嗚呼!愛しの広島カープ

   6時に起きて、宮原1丁目の坂道を一気に駆け下りて呉駅へ、「あった!」「外木場、完全試合」の文字の載っているスポーツ新聞が。でも一番嫌いな報知新聞だけ。ほかのスポーツ紙は全部売れてしまってた。それでもいいやと報知新聞を買って、坊主頭に汗をかきながら、息を切らしながら坂道を駆け上ってわが家に帰り、カープ狂の母親の喜ぶ顔を見て、それから中学2年生の僕は坂道を駆け下りて、いつものように中学校に通っていった。呉って町は長崎のように平地が少なく、山の斜面に家がへばりついているから坂道だらけ。コンビニなんてこんな時代にあるわけがなく、スポーツ新聞を売っているのは駅の売店しかなかった時代だ。

  20160912_1.jpgこのころのカープは、たいてい最下位。4位になればよく頑張ったといわれたし、それでも我が家はみんな夢中でカープを応援していた。うちの母親はナイターでも部屋を真っ暗にさせてテレビをつけず(その当時、広島でもカープのテレビはほとんどなく、テレビ中継があるとすれば巨人戦だけ)。全試合、ラジオ中継をしていたラジオ中国RCCの音を全開にして、カープの選手が内野フライを打ち上げると、いつも母親は「落とせ、落とせ」と叫びながら祈っていたが、僕の記憶では1回もフライを落としてくれたことはない。

  外木場義郎投手って知っていますか?鹿児島県出水市出身で、カープが初優勝した時の絶対的エース。背番号141965年にプロ入りして初先発の阪神戦でノーヒットノーランをやった。1968年、ぼくが中学2年生の時に、広島カープは広島東洋カープになり、監督は初めて外部から呼ばれた根本監督がなった。根本監督は大トレードを断行し、阪神タイガースから「打撃の職人」山内一弘(なぜかこの人はバッティングのことをバッチング、セカンドのことをセコンドと言ってた)が入団し4番を任せ、安仁屋宗八と外木場の若手2人にエースの座を競わせ、若い衣笠をレギュラーにして、この年のカープは強くなった。いつもこいのぼりの季節までといわれていたカープが6月になっても7月になっても首位巨人から離されずに、オールスター前まで首位争いをしていたのだった。だけど、いつものようにオールスター後は大失速。悪夢の13連敗(だったと思う)をして、いつものように優勝戦線から離れていった。でも連敗が止まってしばらくして、外木場が大洋ホエールズ(現在の横浜ベイスターズ)を相手に完全試合をやったのだ。もちろんテレビ中継はなく、いつものようにラジオ観戦。9回になるとドキドキしながら、11球ごとに「やった」「やった」から、最後のバッターを打ちとった時には「やったー!」となり、連敗の暗い気分を吹き飛ばしてくれた。まさに今年の25年ぶりの優勝直前のクローザー中崎を応援しているように。

   20160912_2.jpg結局、この年の外木場は21勝して最優秀防御率を取り、安仁屋は23勝して防御率2位だった。そして山内は打率.313で打撃十傑では王、長嶋に次いで第3位で、古葉竹識(のちの監督で、熊本の名門・濟々黌出身)は盗塁王。なのに優勝できなかったのはチーム打率がセリーグで最低の.224だったから。でもこのころからカープは猛練習によって走って守って、1点を守り抜く今のスタイルを確立しつつあったのだ。そして1972年に外木場は巨人相手に3回目のノーヒットノーランをやってのけた。プロ野球史上、3度のノーヒットノーランを達成したのは沢村栄治(ただし完全試合はやっていない)と外木場の二人のみなのだ。大きな夢を見させてくれた1968年だったのだが、翌年、山本浩二が入団したものの、カープは相変わらず4位どまり。3年連続最下位ののちに、本当に夢がかなう初優勝は1975年。中学2年の時から7年後、ぼくが大学3年生になった時だ。

  余談ですが、2006年に僕が熊大の教授になったころには、県外の優秀な学生を引っ張るため、南九州の各名門高校を回り、熊大薬学部の説明と模範授業を薬学部志望の高校生に対してやることになっていた。2007年、2008年と奇遇なことに2年続けて外木場投手の出身校・鹿児島県立出水高等学校を担当になった僕は、模範授業で「皆さんの高校のOBで沢村栄治と並んで生涯に3回ノーヒットノーラン、そのうち1回は完全試合をやった大投手がいますが知っていますか?」と聞いて、模範授業そっちのけで外木場談義を熱弁したのは皆さんの想像通りです(とはいってもまじめな授業もちゃんとやりました)。

 

上の写真:1968年完全試合達成時の外木場投手    

下の写真:1975年カープ初優勝時のエースの雄姿

 


 20160912_3.jpgカープ、とうとうやりました!25年ぶりの優勝。15年連続4位以下だったチームが、奇跡のぶっちぎりの優勝。優勝の瞬間は武庫川女子大の非常勤講師のため、甲子園近くのホテルのテレビで観戦。黒田が泣き、新井と抱き合っているところで僕の涙腺も大いに緩んだ(ホテルの部屋の中でよかった)。やっぱりカープは最高!わしゃ、広島の呉出身じゃけん。

 思えば野村謙二郎監督のころの5年前、レギュラーは決まっておらず、毎試合、岩本、松山、広瀬、ニックあたりが日替わりで4番を打っていた。ほとんどの先発選手の背番号は50番か60番台の若手ばかりで、年俸は石原捕手の1億円以外は1000万前後の若手選手ばかり。先発選手9人併せて巨人の阿部1人分のほうが年棒が高かった。こんなんじゃ勝てるわけないよねって思ってた。4位になったらよく頑張ったとほめてやりたかった。クライマックスシリーズ出場なんて夢のまた夢だと思ってた。

 でもこのシチュエーションは僕が物心ついたころから大人なった1975年までとほぼ同じ。このころも4位になったらよく頑張ったと思ってた。それでも衣笠が入り、山本浩二が入って若手が台頭し、外古場・安仁屋の両エースが頑張っていた。3年連続最下位後の1975年、古葉監督の下でカープは奇跡の初優勝。そのとき僕は大阪薬科大学の3年生の20歳。唯一テレビのある食堂に集まるとまさに「広島県人会」の集まりで、優勝が決まるとみんなで抱き合い、「それゆけカープ」を熱唱し、大いに興奮したものだ。

 古場監督といえば熊本は濟々黌出身。野球が強くって校名がかっこよくって、クリームシチューの出身校って聞けば、私学だと思っていません?僕も熊本に来て初めて知ったのだけれど、濟々黌は由緒ある名門公立高校。偏差値もかなり高い。だけど情けないのは濟々黌のOBの学生たちのほとんど(野球好きの男子までも)が「古葉さん」の名前を知らない。濟々黌はなんてひどい教育をしてるんだろうね。「社会に貢献したOBの名前くらい教えろよ」と今も思っている。僕は濟々黌出身の学生たちに「古葉さん」のことを熊本で啓蒙するのが1つのライフワークだと思ってる。実はそんなむきになるほどのことではないのだが、ついつい、熱弁をふるうので、熊薬の濟々黌のOBたちは「平田ってしつこい、くどい」と思っているだろうね。

 ところで大きな声では言えないけれど、ぼくは今年、カープの試合を6回見に行った。3月の初めに学会スケジュールを調べ、金曜日から日曜日の空きを調べて、行く試合を決めてすぐに宿の予約をし、チケットを最速ゲットできる日をカレンダーに記入し、予約を怠らない。時には途中で抜けられない学会の仕事や会議が入って、僕だけ球場に行けないってこともあったっけ。でもカープは我が家の絆。カープがあるから一家が集まる。カープがあるから会話も弾む。

 でも今年、マツダスタジアムに行ったのはゼロ。毎年広島に23回行っているものだから、「広島はもう行き飽きた。広島でおいしいものも全部食べたし、広島の観光地にもほとんど行った。」と長男が言い出すものだから、今年は横浜2試合×2回、神宮2試合と関東地区で6試合見た。性格の悪い客の多い東京ドーム、ナゴヤドーム、甲子園はできるだけ避け、とっても平和で、黄緑よりも赤色が圧倒的に多い神宮(写真左)、地味な紺色よりも派手な赤色の客が圧倒的に多い横浜(写真右)に行ったのでした。戦績は33敗。う~ん、今年の圧倒的な強さで33敗は厳しい。でも去年の2勝3敗1引き分けよりまだましかな?

 横浜スタジアムは見た目きれいだが、座席が狭いし売店がとっても少ない。神宮は駅から遠いし、見た目が古臭いし、トイレが大行列。その点マツダスタジアムはトイレが混むことはないし、売店の充実度は日本一(日本の全部の球場に行ったわけじゃないですが多分、どこよりもいい)。売店やトイレの廊下が驚くほど広い。シートもバラエティに富んでいて、どの席もゆったり。横浜も神宮も甲子園も人とぶつかるのを避けるのに苦労する。もう1つ、僕のふるさと、呉市二河球場の外野の芝生席も、寝転がって見れるので最高です!1年に1回しかカープの試合はないけどね。

20160912_7.jpg左:神宮球場に虹がかかる。いざ出陣のカープ(撮影平田9/3●1-3)。

右:真っ赤に染まる横浜スタジアム(撮影平田8/123-2

  今年はみんなよくやった。特に若手が頑張った。1番「背は低いがパワーがあり、脚も速い広輔」、2番「人間離れ(サル並み?)驚異の守備範囲の菊池」、3番「顔がでかい丸で~すと自己紹介してた丸」、4番「阪神から戻ってきて大活躍の広島市民の新井さん(写真)」、5番「来年はトリプルスリーが狙える神ってる誠也」、6番「体重120kgだけど肥満じゃないのでCockcrof-Gault式もそのままOKの無双の怪力エルドレッド」、7番「走攻守三拍子揃った安部(カープの選手はほとんど走攻守三拍子揃ってるけど、安部ちゃんはあんまり特徴ないんだよね)」、8番「イケメンぞろいのカープの中で唯一のおじさん顔だけど、リードは抜群の石原(うちの嫁はなぜか石原の大ファン)」、9番「男気・一球の重み、雪に耐えて梅花麗し、20億円を蹴って4億円のカープに帰ってきてくれた元大リーガー黒田様(写真)」。それにセットアッパーのめっちゃ明るいジャクソン、マエケンのいじられ役だった守護神・中崎、みんなよく頑張ってくれました。なんで新井さんで黒田様か、これは僕の熊大でのあまり野球を知らない学生たちへの教育方針です。熊大薬学部臨床薬理学分野に入ると広島には3人の神様がいるから、呼び捨て厳禁。その3人は黒田博樹様、前田智徳様(写真)、そして監督の緒方孝市様(写真)。そしてカープに帰ってくれた新井さんも呼び捨てにしちゃ失礼だと、無理やり作り上げたカープ女子たちに教育しております(実は隠れホークスファンも多いらしいが・・・・)。

 やっぱり来年は全部が真っ赤なマツダスタジアムに行こう。あの聖地へ帰ろう。平和の都市・広島へ!あっ!2月にはキャンプ地の宮崎・日南の天福球場もおすすめです。 

20160912_6.jpg左から新井さん、黒田様、嫁が美人の監督・緒方様、熊本出身の引退した天才打者・前田様

 身長183cm、109kg。う~ん、Cockcroft-Gault式には理想体重を入れなくちゃいけない体格・・・・、あっ、いつもの薬剤師癖が出ちゃいました。ではなく昨年、カープに在籍した「天使」マイク・ザガースキー投手が日本に帰ってきます。でも残念なことに優良外人が豊富なカープではなく、リリーフ陣が苦戦しているDeNAにです。

 ザガースキー投手は昨年の前半、左腕のセットアッパーとして活躍していながら、外人選手が豊富なカープの中では出場機会に恵まれず、残念なことにわずか1年で退団になってしまいました。でも彼はカープファンに絶大な人気がありました。愛くるしいぽっちゃり体型といつも笑顔の癒し系、だけでなくすっごく人がいいのです。2群では登板するたびに若いカープ女子たちから「かわいい~!かわいい~!」と黄色い歓声が上がっていました。そしていつしか「天使」「ザガちゃん」と呼ばれるようになったのです。

  以下はザガちゃんの「いい人伝説」のきっけとなった、これも性格がとってもいい大瀬良大地投手の昨年のブログから紹介します。

大瀬良 大地
@Ohsera_Daichi
雨で試合が中断してる時にぐちゃぐちゃのスパイクで歩いてたらザガースキーが自分の履いてるスリッパを脱いで手に取り、これ使えって差し出してくれました!断ったんだけど頑なに渡してくるので使わせてもらいました。あなた靴下じゃん…と自分を後回しにしてまで人を思いやる心に少し泣きそうになりました。
2015/04/14 20:29:25

まさに天使ですね。ザガースキーの背中には羽根があるのかも?

ちょっとしたエピソードです。 その後彼はヒースと何事もなかったかのように笑いながら会話してるのを見て、こういうことを当たり前にやってきたんだろうなと彼の優しさを感じた瞬間でした。 ではでは、お疲れ様です^ ^

— 大瀬良 大地 (@Ohsera_Daichi) 2015/04/14 20:31:03

  そして数々の天使エピソードを残しながら外国人枠の都合で2軍降格となったザガースキー投手のために、1軍選手たちが「ザガースキーが1群に戻ってくるまでに一丸となって頑張ろう」と誓い合ったことが報じられました。そして代わりに1群登録となったいわば生き残りをかけたライバルのヒース投手にザガちゃんは1群の他球団の情報をつぶさに教えていたとか・・・・。本当にいい人なんだね。ザガースキーは。DeNAに入っても応援しようと思います。頑張って「天使」!

ザガースキー写真集

  1. 来日草々、節分の日に恵方巻きを食べ、ご満悦の彼(写真①)は翌日、練習中に右足首を捻挫し全治3週間出遅れた。

  2. 彼は日本にしかない「ハイチュウ」が大好き。これは同じハイチュウ好きの黒田投手の影響かも?(写真②)

  3. なんとか開幕には間に合い、マウンドでの雄姿。(写真③)

  4. 4月2日にはDeNA戦でマウンド上ですってんころりん(写真④・⑤)

  5. 天使「ザガちゃん」のマウンドでの雄姿(写真⑥)

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カープが最終戦で負けた。

7回が終わるまでマエケンがヒットを打たれながらも後続を打ち取る粘りのピッチングを見せて0対0の緊迫した投手戦。

そして勝ち試合か引き分けの時には守ってくれる大瀬良君が今日は打たれて負けた。

でも大瀬良君は今年1年よく頑張った。

降板した後のベンチで嗚咽していた。

でも新井のたった1安打じゃ勝てっこないよな。 

論文を書いてたけど、まったく筆が進まないので、ブログに変更。

実は僕は広島県呉市出身(中国労災の前田頼伸、兵庫医大病院の木村健は僕の後輩)。両親ともカープの大ファンで僕も大好きだったけど、ホント、弱かった。

4位になったら「今年はよくぞ頑張ってくれた」って思っていたもの。

だから3年連続最下位の後の1975年の軌跡の初優勝は本当に興奮した。

「江夏の21球」は大阪球場の3塁側でちゃんとナマで見た、生粋のカープファンです。

もう何年も優勝していないカープ。

一番、お金のないカープ。

3年前にマツダスタジアムの長男と行ったらカープの先発9人のほとんどが背番号50番台と60番台で9人併せても巨人の阿部1人の給料より安かった。笑っちゃったね。

でもその中で菊池、丸が成長した。大瀬良君も田中広輔も入ってきた。

2015年、今年は絶対に優勝すると信じてた。

去年はあと1勝していたら阪神よりも上の2位だったはずの3位。

そして昨シーズンが終わると感動的なことにかつてのエース黒田が大リーグからカープに帰ってきてくれた。そして、かつての4番の新井も阪神から帰ってきたんだから。

今年のカープは違う。カープ女子も増えたし、チケットが取れないことはよくわかっていた。

だからリーグが始まる前の3月に今までにないチケットの大量予約をした。

5月15(金)、16(土)、17(日)のマツダスタジアムでのDeNA戦。これは鹿児島に住む長男と嫁との3人で。嫁はそんなに野球好きじゃないけど長男と一緒に応援できるとなると喜んで広島についてきてくれる。カープは今や平田家の絆なのです。

 

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6月14(日)、まあ勝てっこないだろうけどヤフードームでのホークスとの交流戦。これは野球好きのそろっている

わが 臨床薬理学分野の5年生の男子3人と一緒に。なんで章也だけホークスのユニフォームなの? 

そして優勝決定で、緒方監督の胴上げを見るためにと思って取った甲子園での9月12日(土)、13日(金)の阪神戦チケット。これは長男、嫁、それに大阪在住の次男(あまりカープに興味ないので野球は見なかったけど一緒に食事はした)も加わって応援。これもカープが繋いでくれた平田家の絆。でもこのおかげで土日はほとんど出勤して仕事ははかなりやったね。だって忙しいんだもの。

結果はDeNA戦は5月15(金)●5-6、16(土)●1-2、17(日)○2-1 去年までカモにしてたDeNAは今年はなかなかしぶとい。というかなかなか打てない。エルドレッド、早く帰ってきて~。
ホークス戦は前日まで奇跡の2連勝したものの福井が打たれて●2-7 やっぱり強いホークス。ヤフードームに何回か来たけど今までに1回も勝たせてもらっていない。

9月の阪神戦は12日(土)△2-2、13日○3-0マエケンと大瀬良君で完封!

だけど12日の引き分けが大問題!

12日の試合、延長12回表、広島の田中広輔の大飛球は中堅フェンス際で大きく跳ね返ってグラウンドに戻ったように見えた。実は僕はこのタイガーマスクの左後ろ約10mの距離で見ていたのだ。

このタイガーマスク、ただ者ではない。阪神の応援団で、プロレスラーのように体格がよく応援の踊りの切れがいいというか手足の動かし方が非常に決まっていて、気になっていた。こんなに大写しになるとはね・・・・。

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甲子園のファンはたちが悪い。だからグラウンドに飛び出さないよう、電車の荷物置きのようなネットがフェンスの真下に取り付けられているのだ。(僕が撮った写真の赤い矢印。それにしても地味な応援団だけどタイガーマスクはこの画面左前にいたけど写っていない)それに当たって、普通はレフトスタンドに入るはずが、なんと跳ね返ってグラウンドに戻っちゃった。実は僕はこの瞬間、ボールから目を離していた。だけど隣で見ている長男はちゃんと見ていた。「あれは絶対に入っていた。ビデオ判定や!」。だけじゃない。前にいる阪神ファンも後ろにいる阪神ファンも「あれは絶対入ってたで」と言っている。案の定、ビデオ判定。だけど審判団はビデオ判定でフェンスを越えていないと判定。「なんでだよ~!ウソだろう!」

この判定はのちに正式に誤審と認められる。この1勝があればカープは楽にクライマックスシリーズに行けたのに・・・・・・。だって写真を見たらあのタイガーマスクの目の前にネットを超えたボールが写っているんだから。

 

その後、熊本の上通りにある広島風お好み焼き屋「ええじゃろ」で臨床薬理のカープ男子・カープ女子(に無理やりさせた)に囲まれて9月25日の阪神戦●0-3でまたも負けた。でも「ええじゃろ」のマスターは広島で老舗のお好み焼き屋「みっちゃん」で修業していたので味は抜群!

美しいカープ女子にかこまれて念願の写真撮影もした。

5.pngおじいちゃんと孫娘みたい。でも至福の時…(ごめん。カープ男子もいたけど絵にならないのでカットした)。ちなみに背番号60のユニフォームは去年の還暦祝いで臨床薬理のみんなからのプレゼント(ほんとは安倍ちゃんだけど)。

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そして10月7日、運命の最終戦は終わった。負け投手は大瀬良君。そして終盤の怒涛の5連勝の後のヤクルト戦も負け投手はヒースだったけど大瀬良君が打たれちゃった。今日の大瀬良君は責任を感じたのだろう。降板後、ベンチで泣きじゃくっていた。それをマエケンがかばっていた。

でもね。マエケンが15勝で最多勝になったのも、ジョンソンが14勝したのも点を取ってくれないカープで1点差の試合を大瀬良君と中崎がどれだけ守ってくれたことか。

今シーズンが終わるとマエケンは大リーグに行く予定。来年、黒田は来年41歳、新井も来年39歳。こりゃ、マー君の抜けた楽天みたいになりそう。

来年も超優秀外人KJ(ジョンソン)が今年と同じ様な成績を上げてほしいけど、他チームも研究してくるから今年と同じように勝てるとは思えない。中継ぎだった大瀬良君はたぶん先発になるだろうね。だけど今年、いろんな辛いことを体験した大瀬良君は一回りも二回りも大きくなってくるはず。そして黒田おじさんの最後の教えをもらって成長するだろう。

僕は大瀬良が大好き。これはカープファンならだれでも知ってるけど大瀬良は「すごくいい人」。ピッチャーって、わがままな人が多いらしいけど大瀬良は甲子園の阪神ファンも言っていた「大瀬良って、めっちゃええやつらしいな」って。やさしすぎるから実力があるのに力を出し切れないのかもしれない。

大瀬良君を知らないみんなにはYoutubeで「大瀬良×天谷」で検索してほしい。そして「大瀬良×弟」でググってほしい。いいお兄ちゃんだからってわけじゃないけど来年は大活躍してほしい。実は背番号14はカープのエース番号です。3回のノーヒットノーラン、そのうち1回は完全試合をやった僕の大好きな鹿児島県出水市出身の外木場義郎、脳腫瘍で32歳の若さで亡くなった炎のストッパー・津田恒美。その背番号14を背負う大瀬良大地が好き。

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プロフィール

平田純生
平田 純生
Hirata Sumio

趣味は嫁との旅行(都市よりも自然)、映画(泣けるドラマ)、マラソン 、サウナ、ギター
音楽鑑賞(ビートルズ、サイモンとガーファンクル、ジャンゴ・ラインハルト、風、かぐや姫、ナターシャセブン、沢田聖子)
プロ野球観戦(家族みんな広島カープ)。
それと腎臓と薬に夢中です(趣味だと思えば何も辛くなくなります)