?))、名前が知られるようになって評議員や理事を務めるようになり、総説や本の執筆依頼が来るようになった。50歳を超えたころには、臨床研究で英語論文を数本書いていたので、まったく基礎実験をすることなく何の苦労もせずに博士号を取れた。そして腎臓の専門家の多い米国オレゴン州ポートランドに国費留学が決まり、熊本大教授に就任することを伝えると、客員教授待遇で留学でき、自分の部屋ももらえた。
今思うことは、40歳になって仕事に夢中になれたってことは、遅かったかもしれないけれど本当に幸せだっていうこと。自分のこの「夢中になる」性格がギャンブルや変な薬物なんかにはまらなくてよかった。本当に良かった。
金曜日の夜、論文を書き、図表を作っていると「あ、夜が明けてしまった」ということが今でもある。でも楽しいんだから、ま、いいか。