医薬品の供給、調剤、服薬指導などが中心であったわが国の薬剤師の職能が大きく変化しつつある。それは2012年より6年制カリキュラムを終了した薬剤師が生まれたことと、2010年4月の厚生労働省医政局長通知「医療スタッフの協働・連携によるチーム医療の推進について」が公表された。さらにこの通知に対して日本病院薬剤師会が解釈と具体例を明示した。。その具体例の1つとして「維持透析患者のミネラル代謝異常の管理」が挙げられており、医師と薬剤師が協働して最適なプロトコールを作成し、血清リン値、血清Ca値、インタクトPTH値に基づいてリン吸着薬の選択・投与量調整を行うことが例示されている。また、2012年病棟薬剤業務実施加算が算定できるようになり、病院薬剤師は臨床薬剤師に変わろうとしている
明日『腎疾患の専門分野の薬剤師の職能拡大』に続く
~おかげさまで「平田の薬剤師塾」も過去最高の参加者でした~
いつも8月に開催される卒後教育「薬剤師のための医療薬科学研修会」は過去最高の221名の方々に参加していただきましたが、この時に前宣伝をして、9月に開催される育薬フロンティアセミナーも「平田の薬剤師塾・薬物動態って難しくない」というテーマで4回で過去最高の延べ261人の参加者でした。
私は薬物動態学を好きでもありませんしでしたし、得意でもありませんでした。でも薬がどのように吸収されて、どのように効果器官に分布し、どのような代謝・排泄され消失していくのか、いわば生体内の薬の行方をたどっていくことを知ることは、とても興味深いことです。薬がどのようにして効果を現すのか、どのようにして有害反応を起こすのかにつながる重要なことなのですので、40歳を過ぎてから勉強し始めて、何とか動態の基本はマスターしたつもりです。
日本腎臓病薬物慮法学会が会員向けのみに発行しているグリーンブックの右側のパージの表に載っているクリアランス、分布容積、尿中未変化体排泄率、バイオアベイラビリティ、タンパク結合率の5種類のパラメータと代謝・消失に関わるCYPやトランスポータに関する情報があれば投与設計は可能です。消失半減期があれば投与間隔の調節などの便利ですし、特記事項には有害反応を起こさないようになるための情報などが記載されています。でも、左ページの表が臨床現場で使われているという話はよく聞くものの、右側ページが実際に活用されたという話はあまり聞いたことがありません。
1回目、2回目で分布容積をはじめとしたパラメータの活用法について解説しましたが、難儀だったのが3回目のクリアランスでした。私の説明が下手だったからでしょうが、わずか30枚のスライドに90分以上の時間を費やしてしまいました。これに関しましては来場者の先生方にお詫びいたします。でもこのクリアランスの概念を理解すると4回目の相互作用については、この相互作用はいつ起こるのか、投与をやめてすぐに相互作用が消失するのか?この相互作用の強度は?どの薬の組み合わせが一番危ないのか?などの疑問が解けてきます。
薬物動態を好きになるには、まずはわかりやすい薬物動態の教科書を読破しましょう。管野 彊先生の「わかる臨床薬物動態理論の応用」(医薬ジャーナル社)がお勧めなのですが、残念ながら絶版になっています。でも、アマゾンでは中古品が1840円から販売されています。あるいは治療薬マニュアルの最初の部分、TDMの実践書から入ってもかまいません。2冊目以降、薬物動態学の専門書を読破するのが楽になります。
1500~200種類もある薬物の動態パラメータは1つ1つ記憶しようとすることは苦行に等しいと思います。覚えなくてもいいものは忘れましょう。タンパク結合率80%未満のものは覚える必要がないと思っていますし、アミノグリコシド系のタンパク結合率は数%、3%、5%、10%以下など様々なデータが引用されていますが0%と考えて全く問題ありません。これからは覚えるのではなく、動態を理解し、予測できるようになることが重要だと思います。様々な薬物のTDMにトライすれば、飛躍的に薬物動態に強くなれます。解析ソフトに頼ってバンコマイシンのTDMのみでとどまっているのではなく、まず動態を好きになって、理解が高まれば異常値が予測されても、慌てることはありませんし、バンコマイシンだけでなく広範囲の薬物のTDMを始めることが可能になります。
熊本に来て早や10年。極度の方向音痴、人の名前、薬の名前が出てこないという認知症症状は順調に増悪しつつあるものの、熊本の生活にはすっかり慣れました。今、僕はすごく忙しいです。でもすごく楽しいです。僕が大学を卒業し40歳になるまで薬学系の学会に参加したことは1度もなく、病院薬剤師会をはじめ薬学関係の会や学会には全く所属せずに、それでも一生懸命、薬剤師をやっていたつもりの20年足らず。思えば薬剤師になりたての頃は「暗黒の時代」でした。患者さんに薬の名前も薬効も教えちゃダメ。だからPTPシートの名前の部分をはさみで切り落としていた。それが病棟に行けるようになったのが、ちょうど40歳の時。すっごく遅い「本当の薬剤師」としてのデビューでした。それからの僕は夢中になりすぎて、みんなに迷惑をかけたかもしれないけれど、仕事が楽しくて楽しくて仕方ない薬剤師になれたのです。
40歳を境に僕を変えたきっかけはいくつかあります。服薬指導ができるようになったこと、メンター(指導者)に出会えたこと、TDMを始めたこと、薬物動態学を初心に帰って勉強したこと、いろいろありますが、今回はダメ薬剤師の僕を変えてくれたドラッグフォーラムオーサカ(DFO)というユニークな勉強会についてお話ししたいと思います。
僕は39歳の時に田中一彦先生という麻酔科医のメンターに出会えました。「養老の瀧」のような安い居酒屋が大好きな、どこにでも普通にいる「人の良いおじさん」に見えます。でも実は初代TDM学会の理事長であり、第1回の国際TDM学会(IATDM-CT)の大会長でもあり、今ではどこでも使っているアルコール手指消毒薬の「ウェルパスⓇ」の発案者で、いろんな実力者を知っていました。そこで紹介されたのが現新潟薬科大学教授の上野和行先生。薬物療法や動態はこの厳しい先生の影響で猛勉強しました。
上野先生に「一緒にやってみよう」と紹介されて役員になったのが、1990年に関西の薬剤師の集まりである「ドラッグフォーラムオーサカ」という非常に個性的な勉強会。メーカーに頼らず勉強会をやることは大変ですが、この会は年に10回も勉強会をやっているのに、特定なメーカーがスポンサーになることはなく、テキストを発行していたため、1社3万円の広告を4件とって12万円。あとは1人1000円の参加費を取って資金を作り、日本中から講師を呼んでいました。年に10回の開催ということは、その準備のための世話人会も年に10回。それが終わるたびに安い居酒屋で役員同士で「薬剤師論」を戦わせていました。
「ドラッグフォーラムオーサカ」の会長は廣田育彦氏(後の関西医大薬剤部長)、副会長は森田邦彦氏(後の同志社女子大薬学部教授)、事務局長が森嶋祥之氏(後の近畿大学病院薬剤部長)、監事が上野和行氏(後の新潟薬科大学教授)、本当にすごいメンバーばかりでした。
こんなメンバーの中で揉まれて育たないわけがない。とはいえ、すごいプレッシャーやいじめによって、やめていった若い薬剤師も多かったのは確かですが・・・・。年に10回もやるとテーマ探しは大変ですが、ドラッグフォーラムオーサカは参加者に全くこびない、そして特定のスポンサーがいないため、メーカーにも全くこびない。僕が入ったばかりの時、「Polymorphism」について講演会をやろうということになりました。今ではおなじみの遺伝子多型ですね。アセチル化能の個人差の問題はN-acetyl transferaseの遺伝子多型、S-メフェニトインという抗てんかん薬を服用後に一部の患者で起こる重篤な副作用がCYP2C19の遺伝子多型が原因であったことが、このころ話題になりつつありました。でも一般の薬剤師レベルではほとんど知られていなかったし、これに関する雑誌の特集も書物もなかった時代です。テーマは前述のように「Polymorphism」です。「こんなテーマじゃ誰も来ないでしょう。『遺伝子多型が及ぼす薬物代謝能への影響』のような分かりやすいテーマにしましょうよ」と僕が意見を言ったら、「Polymorphismの意味も分からないような薬剤師には来てほしくない」という廣田会長の一言で、この講演会のテーマが決まりました。案の定、40人足らず(そのうち役員が10人以上)という客入りの悪さ。これがドラッグフォーラムオーサカの実態なのです。「月間薬事」や南山堂の「薬局」で特集になったような誰もが考えつくようなテーマは絶対にやらない。逆にこのマイナーなオタクだらけの勉強会にじほう(当時は薬業事報社)の記者が毎回取材に来て、その数か月後に月間薬事の特集が組まれるってこともよくありました。ユニークなオタクの集まりが年に20回も集まって飲み会(実際には忘年会や夏のビヤホールなどを入れると毎月2回は顔を合わせてました)をやるのだから揉まれます。このころ、まともな薬剤師の第1歩を歩もうとしていた僕が影響されないわけがない。この会は2000年以降も続き120回くらいまで開催されたのですが、かつて若手だった薬剤師がみんな大学教授になって去っていき、僕も腎臓と薬物療法に特化した勉強会をやりたくなって第100回の講演会を終えたくらいで退会しました。
そして僕が立ち上げたのが「関西腎と薬剤研究会」です。最初は大阪中の腎臓オタクの薬剤師に声をかけて20人くらいで病院の会議室でジャーナルクラブでもできたらと思っていたのですが、役員候補に声をかけた全員が2つ返事で参加してくれるとのこと。これはひょっとしたらと思い、120人くらい入る医薬品卸会社の会議室を借りて、第1回の関西腎と薬剤研究会を開催しました。これが2000年の3月28日のことです。テーマは分かりやすく「腎不全患者への投与設計の基礎」で僕が講演しました。立ち見で入れない人も出て、この腎臓オタクの会になんと200人以上が集まりました。第2回はその後、透析医学会の理事長を2期連続務めた秋澤忠男先生(当時の和歌山医大教授)に講演をお願いして、またも200人近くの薬剤師が集まりました。ドラッグフォーラムオーサカとは異なり「分かりやすいテーマで、できるだけ多くの薬剤師に集まってもらって薬物療法をより良くするんだ」というビジョンで関西腎薬はスタートし、ドラッグフォーラムオーサカと同様、毎回テキストを発行しました。年5回の開催、時には合宿もやりました。神戸や京都に「巡業」もしました。その腎薬は昨年、佐賀腎薬が結成、そして今年は鹿児島腎薬、宮崎腎薬が22番目、23番目の地域腎薬として結成され、現在1700名の学会員が日本腎臓病薬物療法学会を支えてくれています。今回、僕が伝えたかったことは、「病院内に閉じこもっていずに、好きなことを夢中になってできる仲間と一緒に何かやれば、大きな実を結ぶかもしれない」ということです(この文章は熊本県病院薬剤師会の「病薬にゅーす」2016.9.20 Vol.49, NO1に掲載されました)。
写真は2人のメンターと僕、左が上野和行先生、右が田中一彦先生、そして真中が平田です(7th International Association of Therapeutic Drug Monitoring and Clinical Toxicology,
ダメ薬剤師が変われるきっかけ
AさんのTDMの成果は高く評価され、白鷺病院では他の抗不整脈薬、ジゴキシン、抗MRSA薬、抗てんかん剤など、TDMは幅広く実施されるようになった。TDMを実施することによって薬剤師に幅広い薬学的知識が身に付くと、TDM対象薬以外にもその知識は応用でき、より多くの薬物の有効かつ安全な投与が可能になった。そして「100床以下の小病院では学会発表なんて無理」なんて思っていた頃のことが嘘のように、薬剤科の学会発表数、文献執筆数は毎年、倍々ゲームのように増え続けた。93年ゼロだった文献数は94年1本、95年2本と増え続け、2003年には総説を加えると薬剤師5人で文献数は31本になった。学会発表や文献執筆は病院外へのアピールも大きいが、僕は病院内でのアピールが最も効果が高かったように思う。医師をはじめとした医療スタッフの信頼が得られ、その結果、薬剤師が薬剤師らしい仕事をできるように変われたことが一番のメリットだと考えている。
94年以前、僕たちは調剤しかできないダメ薬剤師だった。薬剤師が変わるきっかけはいろんなところにある。筆者にとってはAさんとの出会い、そして一生懸命、頑張ったTDMが成果を結んだことが変わるきっかけの1つと信じている。
(この原稿はファルマシア40(4): 304-306, 2004.に掲載されたものを改変しました)
TDMとは?
AさんのTDMに際してはTDMの結果からさまざまな処方介入を行った。薬剤師が処方介入して、病状が悪化するとドクターの信頼を失い、TDMの依頼も来なくなる恐れがある。介入をした後は毎朝、毎夕、Aさんのベッドサイドに行った。そして処方変更後の効果の確認、副作用の観察を注意深く行った。結局、AさんのTDMを介して学んだことは「TDMは決して血中濃度を有効治療濃度域に直すためにやるのではなく、患者様を治すためにやっているのだということ。患者さんを見ないで血中濃度に対する薬学的コメントを書くべきではないこと」である。そしてそのポリシーは今も白鷺病院薬剤科で続いており、必ず服薬指導をしている薬剤師が血中濃度に対するコメントを書き、ドクターに報告している。試験室の薬剤師が血中薬物濃度を測定し、患者さんを見ないで薬学的コメントを書いている施設があるとすればそれはTDM(therapeutic drug monitoring)ではなくTDA(therapeutic drug assay/analysis)であると思う。これは筆者の勝手な解釈かもしれないが、AさんのTDMから学んだこと、「Monitoringにはその薬がちゃんと効いているかどうか、副作用は現れていないかどうかをmonitorするという意味もTDMには含んでいる」ということを信じている。
Aさんのその後
Aさんの病状は改善し、疑問も解決した。しかし投与方法を変更しただけで副作用も不整脈も起こらなかったのは、奇跡としか言いようがない。危惧していた通り、約半年後にAさんは再び調子が悪くなり、50mgを1日2回投与ではコントロールできなくなって徐脈・頻脈が再発した。主治医は仕方なく50mgを1日3回投与に増量した。徐脈・頻脈は完全に消失したが、やはり視覚異常・食欲不振が再発した。再び文献検索した。何とか抗コリン作用を抑えられないものか?動物実験ではあったがジソピラミドの抗コリン作用はコリン剤で相殺できると書いてある文献を見つけた。しかしナパジシル酸アクラトニウムというマイルドな抗コリン剤を医師に勧めたが、ほとんど効果がなかった。結局、劇薬指定の強力なコリン剤である塩酸ベタネコールを1回15mg、1日3回ジソピラミドと一緒に投与するよう医師に勧めた。これは効きすぎた。下痢、腹痛、寝汗という強力な抗コリン作用が現れた。塩酸ベタネコールの最大作用発現時間は服用後1時間で作用持続時間は2時間と短い。これに対しジソピラミドはtmaxも遅く、透析患者では半減期が延長しているため、僕の投与設計ミスであった。結局1回7.5mgを1日6回という頻回投与することによってAさんの不整脈は副作用を全く起こすことなくコントロールできた。そのうちAさんは少量のベタネコールをジソピラミドのピーク濃度の直前に頓用すると副作用を防げるということを学んだ。
薬剤師としての疑問解決
6月の終わりにAさんの症状は改善し退院した。しかし薬剤師としての疑問は残ったままである。
①非常に低い遊離型濃度なのにピーク値付近では不整脈を抑えられたこと。②総濃度は有効治療域内にあるのに強力な抗コリン作用が発現したこと。この2点の疑問を解く鍵はクロマトグラムにあった。腎機能正常者のクロマトグラムには小さなピークとしてしか現れないジソピラミドの前のピークが必ず、Aさんのクロマトグラムでは振り切れるくらいの巨大ピークとして現れるのだ。使用しているカラムはODSカラム、つまり逆相分配クロマトであるため、水溶性のものほどretention timeが早い。「腎臓は水溶性薬物を排泄する。肝臓は腎臓で排泄されやすいように薬物を極性の高い代謝物に変換する。そのため代謝物は親化合物よりも極性が高い。」と、ある薬物動態の教科書に書いてあったことを思い出した。ジソピラミドの代謝経路を調べた。ラッキーなことに1つの経路しかない。脱アルキル化されてmono-N-dealkyldisopyramide(MND)になる。インタビューフォームによるとMNDには活性があるらしい(図1)。
早速、2つの原著論文を取り寄せると同時にジソピラミドを製造しているフランスのルセルに英文でMNDの原末を取り寄せるべく手紙を書いた。取り寄せた文献によると動物の様々な不整脈モデルでジソピラミドの1/4から同等の抗不整脈作用を持つことが明らかになった。これで①の疑問は解決するかもしれない。そしてさらにMNDの抗コリン作用についてPubMedを使って文献検索した。ある文献のAbstractを見て思わず鳥肌が立った。「MNDは親化合物の24倍の抗コリン作用を有する」と書いてあった。これで②の疑問も解決するかもしれない。9月のはじめになってようやくMNDの原末がフランスから届いた。早速、HPLCに注入した。そして見事、Aさんのクラマトグラムで必ずジソピラミドの前に現れた巨大ピークと一致した(図2)。
これで薬剤師としての疑問は何とか解決できた。つまり①非常に低い遊離型濃度なのにピーク値付近では不整脈を抑えられたのはMNDに抗不整脈作用があったため、②総濃度は有効治療域内にあるのに強力な抗コリン作用が発現したのはMNDの抗コリン作用が強力であったためと考えた。
TDMの結果から投与設計
総濃度でのトラフ値は0.75、ピーク値は2.87µg/mL、AAG濃度は103〜127mg/dLと健常者の約2倍あったため、蛋白結合率は約85%と高く、遊離型濃度はトラフ値が0.09、ピーク値は0.40µg/mLと低かった。この結果には薬剤師として大きな疑問が2つ生じた。①このような低い遊離型ピーク濃度では不整脈を抑えられないはずなのにピーク値付近では不整脈が完全に抑えられていたこと。②総濃度は有効治療域(2〜5µg/mL)内にあるのにピーク値付近では通常では起こりえない強力な抗コリン作用が発現していたことである。
トラフ値が低すぎたために徐脈・頻脈が現れ、ピーク値が高すぎたために視覚異常・食欲不振が発現するというAさんの病態から、投与方針は容易に決まった。ピーク値/トラフ値比をできるだけ大きくするためには少量頻回投与するべきである。至急50mgのカプセルを購入し、1日2回投与してもらうよう医師に勧めた。思った通り、ピーク値は下がり、トラフ値は上がった。そして奇跡的にAさんの徐脈・頻脈は1日中治まり、視覚異常・食欲不振も全く消失した。まさに奇跡であった。いくら内科医がAさんの投与方法を変更してもコントロールできなかった不整脈と副作用を薬剤師がTDMを実施することで完全にコントロールでき、退院できたのである。しかし薬剤師としての2つの疑問は残ったままだった。
臨床経過を追う
入院当初、Aさんはジソピラミドカプセル100mgを1日1回投与されていた。そのうち不整脈が起こったため、主治医は100mgを1日2回投与に変更すると、徐脈・頻脈は完全に抑えられたが、案の定、視覚異常・食欲不振が現れた。100mg/日と200mg/日の1日おき投与を行ったが、視覚異常・食欲不振は持続し、100mgを1日1回投与に戻しても視覚異常・食欲不振は持続したため、主治医は100mgを28時間おきに投与するという変則処方を行った。今度は恐れていた徐脈・頻脈が現れた。結局、処方は入院当初の100mgを1日1回投与に戻ったが、Aさんの症状を観察していると視覚異常・食欲不振と徐脈・頻脈は決して同時には起こっていないことがわかった。ジソピラミドのtmaxは約3時間。ヒステリシスがあったとしても服用して3〜4時間が最大効果を示すと予測されるが、その時間帯では必ず視覚異常・食欲不振が起こっていた。そして次回服用前あたり、つまり血中濃度が最低になるトラフ値付近では必ず徐脈・頻脈が現れるのである。ここで初めてTDMの実施を決意した。その前にジソピラミドの薬物動態について調べた(表)。腎排泄型であるため半減期は延長しているはず。ジソピラミドは塩基性薬物であるため、アルブミンではなくα1-酸性糖タンパク質(AAG)と結合する。AAGの絶対量はアルブミンの1/40しかないため、ジソピラミドとの結合は容易に飽和する。そのため、蛋白結合率は5〜65%と幅広い。となると総濃度のトラフ値とピーク値だけでは効果の指標にならない。遊離型ジソピラミド濃度を測定するため限外濾過膜を購入し血清AAG濃度も測定した。遊離型濃度は低濃度であるため、師と仰ぐ上野和行先生(現新潟薬科大学教授)に教えを請い、HPLC法によって血清ジソピラミド濃度を測定した。
服薬指導をはじめたきっかけ
1994年の4月になり100床以下の病院でもやっと薬剤管理指導業務の算定ができるようになった。病院の大小によって薬剤師の質が決まるものではない。小さな病院という理由だけで「病棟における服薬指導業務」ができないというのは理不尽な決まりであったが、そんなことを恨んでいても何も始まらない。僕たちは「100床以下」という枠が取り去られてから、すぐさま「病棟服薬指導業務」を開始した。そんな時に出会ったのが透析歴20年以上で腹膜透析施行中の40歳台の主婦Aさん。洞不全症候群といって、洞結節やその周辺の障害が元で、心拍数が40に落ちたり180まであがったりを繰り返す、いわゆる徐脈・頻脈症候群を呈していた。主治医はペースメーカーの植え込みを勧めたが、ある宗教上の理由から手術をかたくなに拒むため、内科療法として抗不整脈薬を投与せざるを得なかった。循環器内科医の診断によりVaughan Williams分類Ⅰa族のジソピラミド(リスモダン®)が有効であろうということで投与された。ジソピラミドはAさんに実によく効いたが、同時に副作用も強力に現れた。ジソピラミドの主な副作用は抗コリン作用に基づくもの。口渇や、便秘などは耐えられる副作用であるが、Aさんに発現する抗コリン作用は強力で、ジソピラミドの投与量を増やすと視調節障害が現れ、目を開けているとピントが合わないため、食欲不振になり、やがてほとんど食事が摂れなくなった。副作用がきついので、他剤に変更すると効果がない。仕方なく減量してジソピラミドを投与すると徐脈・頻脈が現れる。そして増量すると視覚異常・食欲不振が現れる。こんなことの繰り返しで抗不整脈薬療法がうまくいかないため、この1年間Aさんは入退院を繰り返してきた。筆者が服薬指導をはじめたのはAさんが再入院した94年の5月のことである。