夢中で仕事をやってきた。そして定年間近の64歳になった。教員をやってきたから学生から悩みの相談を受けることもある。僕は学生時代の経験から、がんばれ!とはいえず、「ストレスに押しつぶされそうになったら、これから頑張れるようになるためにも、今は少し休んだ方がいいかもしれないね。それと何でも話の出来る友達や先輩に相談してみるのもいいよ。」ということが多くなった。「近頃の学生は脆い、メンタルが弱い…」、ととやかく言う人がいるが、いつの時代も学生は大変なのだ。僕の学生時代を思い出してみても一見、華やかなように見えていて、内心では心が激しく揺れ動いていた。こんな時代に出会った友達は何かしら同じ苦労を共有しているから、久しぶりに会うと昔話に花が咲く。一生の友達になれる。でもその大切な僕の友達のうち、数人は悲しいことに亡くなっている。
 実は僕は広島での高校時代、人前で話すことが全くできなくって、3年間、一度も女子とまともな会話ができなかったし、クラスで一番シャイな学生だった。これは極めて運動音痴、方向音痴、記憶力が鈍いことなどが、「何をやっても人の迷惑になる」という過度の不安につながって負のスパイラルに陥ってしまったことによるものだろう。このころの僕は頼りなく、リーダーシップをとれないどころか、人前に出て「失敗したらどうしよう」とネガティブに考えてばかりの少年だったのである。廊下に女子がかたまってワイワイガヤガヤしていると、その先のトイレに行きたいときも彼女たちを避けて、遠くのトイレに行っていたものだ。20181121.png
 大阪に出て下宿生活(風呂なし、共同トイレ、共同炊事場のほぼ長屋のようなもの)をすると共同生活のようなものなので、こんな極めておとなしい男の子にも、地方出身の友達ができるようになった。そして先輩たちが何も知らない僕にいろんな情報を教えてくれた。うれしかった。そして僕の同郷の広島の先輩から勧められるがままに古美術研究部、略称、古美研に入部した。そして古美研に入ると優しくて、あるいはかわいくてあこがれた女性先輩たちが僕に話しかけてくれて、少しずつ僕の「女性恐怖症」は緩解し、不器用ながらにも女性と話ができるようになってきた。そして同級生の女子とも。真っ暗だった高校時代の僕におさらばできる転機が訪れたと思った。
 学生時代、特に3年生のころ、クラブの仲間でよくやっていた論議、「異性どうしの友達は成り立つか?」これには様々な考えがあって1つにはまとまらないが、僕には学生時代に異性の友達がいた(恋人ではない)。本名は「さきこ」だけれど、みんな「チャキ」と呼んでいた。入学時からいつも多くの友達に囲まれていて、笑いがあふれる会話をしていて、僕のようなおとなしくて「もてない君」の寄せ集めのようなグループにとっては交わりあうことのない、いわゆる「高嶺の花」のようなイメージを持っていた。このチャキがなぜか古美研にやや遅れて入ってきたのだ。

プロフィール

平田純生
平田 純生
Hirata Sumio

趣味は嫁との旅行(都市よりも自然)、映画(泣けるドラマ)、マラソン 、サウナ、ギター
音楽鑑賞(ビートルズ、サイモンとガーファンクル、ジャンゴ・ラインハルト、風、かぐや姫、ナターシャセブン、沢田聖子)
プロ野球観戦(家族みんな広島カープ)。
それと腎臓と薬に夢中です(趣味だと思えば何も辛くなくなります)

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