白鷺病院に就職したころ、職場は英会話ブームでした。初代院長は研究がやりたくて白鷺病院を作った人です。世界初の多人数同時透析をアセテートフリーの重曹透析を使って行い、その研究成果を英語論文にして国際学会でせっせと発表する気運が熱かった時代です。その当時はめずらしかったいわゆる外人講師を病院に呼び、簡単な日常会話を覚えました。
 その時に英会話をしてよかったなと思ったのは、外人と話をしていると言葉は違っていても考え方は同じ、みんな人間は同じなんだと気づいたことで、外人(白人)コンプレックスが解消されました。だけどあまり熱心ではなかったので思ったことを話すまでの英会話能力には達しませんでした。
 そして僕は結婚し、子供ができたけどお金が全くなかった35歳のころ、微量元素に関する英語論文を書き、国際学会で口頭発表するために英語論文をチェックしてくれる外人を探していました。このころはリーズナブルな英文作成会社がなかった(知らなかった?)ので、当時の大阪市立大学の内科の教授に英国女性を紹介していただいて何とか発表したのを思い出します。このことをきっかけにもう1度英会話をやり直したいと思いました。20190724.jpgまずはお金がなかったので、ラジオ英会話を基本として続けましたが、せっかく覚えたフレーズも使わなくては自分のものになりません。子供の絵本を借りるために通っていた大阪市の住之江区図書館で、英会話サークルが週1回2時間で月に2,500円と格安でやっているチラシを見つけ、さっそくそのサークルに入会しました。その講師の先生が22歳で結婚したてのオーストラリア女性、シャロンさんでした。なんと超美人でスタイル抜群、それにまして性格がすごくいい。男性だけでなく女性にも好かれるいい人でした。今まで、外人といくら話してもあまりやる気にならなかったのですが、シャロンと会話をしたい一心で様々なフレーズを覚え→シャロン相手に話すと、そのフレーズが通じちゃう→シャロンがホームパーティーをするときに大勢の外人の中に混じって招待されることもあって、どんどん英会話に没頭。こんな感じで、ますます勉強するという好循環がぐるぐる回るのでした。僕だけでなく、ほかの女性会員も男性会員もみんなシャロンを好きになって、みんな英会話教室が終わってからもファミレスで1時間以上雑談をしたものでした。この時の英会話教室のレベルは一気に上がりました。I’ve been dying to see you.と覚えたてのフレーズを言うと、シャロンもI’ve been dying to see you, too, Mr. Hirata.と返してくれ、通じるととにかく楽しくてたまらない(お互い既婚者なので、この会話は冗談ですよ)。英会話が終わって毎日時間があれば英会話、ウォークマンで「やさししいビジネス英語」(実は全然やさしくないNHKのラジオ英会話)を聴きながら通勤し、子供たちをキャンプに連れて行っても、寸暇を惜しんで英単語を覚える。すぐに英検2級に合格、その1年後には準1級に合格。この時には当然、英検1級を目指して、その参考書をたっぷり買いこみましたが、シャロンが突如オーストラリアに帰国・・・。その後任は名前も忘れた若いイギリス人男性・・・。とにかく英会話教室に行ってもシャロンがいないので全くやる気にならず、英会話力の伸びが突如停滞し、1~2年で英会話をやめてしまいました。これが37歳の頃だと思います。何とかその時の余力で50歳になってオレゴン留学を果たしましたが、英会話能力はそんなには伸びませんでした。

プロフィール

平田純生
平田 純生
Hirata Sumio

趣味は嫁との旅行(都市よりも自然)、映画(泣けるドラマ)、マラソン 、サウナ、ギター
音楽鑑賞(ビートルズ、サイモンとガーファンクル、ジャンゴ・ラインハルト、風、かぐや姫、ナターシャセブン、沢田聖子)
プロ野球観戦(家族みんな広島カープ)。
それと腎臓と薬に夢中です(趣味だと思えば何も辛くなくなります)

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