1.第1世代~第2世代セフェムの時代
筆者が薬剤師になった1977年、第1世代セフェムのセファメジンⓇ(セファゾリン、1971年発売)が飛ぶように売れていた。この当時の外科領域感染症は黄色ブドウ球菌が主だったからグラム陽性球菌に強い第1世代セフェムはよく効いた。そして1gのバイアルが3,000円以上の高薬価であり、仕入れ値は20~30%引きであったため、比較的清潔な手術でも1日3バイアルの予防投与をすると売り上げ10,000円/日、薬価差による純利益2,000~3,000円/日で予防投与として1~3週間、退院まで処方され、多額の利益(薬価差)が病院に入ってきた。
約10年後、グラム陽性菌をターゲットにした第1世代の乱用の影響でグラム陰性桿菌の大腸菌、肺炎桿菌が起炎菌の主役になってくると、グラム陰性菌にも効力を示すパンスポリンⓇ(セフォチアム、1981年発売。パンスポリンⓇが悪いのではなくこの当時、一番売れていたイメージがあるのがこの薬ということです)などの第2世代セフェムが登場し、この薬価が3000円以上になって、セファメジンⓇの薬価は2000円程度に下げられたため、より薬価差の高く儲かる第2世代セフェムを各社比較して、薬価差の大きいものを購入して、どの病院も相変わらず、2週間程度の長期間、予防投与と称して使い、1手術当たり3万円~5万円の利益を得ていた。
2.第3世代セフェムの時代
約5年後、グラム陽性菌には弱いが陰性桿菌に超強力な第3世代セフェムが台頭し、抗菌薬市場は第3世代セフェムの販売競争で荒れに荒れた。セファメジンⓇの薬価は1000円台に、第2世代セフェムは2000円台になったため、製薬メーカー各社とも薬価3000円以上の第3世代セフェムのモダシンⓇ(セフタジジム、1986年発売)、ロセフィンⓇ(セフトリアキソン、1986年発売)など数多くの第3世代セフェムを市場に載せた。中には「第1選択薬として広く使ってください」と緑膿菌に対するMICがその当時で最も低いファースト○○という商品名を付けて、売り込んだメーカーもあった。それを感染症の可能性が決して高くはない結石破砕後の感染予防にルーチン使用を勧めたのには猛反対した覚えがある。
3.院内感染MRSAの出現
そして1989~1990年、ついに市販の抗菌薬すべてが効かない耐性菌、グラム陽性球菌であるメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA:写真)による院内感染が蔓延し始めたのである。MRSAは抗菌薬が効かない院内感染、つまり入院しなければ罹患しない感染症としてこの当時、大きな社会問題になった。この時、MRSAの特効薬のバンコマイシンは偽膜性大腸炎治療薬としての内服薬(見た目は注射薬と同じバイアル入りで滅菌もされていた)しか認可されておらず、適応を無視して使われた患者には効果を示し、査定を恐れて低感受性の既存抗菌薬が使われた患者は亡くなっていたのではないだろうか。この当時、働き盛りの男性が感染症に罹患し、大学病院に入院して抗菌薬投与を受けたが最終的にMRSAの院内感染症に罹患して亡くなった方の奥様の書いた手記が出版されるなど、現行の抗菌薬が一切効かないMRSA感染症がテレビ、新聞でも取り上げられて大きな話題になった。慌てた政府は1990年アルベカシン注、1991年に塩酸バンコマイシン注をMRSA治療薬として認可した。そして黄色ブドウ球菌中のMRSAの割合が諸外国が10%程度であったのに比し、日本だけが特出して60%と高い耐性化が進行した(図)。「日本でのMRSAの割合はsixty percentだ」と言っても欧米人には「sixteenの間違いじゃないの」と聞き返される始末だった。MRSAの蔓延はおそらくグラム陰性菌にはめっぽう強いが、グラム陽性菌には第1・第2世代セフェムに劣る第3世代セフェムの多用・長期投与によるものと考えられた。
新しく広域であればあるほど薬価が高く、病院に利益をもたらすため、新しい広域セフェムは飛ぶように売れた。感染を起こしていない手術の予防投与にも……。製薬メーカーは第1世代から第4世代まで、より広域のセフェムの開発競争を行い、予防投与にも使用を勧めた。1980年代に一番売れた薬が抗生物質だった。
4.抗菌薬耐性を防ぐために
今は売上ベスト30に入る抗菌薬は全くないので抗菌薬の新薬の開発をやめるメーカーが続出してきていることが問題になっている。この耐性化の説は証明されたものではないが、この当時の専門家が言っていたものをまとめた。このころだったであろうか、WHOが以下の警告を発した。「薬剤耐性の増加により抗菌薬は(新規を含め)その役割を失いつつある。先進国での抗菌薬の無意味な処方量の増加、発展途上国での低用量の処方のいずれもが薬剤耐性菌の増加に関与する。」今回の例は術後感染予防投与と称して1~3週間、広域のセフェム系抗菌薬の「無意味な処方量の増加」だったのであろう。 1990年以降も新たに開発されたグラム陰性菌に強い、経口抗菌セフェムは7種類もあるが、皮膚軟部感染症の主役となるグラム陽性球菌に効果的な第1世代セフェムは新規性がなく、高薬価を付けてもらえないせいか、全く現れていない。そして薬価差によって儲かるシステムを変えるため(だけではないが)、医薬分業が推進され、抗菌薬適正使用のために各病院に感染防御チーム(ICT: infection control team)が結成され、院内感染防御対策としてスタンダードプリコーションが普及した。そして術後感染予防の抗菌薬投与の主流派は狭域の経口ペニシリンあるいは経口第1世代セフェムの術前1回投与に代わった。
このころの私は薬剤師として臨床業務ができず、病院の利益に貢献することにしか生きがいを見いだせなかった薬剤科長であった。誰もが広域で殺菌力の強い抗菌薬が素晴らしいものと信じて疑わず、率先して薬価差を追求していたころの本当に恥ずかしい話だ。
そして世の中はというと1990年代にバンコマイシン耐性腸球菌が出現して2000年リネゾリドが発売された。2010年以降の多剤耐性アシネトバクタ―の出現には2012年になってチゲサイクリンが緊急導入された。2000年以降の多剤耐性緑膿菌の出現に対しては2015年になって製造中止になっていた古い抗菌薬のコリスチンが復活した。これらの緊急導入には日本感染症学会、日本化学療法学会、日本環境感染学会、日本臨床微生物学会の専門4学会の提言によって早期導入が実現した。
5.感染防御チームICTから抗菌薬適正使用支援チームASTの結成へ
MRSAの院内感染の蔓延という反省から院内にICTが結成され、MRSAなどの耐性化や院内感染数の把握は検査部が、カルバペネム系、第4代セフェムのセフェピム(マキシピームⓇ)、超広域ペニシリンのピペラシリン/タゾバクタム(ゾシンⓇ)などの広域スペクトルの抗菌薬の使用状況は薬剤部がまとめ、管理栄養士が栄養状態に関する情報提供するなど、チーム医療が重要な時代に入り、栄養サポートチームNSTも結成されるようになった。
そして抗菌薬がほとんど開発されなくなった今、現行の抗菌薬をいかにして耐性化を防ぐこと、つまり抗菌薬の適正使用が重要な課題となってきて、診療施設内の「抗菌薬の使用制限」と「介入とフィードバック」するプログラム(ASP)を実践するためにAST(Antimicrobial Stewardship team:抗菌薬を正しく使う手助けをするチームでICTは感染防止という予防、ASTは治療に特化)が活動するようになった。