でも現実は甘くない。2024年11月に走った神戸マラソン、散々のレースだった。歩きはしなかったものの、スピードに乗れず、後半は7~8km/hrのほぼジョギング状態だったので、5時間越え。これは六甲山登山にはまり、走る練習が不足、スピード練習不足だったことを痛感した。
今年の2月は寒い日が続いたので外で走るにはちょっと辛い。週に3回、ジムのトレッドミルを走る。3月1日の妻の故郷、鹿児島マラソンに向けて10km/hrのペース走で4時間20分切りを目指したいけど、速く走ると股関節が痛むので、LSD(ゆっくり20~30kmの長距離を走ること。Long, slow, distanceのこと)しかできない。それと出版社からの依頼原稿と新刊書の執筆が忙しくて、十分なトレーニング時間が確保できなかった(完全な言い訳だけど)。この状態で走った鹿児島マラソンはやはりスピードに乗れなかったけど、脚の痛みが全くでなかった。少しはタイムがよくなったし、楽しかった。
ということで平田は4時間半切りを目指して、まだ走ります!もちろん11月2日(日)今年は東京虎ノ門ヒルズフォーラムで大会長・嶋村先生です。朝6時、日本腎臓病薬物療法学会恒例のモーニングランも走ります。
「目指せ大阪マラソン市民アスリート」では下記の要件を満たすランナーが先着順で1,500人が優先的にエントリーできるらしい。
18~39歳:3時間(男子)
60歳~69歳:3時間50分(男子)
70歳~:4時間30分(男子)
僕は今、70歳だから69歳の時に出せたタイム4時間25分19秒を出せれば、つまり70歳以上で4時間半を切れば39歳までのサブスリーランナーと同格に扱われるらしい。図1で示したように僕のタイムは61歳以降、確実に伸びてる。10km/hrのペース走は10km、普通にできるし、このペースを最後まで保てたら4時間13分で走れるはず。実際、2023年の神戸マラソンの僕の中間点のハーフマラソンタイムは2時間7分だからできないことはない。いや、このペースでタイムがよくなれば、今までのタイムの近似直線を引くと、なんと82歳でキプチョゲ、キプタムの世界記録を抜くことができる!(図2)
そして神戸への移住、コロナ禍でも走れる淀川でのマラソン大会などを走り、68歳の時に、ジムのパーソナルトレーナー(2時間半で完走できるランナーのKさん)についていただいた。「平田さんのフォームは猫背だからそれを直せば速く走れますよ」と言われ、さらに①猫背にならないよう肩に力を入れずに背筋を伸ばして遠くを見る、②1秒間に3歩のピッチ走法、③後ろに地面を蹴るのではなく、ひざを上げて走る(歩幅を広める)、④足指先で地面をつかむ(前に前に進んでスムーズに走る)、⑤肩を張りすぎない(脱力)の5点を意識して走ると、ア~ら不思議。スピードを上げても全くしんどくならないのだ(写真3)。
70歳近くなので、毎日走ると疲れが残るので、①週末には20~30kmを歩くに毛が生えた程度の速度でゆっくり走るLSD(変なクスリでなくLong, Slow, Distanceゆっくり長距離を入るトレーニングです)、②火曜日は本番のマラソンと同じスピードで、僕の場合は10km/hrで1時間走で、最後は全力疾走、③木曜は動物園のある王子公園の周りの坂道走というメニューで、68歳からぐんとタイムがよくなった(表, 図1)。
熊本大学に勤め始めて6年目の2012年から政令指定都市になることを記念して開催された熊本城マラソンで、たくさんの友人、同僚が完走した。第3回には当時、公務員ランナーとして有名な川内優輝選手が大会記録で1位になったのを見に行った。すごく走りたくなったけど数キロで膝が痛くなる僕には走って完走はできないと思ってた。でも熊本城マラソンの制限時間は6時間40分。時速7km/hrの競歩なら何km走っても膝の痛みが起こらず、6時間で完走できそうなので、61歳の時ひたすら早歩きで全く走らずに参加すると、第5回熊本城マラソンに出場、結果は予想通りの6時間ちょっと。でもこの後、膝が痛くなるまで走る、or前半歩いて折り返し地点から走るなどの工夫で少しずつ走れる距離が長くなった(写真2)。
20歳代で始めたフルマラソン。練習方法、シューズの選択など、ランナーズという月刊誌を毎月買って工夫し、普通に3時間20分台で楽に完走できるようになって、調子のいい時には3時間20分を切ることができた(写真1)。長距離レースは苦しいけれど、僕のように運動神経が鈍くても、練習量と比例してタイムがよくなるし、なんといっても完走後の達成感が半端ない。「いずれサブスリーを」と思って猛練習すると、左ひざ、右股関節、腰痛と故障だらけになり、レースに出ても痛みに耐えきれず途中リタイアか、完走しても膝が痛くて足を引きずって歩いて6時間以上かかる30歳代~50歳代。日本腎臓病薬物療法学会の仙台大会では青葉城に行く数キロで膝が痛くて走れなくなった。「一生マラソンは走れないかも?」と思っていた。