平田の考える薬剤師像

各分野の薬剤師のスペシャリストが出てこなければ

医療において薬物療法は大きなウエイトを占めていることは言うまでもありません。特に本邦での医薬品使用量は全医療費の??%を占めており、先進諸国のトップクラスに位置しております。しかしこの医薬品が使用されている頻度に相関して臨床薬剤師が活躍しているとそうではありません。薬剤師は薬物療法のスペシャリストでありながら、臨床薬物療法における学会発表数・文献執筆数は医師と比べて非常に低いというのは明らかだと思います。

我々は透析患者への投薬ガイドラインの作製に着手して10数年になり、年々、その内容はグレードアップしており、インターネットでの使用者も続々と増えつつあります。薬物を使用した後の効果・副作用の評価に関しては薬剤師だけでなく、医師でも研究可能な分野でしょう。しかし、薬物動態となると、基礎で臨床薬理を専門とした経験のあるドクターは別として薬剤師の方が専門性は高いと思えます。いまだに安全に使用できない薬物は多くあります。病態に伴う薬物動態の変化についてまだまだ分かっていない分野も数多くあります。たとえば、癌患者におけるより安全で効果的な化学療法は薬物動態をよく理解した臨床薬剤師の参加によってもっともっと進歩する可能性があります。産科・婦人科での投薬ガイドラインができれば、どんなに多くの人が救われるでしょうか。肝硬変の患者、糖尿病の患者など、さまざまな分野で働くスペシャリストの薬剤師が活躍し、動態に関するスタディを行い積極的に専門性のある学会で報告していけば本当の意味で臨床薬剤師という言葉が一般的に認知されると考えます。

臨床薬剤師という言葉が聞かれるようになって20年以上が過ぎていますが、一般の人で臨床薬剤師という言葉を認識している方は、そう多くはないと思えます。いつまでも薬学系の学会に閉じこもって、臨床とは関係ない発表ばかりやっていては薬剤師の存在価値は上がるはずはありません。

2015年 薬学科5年生の薬物処方学試験 記述問題より
『あなたにとって薬剤師とはどのような役割を担った職種だと考えますか?
また将来どのように変わっていくべきだと思いますか?』

平田が感動した11名の、素晴らしい名文をご紹介いたします。

A君

私にとって薬剤師とは、自分の考え方、行動次第で対等に医者と接し、患者さんと関わっていくことのできる仕事だと思う。
 国家試験に通りさえすれば、晴れて薬剤師となって働くが、上司から受動的に任務をこなしているだけでは、それは”ニセ薬剤師”だと思う。昨今の薬剤部の乱立により、薬剤師になる人数は増加していく。その中でリードできる人間になるには、患者さん一人一人に対して向き合い、患者さんの病気を薬を通して接し、治療していかないといけないと思う。そのためには、一つ一つのことを考え、発信していく力が必要だと思う。つまり医者などの医療従事者に根拠のあるプレゼンテーションが大事であると考える。根拠のあるプレゼテーションができるように、日々、コミュニケーション力を上げていかないといけないと自分では感じる。私の意見としては、将来、自分の仕事だけ遂行する薬剤師は淘汰されていくと思う。私はニセ薬剤師でなく真の薬剤師になるために、コミュニケーション力をみがき、知識もつけて、大きな人間になりたいと思った。


Bさん

 薬剤師は医師の相棒になるような職種だと思います。
医師と薬剤師が相談して処方を決めていけるような形が理想です。平田先生が授業中に昔の話で、患者さんを診て医師と話して処方提案されていたのを聞いて、これが理想の薬剤師だと思いました。
 現在の医療は非常に複雑で深くなっているように感じます。医師1人でそれらをカバーできるとは思えません。
ある程度分野は区切って協力しなくては無理だと思います。医師と一緒に患者さんのベッドに行くようになれば良いと思います。
 近年、看護師に処方権を与える話がでました。私はそれを聞いてくやしくなりました。まだまだ薬剤師の仕事の認知度は低いです。
 学部2年の頃、父の知り合いの方から「わりの良い仕事。自分でもできる」と言われ、かなり苦々しく思いました。
 バイト先の看護師のお客様にも同じようなことを言われました。
 もっと薬剤師が積極的にとも思いますが、私がお会いした薬剤師の先生方はすごく積極的に仕事で活躍されていて、それでもなかなか一般の人には伝わらないのかと考えさせられます。
 いっそ薬剤師を主役にドラマとかが放送されればいいのかとも思います。


Cさん

 薬剤師とは、医療現場での潤滑油となるべき存在だと私は考えます。
 患者さんに対しても、お医者さんより気軽に相談ができる相手とされることで、お医者さんには知りえなかった患者さんのささいな、しかし重大な変化に気付くことができます。これは看護師さんのように、患者さんとの距離が近いだけでは決してできず、笑顔で患者さんの話を聞き心のケアまでも担いながら、さらに頭の中では、患者さんから何らかの異常なサインが出ていないかと常に検索をかけ続けます。さらに、お医者さんに対して、エビデンスのある、柔軟かつ適切なアドバイスをし続けることで、お医者さんの信頼を獲得し、お医者さんとお互いを高めあえる関係でさえも築くことができます。また、病棟に行く必要があれば自ら足をはこび、患者さんの問題点としっかり向き合うことで、普段患者さんに一番近い看護師さんたちの意見を聞いたり、情報を教えてもらったりすることができる機会も増えると思います。それだけでなく、新しい事を発見するたびに論文にし、そうすることで、目の前の患者さんだけでなく、それを読んでくれた医療者を通じて、遠くにいる人まで助けられると思います。そうやって、どんどん自分を医療の中で欠かせない存在としていきたいというのが私の理想であり目標です。


Dさん

授業を受ける前までは、薬剤師のヴィジョンがあいまいなものでした。もらった処方箋について検査値から患者さんの病態を推測し、疑義照会を検討、薬を出し、患者さんに説明する。そういった流れを考えていました。先生の授業を聞き、もっとも重要で大事な部分が最初のSTEPであることが分かりました。
これから求められる薬剤師は医師に負けない病理診断を求められるだろうし、正しい知識で検査値を読み取る力が必要です。さらに数値から患者さんを想像するという一歩踏み込んだデータ解析が必要となります。
また、薬剤師情報の明確なエビデンスを提示するために、日ごろから広く文献に触れておくことも大切だと分かりました。
現段階ではあまり自信はありませんが、将来的にはロジカルに仕事をこなせる薬剤師になりたいと思います。


Eさん

私にとって、薬剤師とは医療チームにおいての司令塔であると思います。どのスポーツにおいても、司令塔は必ず必要な選手であり、どの選手からも信頼されており誰よりもチームの事を把握し、時にはするどくミスを指摘し的確な指示を全体に送る。これは医療チームにおける薬剤師のポジションと全く同じように思います。良い司令塔になるために、必要なものは、知識、信頼、コミュニケーション、判断力、積極性であると思います。この中でも自分が特に足りていないと思うのは、知識、判断力、積極性であると思います。このような要素を向上させていくためにも、日々の授業、研究室での勉強のあり方を見直し、また実習で現場に立った時の的確な判断力、ミスを見つける積極性を身に着け、今の自分を変えていきたいと思います。


Fさん

薬剤師は絶対的に薬に関する事の責任を持つ職種だと考えます。患者さんの相談にのったりすることは、自分に薬に関する知識がないと、あいまいな記憶ではできないと思います。
国試が年々難しくなっているように、社会に求められている薬剤師はどんどんレベルが高くなっていると思います。処方箋通りに薬をただ出すだけではなく、相互作用や薬物動態、患者さんの背景など多くの面から見て、その薬が適切であるのかを考えられなければならないと思います。
病棟薬剤師は投与設計の計算も必要になるので、薬知で習うことを頭に入れるのはもちろんのこと、薬剤で習ったことも自分で理解し、使いこなせるようにならないといけないと思います。他の教科についても同じだと思います。国試に受かるのがゴールではなく、医療は日進月歩なので薬剤師はこれから向上心を絶やすことなく日々学ばなければならないと思います。
知り合いの薬剤師さんがよく言うには、薬剤師の地位は低く、疑義照会で勘違いを指摘するとおこる医師もいるらしく、電話もかけなければいけないけどあまりかけたくない。と思うそうです。これからは薬剤師が薬の専門家として自信を持ち医師に対等に薬についての相談を堂々とできるよう、変わっていくべきだと思います。


Gさん

  私が薬学生になってから良く感じるようになったのは、おじいちゃん、おばあちゃん、バイト先の友人など医歯薬関連でない人々は自分が飲んでいる薬の意味などほぼほぼ考えず、言われたとおりに飲んでいるだけということです。
 薬剤師は患者さんに直接薬を渡す最終段階に位置するので、薬の意味を教えてあげたり、注意する事とか、自分たちが間違えていないかチェックしたり、といった役割を担っていると思います。お年寄りには何回も何回も言うのが大事だと思います。
 薬の一般名と商品名をどっちも覚えるのが大変なので、一般名に商品名を統一した方が良いと思います。商品名長くなりそうだけど、ミスも減ると思います。
 これから薬剤師の数はどんどん増える予定だけれど、増えたら増えたで役割分担して、専門性を高めればいいと思います。
 30までに子供を産み終えて、子育てしつつ薬剤師の仕事がしたいので、シフト性になったらブランクなしで働きつづけられるなと思います。


Hさん

私は薬剤師は、患者の立場により近い医療従事者だと思います。私が薬剤師を目指すきっかけとなったのが虫垂炎で入院した際に、私の担当だった病院薬剤師の方に優しくして頂いたことでした。麻酔の危機が悪く、術後の痛みがひどかった時など、幼かった私は忙しそうな医者にはなかなか言えず、担当薬剤師の方が比較的若く、また医者じゃないという点で、私にはとても身近に感じられました。
 様々な職業があり、そのどれもが大切だと思いますが、私達の意識の中でやはり医者という職種は別物のような気がします。薬剤師は病気や身体の知識については、もちろん医者に劣るかもしれませんが、薬に関しては医者よりも知識を持ち、患者から親近感を持ってもらえる、そんな職種だと思います。


Iさん

私は薬剤師が、患者さんや医療従事者を含めたすべての人の「相談役」だと考えます。薬剤師として、私たちは薬のことだけでなく医療のこと、衛生管理のこと、食事や栄養素のことなど、様々な分野を学んできました。「薬剤師はまちの科学者」とはよく言われますが、理系のうちほとんどすべての生物および化学分野を同時に学ぶのは私たち薬剤師くらいではないかと思います。しかし「化学者」と言ってしまうと、自分の研究にばかり目を向けているイメージが強いので、私はあえて「相談役」の薬剤師としました。相談は自分と相手がいて成立するのは言うまでもありません。薬剤師はこれから薬剤師としての知識を医療・衛生に関することばかりでなく、もっと広い分野での「相談役」になれるのではないか、と考えます。そのためには、これからの薬剤師である私たちが薬剤師として学んだすべてを吸収して、活用できるよう、より勉学にはげみ、また学校生活を通してコミュニケーション能力を向上すべきだと思います。


Jさん 

薬剤師とは患者さんと触れあう機会が少なく、医療従事者として一番患者とは離れているように見えて、一番薬を媒介として密接に関わりあっている存在だと思います。
 医者と患者さんが進む方向を審査する門番(関所?)のような存在です。進む道が誤っていないか、間違っていなくても、それが本当にベスト、もしくはよりベターなのか審査し助言することで道を正す役目を担っていると思います。
 これからどう変わるべきか?
正直、失礼ですが日本の薬剤師の存在は”薄い”と思います。人気のある医療系のドラマで医者や看護師はよく出ているのに薬剤師役をほとんど見たことありません。
 まずは薬剤師ってこんな人だよ!!医療に欠かせない重要な存在なんだよ!!って知ってもらえないといけないと思います。(あまり職業柄、主張しすぎてもいけないのでほどほどに・・・)知ってもらうのは患者ではなくても、少なくとも医者や看護師に必要と思われること、そのためには薬剤師にしかできない薬と体の観点から極める事。例えば、効果がないとき、効きすぎるとき、きちんと飲んでいるのか、飲み合わせがよくないのかとか”病”ではなく”薬”が原因と気付くのは薬剤師なのかなと思います。
  飲み方、意外とみんな適当です。親族の方を見ても、水以外で飲んだり、ひどい人は友達からもらった病院の薬を使う人も!


Kさん

病気を治す医者(医療関係者)と病気と戦っている患者の間をとりもち、患者によりそう職種だと思う。腫瘍を小さくしたかったり、検査値を下げたい医療関係者と、今苦しんでいる症状を抑えたい患者の間には関心の違いや重きをおくところの差が出てくると思う。医者や看護師には言いづらいことを(副作用や薬の選択についての不安)、薬のうけわたし時などに少しでも話してもらえるような関係を築くことができれば、アドヒアランスの改善や、より患者のQOL向上に向かった医療に貢献できると思う。
私の祖母は、今もらっている薬が何の薬なのかに興味をもっているが、忙しそうな薬剤師に聞けない、また、半錠のむようにといわれている錠剤を割るのが難しく飲むのが億くうだけど薬剤師にがまんしろと言われた、と不安なことをたくさん私に教えてくれる。1日に多数の患者に服薬指導をする薬剤師からすると、ほんのささいなことに思えるかもしれないが、患者からするとその1つ1つが重要で、今後のアドヒアランスやQOLに関わることなので、そういうささいに思える1つ1つの問題を丁寧に扱うことが大事だと思う。処方を正して薬害や医療事故を未然に防ぐ、化学者としての意識をもつことも、また、大切だと思う。
研究者であり、よりそう人であることは、多忙な業務の中では難しいことかもしれないが、そんな薬剤師になりたいと考えている。

 


病院薬剤師が生まれ変わる転帰~40歳が病院薬剤師としてのスタートだった僕~

平田純生(熊本大学薬学部附属育薬フロンティアセンター・臨床薬理学分野)

実は僕の学生時代の成績は最低レベル。就職したのは開院して3年目の白鷺病院という非常に小さな病院。医師は3名、病床数30くらいの腎不全専門病院、いわゆる透析病院でした。同窓会に参加するのが嫌でした。なぜなら、みんな○○大学医学部附属病院、県立○○病院、「ベッド数は300床の中小病院です」って自己紹介されると「俺はどうなるの?30床の個人病院じゃない?」って劣等感ばかり感じていました。ただしその当時はまともな透析のできる病院は珍しく、白鷺病院の透析患者数は関西で2番目に多く、透析に関してはいわゆる指導的な病院でした。

院長は研究するために病院を建てたほどの研究好きで、英語論文を読む抄読会で毎週のように論文を読まされました。その当時の僕の英語力は弱く、抄読会の前日に徹夜して訳した日本語は、「お前の訳文は日本語になっとらん」と怒られてばかりでした。

当時の病院薬剤師の仕事はつまらなかった。患者さんに薬の名前は教えない。薬効も教えない。教えていいのは飲み方だけ。PTPシートの耳(商品名の書いてある部分)をハサミで切って患者さんに薬名を知られないようにして渡していました。就職して2~3年後、カリフォルニア州ではクリニカルファーマシーなるものが実践されている、薬剤師が病棟に行って服薬指導しているらしいというニュースが入ってきましたが、「日本じゃ絶対に無理だ」と考えていました。本気で転職も考えました。薬剤師ではなく小学校教員に。僕の学年と1年先輩だけが教員免許を取れなかったので、学生時代に大学側に抗議して僕の1年後輩から復活しました。だから教員免許なし。一から教育学を勉強しましたが、小学校教員ってピアノも弾けなくっちゃいけないし、クロールで50m泳げなくっちゃいけない。結局、岡山まで行って受けた試験は不合格でした。

仕方なく薬剤師を続けていて、少しプライドがあるとすれば、医師がやらないような肉体労働の研究を仕事が終わってやってました。「透析患者の中分子量尿毒素の分析」、「透析中の血圧変動と血中カテコラミン濃度の関係」、「透析患者の微量元素と病態の関係」など、今では英語にしておけばよかったと後悔するようなよい仕事をしてました。でも研究は思ったとおりにはいかないことも多々あります。それが嫌で、辛くって、あまり研究熱心とは言えなかったと思います。

僕が30歳半ばの時、400床以上の病院では服薬指導の点数が取れる、いわゆる100点業務が始まりました。だけど当時の白鷺病院は就職した時よりは大きくなったとはいえ、90床の小さな病院。数年後、200床以上の病院でもより高い点数で服薬指導ができるようになりました。90床の白鷺病院はまだまだ。「病院が大きければ、薬剤師の能力も高いっていう評価はおかしい!」と悔しい思いをしながら、また数年後にやっと病床数の制限が撤廃された時は僕が40歳の時でした。

病棟業務を始めたのも(できるようになったのも)、薬学系の学会にはじめて参加したのも40歳、TDMを始めたのも、「薬物動態学」なる非常に難解な学問にチャレンジしたのも、40歳のときでした。この時から「夢を持って前向きに」をモットーにしていました。今までにたまっていたコンプレックスを、すべて吐き出すような勢いで仕事をしました。今までの辛い臨床研究とは違い、薬剤師の仕事をすることが臨床研究につながるなんて「こんなおいしいことはない」と思いました。薬剤師が好きで好きでたまらなくなりました。患者さんのところに行くのが楽しくてたまらない。医師とディスカッションするのがたまらないほど面白いのです。仕事に夢中になれるって、本当に幸せだなぁと思うようになりました。

決して競って学会発表していたわけではありません。薬局内の勉強会で疑問に残ったテーマ、解決できていない問題症例を何とか文献検索して、あるいは薬剤師同志で話し合って、あるいは医師やナースなどと話し合って疑問を解決したいと思うのは、プロの薬剤師として当然のことだと考えるようになっていました。解決できていない薬の問題点や症例に対する疑問点に全精力を注いで解決し、一定の結論が得られれば、それがポジティブデータであっても、ネガティブデータであっても学会発表、論文投稿という形で報告することによって完結させました。

そのうち僕は病院に寝泊まりし、夜2時まで文献を書き、朝の8時半に起きて病棟に行き、9時から5時までは薬局で仕事し、残務が終わるのが夜7時くらい。それからは自由です。毎日夜2時まで論文を読んだりデータ整理したり。40歳の時に書いた初めての薬学系の論文が1報、1年後には2報、2年後には4報、3年後には8報、それ以後はずっと総説なども含めて1年で30報くらいの論文をまとめています。服薬指導を始めて数年後で、数冊の本を書き、たった5年後の1999年には日本腎臓病薬物療法学会の前身である「関西腎と薬剤研究会」を立ち上げることができました。

学会でフロアーや座長から質問していただくことによって、あるいは文献投稿時にレフェリーに批判していただくことによって薬剤師として、そして臨床研究者として一歩一歩ステップアップしていくものだと思います。「私はちゃんと学会発表していますよ」なんて、ポスター発表程度で満足していませんか?ステップアップするための階段はまだまだありますよ。とはいえ薬剤師が成長して一人前になることは決して容易ではありません。結局、少しずつステップアップするしかないのですが・・・。

薬剤科内の症例検討会→院内の症例検討会(薬剤師も医師の症例検討会に参加して、症例報告させてもらうべきです)→地方の学会発表→全国レベルの学会発表→文献投稿→国際学会で発表→英語論文の投稿→国際的に認められた一流紙への投稿、このように、どんな環境の病院薬剤師でも成長する余地はまだまだあると思います。一段一段上がるごとに薬剤師として大きく成長しているのが自分で体感でき、数年前の自分がどんなに低いところにとどまっていたかがわかると思います。

勉強はちゃんとしていても、学会でちゃんと講演を聞いていても、実践しないあなたは高い山を見上げているだけ。見上げているだけでは全然、頂上には近づかないのです。周りの人が登り出さないのなら、あなた自身がステップを踏み出してみてください。学会で質問されることや、文献投稿時にレフェリーに批判されるのを恐れてはいけません。辛抱強くやれば、いい仕事はきっと評価されます。リサーチマインドのない薬剤師の集まりでは他の医療スタッフから評価されるはずはありませんし、社会的評価も得られません。それよりも問題なのは患者さんが薬剤師の存在によって当然、受けられるべき恩恵が受けられないことです。「私だってできるのです(Yes, I can.)」、あなたのこの考え方が”Yes, we can”の輪になって広がってゆけば病院薬剤師全体に活気がみなぎることは間違いないと思う今日この頃です。

 

英会話ってやっぱり難しい      熊本大学薬学部臨床薬理分野  平田 純生

英会話がなに不自由なくできたらすばらしいですよね。そのためには「留学」。多くの方が一度は体験したいと思っていませんか?僕も同じでした。そして昨秋、僕は50歳を過ぎてから半年間の米国留学を体験できました。

僕の留学目的は薬学教育、病院実習を体験し今後の薬学部での臨床教育に生かすこと。半年もいれば英語もきっと上達してペラペラになるかもしれないと思っていました。でもよほどうまくやらないと英語は上達しない、というのが今の僕の経験論です。

会話は英検準1級を持っているから、ま、何とかなるかな?でも一抹の不安があったため渡米する前の2ヶ月間、30万円かけて駅前留学に熱心に通いました。でも留学前の短期集中レッスン、これは高くつくだけで、英語力はほとんどアップしないっていうのが、僕の実感です。

薬学だけではなく英会話も上達したいので、日本人グループとは関わらない方針でしたが、これはストレスのもとでしたね。やっぱり日本語を話し合える友人がいないとホームシックになっちゃいます。Pharm Dコースの授業はスライドを使っての講義だから読解力がある日本人の僕には、苦もなくついていけました。病院実習も専門用語を知っていたため問題なく、ディスカッションできました。

でも1対1の私的な会話になるとかなりしんどい。友達同士の会話が、さっぱり分からない。授業内容は理解できても先生のジョークが分からないから1人だけ笑えない。生徒の質問が何を聞いているのかわからない。つらいからストレスになる。それを相談できる日本人はいないため、「早く日本に帰りたい」の毎日。留学も後半になると相手が話しているのを、理解しているように見せかけるふりだけはうまくなった。もっと若ければ、もっと長期間であれば、英会話も上達したかも?

「たら、れば」をならべたらきりがない。でも日本人との関わりを避けたことで1つだけ本当によかったことがあります。それはことばや国境を越えた信頼できる生涯最高の友を持つことができたこと。ベトナム出身の彼とは今でもメールのやり取りをしている。Dear, my best friend, why don’t you come to Kumamoto?

新世紀の薬剤師の1日
私なりに新世紀、それも30年後の理想的な病院薬剤師像を、急性期病院で活躍するAさんと慢性期病院で活躍するBさんを想定して考えてみました。

◎Aさんは年齢30歳、薬学部卒業後、大学院の社会人コースに通いながらPharm Dを取得し2年経過したところです。朝9時から夕方5時までの勤務ですが、今日は早朝の抄読会があるため、7時半に病院に行き、内科医師達の抄読会に参加します。今回の発表はAさんの担当なので、遺伝子診断による薬物投与設計について最新の英文ペーパーを抄読します。20世紀には一般病院ではできなかった遺伝子タイピングも今や患者さんの毛髪1本あれば薬局においている簡単な器械でタイピングでき、poor metaboliserでもultra rapid metabolizerであってもtransporterの欠損者であっても薬物投与する前に個人個人の体質に合わせた至適投与設計(いわゆるテイラーメイド医療)が可能になりつつあります。遺伝子タイピングによる薬物投与設計は急性期病院だけでなくすべての病院薬剤師の基本的な仕事になっていますが、まだまだ薬物療法において未解明な問題も多くあるため、Aさんはさらなる臨床研究をしているところです。TDM業務は21世紀初頭には大きく進歩し、薬剤師がTDMに基づく科学的投与設計を実施した場合、保険料が加算できるようになったのは10年前のことですが、この2?3年遺伝子タイピングの発達とともにTDM実施件数は少なくなりましたが、これからは遺伝子解析の結果をテーラーメイド医療に生かせるよう薬剤師が医師に代わり投与設計する業務にウエイトが置かれつつあります。現在、TDMは副作用の多い抗がん剤の分野が主流になっていますが、TDM業務は21世紀初頭には動態解析にポイントが置かれていたのと異なり、副作用および効果の確認が一番重要なポイントとされています。腫瘍が縮小したかどうかの判定はドクターの仕事なので、ドクターとの回診・症例検討会は毎日欠かせません。薬剤師は薬物療法の専門家ですから、薬物療法が主体となる症例検討会の時には薬剤師のAさんがイニシアチブをとっています。一方で、常に最新の信頼できる情報を医師に提供できるようAさんはインターネットを利用して最新の文献チェックを怠らないようにしています。患者さんは重症患者がほとんどで、服薬指導を行う機会は少ないのですが、病態が急変したり副作用が発現した時にはベッドサイドに行って副作用の内容を克明に調査します。昨日は薬物アレルギ?による肝障害が起こった症例があったためアレルギーの原因薬物同定検査を行ったところです。薬剤師は21世紀初頭に薬物療法におけるリスクマネージャーとしても認知されるようになりました。薬物の効果確認も大切な仕事です。薬物療法の効果を確認するのための検査のオーダーは最近になって薬剤師でもオーダーできるようになりました。十数年前にTDMの採血依頼が薬剤師でもできるようになり、その業務推進によって治療期間が短縮し投薬コストを削減できることが認められてから、薬剤師の業務内容も幅広くなってきました。近年は医師は診断に専念し、薬物療法に関しては薬剤師がリードして投与設計を行う時代に代わりつつあります。もちろん最終的な処方時にはドクターの承認が必要なためドクターとのコミュニケーションは欠かせません。Aさんは遺伝子タイピングによるゲノム薬理(pharmacogenomics)の認定薬剤師取得を目指しており、5時になると病院の研究室に行って「遺伝子タイピングと投与設計」についての論文をまとめます。薬剤師も臨床系の学会に参加することは20年以上前から当たり前の時代になっています。

◎Bさんの年齢も30歳、20年前に6年制になった薬学部を卒業して6年経った中堅薬剤師です。慢性期病院の薬剤師は当直者を除き、基本的に2交代性勤務になっており、朝7時から昼3時までと昼の1時から夜の9時までの勤務です。今日は早出の日なので、ナースステーションの隣にあるサテライトファーマシーに行って、昨晩、遅出の薬剤師が調剤した薬を患者さんのベッドサイドに配薬するのが朝一番の仕事になります。このように毎食後の薬物投与は薬剤師の仕事になってから、服薬アドヒアランス(コンプライアンスという言葉は死語になりました)は完璧になりました。毎日患者と会話しているため、この病院では副作用の第一発見者は薬剤師です。副作用がでるとドクターに報告して、どのような薬剤に変更するかを議論します。さらに10年前に薬剤師やナースにも一部の処方権が与えられたため、下剤や風邪薬などは患者から頼まれれば薬剤師の判断で処方できます。そのせいか外科系のドクターから、処方を任せられることも増えてきました。そのときはBさんに処方依頼がドクターから来ることになっています。配薬が終わるとナース・栄養士たちと一緒に患者申し送りに参加します。この病院では薬物以外のケアはナース、薬物に関するケアはすべて薬剤師の仕事です。そして医師は医師本来の仕事である診断や処置に集中して力を注ぐことができるようになったために、かつて問題となった医療事故もめっきり減っています。ナースもナース本来の業務に専念できたため、ナースの人数も減少しました。逆に21世紀初頭、この病院の薬剤師は全ナース数の1割しかいませんでしたが、今は薬剤師数が増えて全ナース数の2割を占めるようになりました。消毒薬の調整、点滴の準備だけでなく癌患者さんへのIVHメニューの投与設計も薬剤師の仕事です。10数年前から医師は診断に専念し、経口栄養に関しては栄養士が処方し、経静脈栄養に関しては薬剤師が処方するようになっています。考えてみれば薬剤師はもともとmEq、mOsm、Calといった計算は医師よりも得意なはずなのですから、当然かもしれません。もちろんサテライトファーマシーではIVH処方の無菌調剤も行われます。この病院では退院後のフォローも万全です。退院後の独居老人のところには定期的に別組織の在宅センターから医師・ナースだけでなく薬剤師も行っていますが、在宅センターの薬剤師との連携もBさんの仕事です。

私の提言?あなたにとってのプライオリティは何か??
薬剤師がこれからの生き残る道は中特半端ではなくとことん薬剤師としての職能を発揮することです。Aさんは薬物投与による患者治療cureを自分の職能として発揮するためにとことんドクターとの関係を密にして、薬物投与に関してはドクターを指導する立場として日夜努力しています。一方Bさんは患者careを自分の職能として発揮するためにナースとの関係をとことん密にしようと努力しています。週に1回、主治医、ナース、栄養士とともにカンファレンスも行います。では「とことん何をすべきか?」は勤務する病院によって、あるいは薬剤師それぞれの個性によってプライオリティ(優先順位)が異なってきます。当然そのプライオリティは医師やナースとは異なってくるはずです。薬剤師でないとできないことが最も優先されるはずです。Aさんは投与設計コンサルタントとして、Bさんは服薬コンサルタントの道を優先しましたが、どちらも副作用管理者(リスクマネージャー)としての業務は重要なウエイトを占めています。これからは薬剤師として、本当にやらなければならないのは何なのかを、自らの意志を持って判断し、そしてその実現に努力を惜しまないことが、大切だと思います。ここに私が書いたのは30年後、薬剤師として最良のシナリオかもしれません。現在の我々の努力が実ってこそAさん、Bさんが将来生まれてくるのです。現在の我々が「努力することもなく、与えられただけの仕事をこなし、5時になったら帰る」といったことを繰り返していれば、最悪のシナリオ:つまり、薬剤師という職種がなくなることはないでしょうが、病院薬剤師として必要とされるのは薬品管理だけと判断され、調剤するだけなら別に薬剤師でなくても問題ないと評価されて、病院薬剤師は激減するというシナリオも考えられます。

わからないことが多すぎる

なぜ、病院薬剤師が研究しなければならないか?それは「わからないことが多すぎるから」なのです。今私は、わからないことだらけです。今まで薬学部で学んだこと、多くの患者さんを今までに見てきたことから学んだこと、ドクターから学んだこと、多くの書物や文献から学んだことが本当のたくさんあります。でもわからないことはまだまだあります。今私が知りたいこと。私の病院は腎不全専門病院なので、腎不全患者さんについてのことが多いのですが、たとえば身近な薬のジゴキシンにだってたくさんあります。

  1. ジゴキシンの吸収は制酸剤で低下するけど、リン吸着剤の炭酸カルシウムで吸収は低下するのか?それは用量依存的か?
  2. 腎機能はCLCrで表すけど、ジゴキシンのように糸球体濾過されるだけではなくて尿細管分泌からも分泌される薬物の投与設計はCLCrによる計算式で適合できるのか?そして透析患者の尿細管分泌は無視できる量なのか?
  3. ジゴキシンの相互作用は多く、ベラパミル、キニジンなどはジゴキシンの腎排泄を阻害するといわれているけど、それだったら腎機能の廃絶した透析患者ではそのような相互作用は起こらないはず。でも実際には起こっているのはなぜなのか?
  4. 透析患者ではジギタリス様免疫反応物質が血中に存在するために測定誤差が生じやすいが、ジギタリス様免疫反応物質はどのような病態で発現するのか?

別にこれらの疑問は実験室に入って試験管を振らなければできないようなテーマばかりではありません。TDMの測定データと患者背景を詳しく調べることから解明されることも多いのです。

「研究はやりたいけれどテーマがない」なんて行っている薬剤師はいないでしょうか?私は逆です。「わからないことが多すぎる」のです。身近な薬の中にも、わからないことはたくさんありますし、おそらく、上記の疑問は自分で答えを探さなくては、誰も答えてはくれません。だから研究するのです。薬剤師は何のために必要なのか?薬剤師のアイデンティティは何なのか?を考えてみてください。単に薬剤を管理し、調剤するだけなら、今まで学んできた「薬学」は何のためにあったのでしょうか?単に薬剤を管理し、調剤するだけなら、専門学校でも十分教えることができます。4年間学び、そしてこれから先、6年間学ぶ必要があるということに現場の薬剤師からはほとんど異論がでてこないのに、現場の薬剤師が薬学を活用しきっていまい現実は何なのでしょうか?薬学をベースにして調剤すれば、この薬はこの病態の患者にこの量でよいのだろうか?という疑問は必ず生じてくるはずです。そして疑問が生じたら調べるはずです。そして調べてもわからなければ自ら解明しなければ誰が答えてくれるでしょう。薬剤師は薬のプロフェッショナルのはず。この先、6年間勉強してきた薬剤師に教えなくても薬剤師の存在価値を示すことができるような職場に変えていく必要があるとは思いませんか?

“Yes, we can” の輪を広げよう

「えー?学会で発表なんて!」なんて思っている人はいませんか?今までに薬局の先輩達が一度も発表したことがない方はそう思うかもしれません。でも、我々、白鷺病院の薬剤師であれば学会発表は必須の仕事、学会発表することが当たり前になっていますから、どの薬剤師も決して「自分にはできない」とは言いません。私自身が学生時代、相当の劣等生でしたが、そんな私にでもできているのだから、若い薬剤師達も「君にだってできないはずがない」と励ますことはありますが、みんながやっていれば誰でもできてしまうのです。結局、学会活動の活発な薬剤師の多い病院とそうでない薬剤師の多い病院の違いは「私にでもできる」「私にだってできないはずはない」と考えるような土壌ができているかどうかの違いではないでしょうか?決して我々は競って発表しているわけではありません。薬局内の勉強会で疑問に残ったテーマ、解決できていない問題症例を何とか文献検索して、あるいは薬剤師同志で話し合って、あるいは医師やナースなどと話し合って疑問を解決したいと思うのはプロの薬剤師として当然のことだと思っているのです。解決できていない薬の問題点や症例に対する疑問点を全精力を注いで解決し、一定の結論が得られれば、それがポジティブデータであっても、ネガティブデータであっても学会発表、文献執筆という形で報告することによって完結させます。学会でフロアーや座長から質問さしていただくことによって、あるいは文献投稿時にレフェリーに批判していただくことによって薬剤師として、そして研究者として一歩一歩ステップアップしていくものだと思います。「私はちゃんと学会発表していますよ」なんて、地方の研究会程度で満足していませんか?ステップアップするための階段はまだまだあるのですよ。とはいえ人間が成長して大きくなることは決してたやすくありません。結局、少しずつステップアップするしかないのです。薬剤科内の症例検討会→院内の症例検討会(薬剤師も院内の症例検討会に参加して、薬剤師も症例報告しています)→地方の学会発表→全国レベルの学会発表→文献投稿→国際学会発表→英文文献の投稿→国際的に認められた一流紙への投稿、このようにあなたの成長する余地ははまだまだあるのです。一段一段上がるごとに薬剤師として大きく成長しているのが自分で体感でき、数年前の自分がどんなに低いところにとどまっていたかがわかると思います。勉強はちゃんとしていても、学会でちゃんと話を聞いていても、あなたは高い山を見上げているだけ。見上げているだけでは全然、頂上には近づかないのです。周りの人が登り出さないのなら、あなた自信がステップを踏み出してみてください。学会で質問され、あるいは文献投稿時にレフェリーに批判されるのを恐れてはいけません。我慢強くやれば、いい仕事はきっと評価されます。リサーチマインドのない薬剤師の集まりでは他の医療スタッフから評価されるはずはありませんし、社会的評価も得られません。「私だってできるのです(Yes, I can.)」、あなたのこの考え方がyes, we can”の輪になって広がってゆけば薬局全体に活気がみなぎることは間違いありません。

Pharmacist dilemma

薬剤師は学校でかなり難しいことを習います。そして卒後も実によく勉強します。薬剤師会やメーカーが勉強会を開催すれば多くの薬剤師が集まりますが、これは医師を除く他の医療職種にはない現象だと思います。しかしこれらが十分、臨床に生かされているとは言い難いのです。学校で習った知識が一番生かされていない医療職種は薬剤師ではないでしょうか。これに関して反論する方も多いとは思うが、現在の多くの薬剤師は薬学で得た化学的知識を仕事に十分生かしているでしょうか?薬物動態学や薬理学、生化学で得た知識を臨床に十分に生かしているでしょうか?全く生かされていないとは思いませんが、どれも断片的なものであり、難しいことを学びながらもそれらを仕事に十分生かせないと思います。「この仕事はやっぱり薬剤師でなくては」といわれるような仕事をできていないこと、これを私はpharmacist dilemmaと名付けたいと思います。ジレンマとはあちらが立てばこちらが立たず、ということです。この問題になると多くの薬剤師は大学教育の問題と決めつける方が多いのです。確かにそれもあるでしょうが、医療現場での教育システムの欠如、リサーチマインドを持つ薬剤師が非常に少ないことの方が大きな問題ではないかと私は考えます。
リサーチマインドのない薬剤師が病院から評価されるわけはありませんし、社会的評価も低くなった薬剤師になろうと思う学生は減り、薬剤師のレベルはさらに低下すると考えられます。

しかし一方で、病院薬剤師が外来調剤中心から病棟での服薬指導中心の業務になってから、見違えるように大きくなった薬剤師が散見されつつあります。大学病院の先生方は、以前から多くの業績を残しているため除くとしても、一般病院でもTDMに関しては国立循環器病院の上野和行先生、薬物アレルギーに関しては新潟水原郷病院の宇野勝次先生、そして若手ではEBMに基づく薬剤師業務を推進する愛知厚生病院の三浦崇則先生、科学的な副作用モニタリングを実践している中国労災病院の前田頼信先生などなど、「薬剤師でないとできない業務」を遂行している薬剤師が現れはじめました。これらのひと味違う薬剤師は結局、自分自身のアイデンティティを持ち、「自分からイニシアチブをもって仕事のできる人」であり、安全かつ有効な薬物療法を患者に提供できる薬剤師だと思うのです。今までの薬剤師は医師の指示通り、処方箋に従って調剤をするという行為に慣れすぎたのではないのでしょうか?病院薬剤師の定員削減が話題になる中で、調剤技術だけでない「本当に病院にとって必要な、幅広い臨床的技能を身につけた薬剤師」の養成がこれからの重要課題になると思われます。そのためにはいつまでもorder takerであってはなりません。これからの薬剤師はself starter(自分からイニシアチブをもって仕事のできる人)に変貌する必要があります。

プロフィール

平田純生
平田 純生
Hirata Sumio

趣味は嫁との旅行(都市よりも自然)、映画(泣けるドラマ)、マラソン 、サウナ、ギター
音楽鑑賞(ビートルズ、サイモンとガーファンクル、ジャンゴ・ラインハルト、風、かぐや姫、ナターシャセブン、沢田聖子)
プロ野球観戦(家族みんな広島カープ)。
それと腎臓と薬に夢中です(趣味だと思えば何も辛くなくなります)

月別アーカイブ