~努力することの大切さ~
今まで、自分自身の考え方、アイデンティティを見いだせないで苦しんでいた若いころ、どうやって生きてゆけばいいのだろうと思い悩んで、自分のノートに書きためておいた言葉があります。まずは努力することの重要性を唱える名言は勇気を与えてくれました。あきらめよう、楽をしようとする自分を叱咤激励し、頑張らせてくれました。
この名言は2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹先生の言葉をテレビで見て感動し、夢中で自分のノートにわかりやすく書き記したものです。白川先生の名言集では「若い人はもっと挑戦の精神を持つことが大切だ」に近いかなと思います。
プロレス好きだった僕はこんな言葉にも影響を受けました。
熊本赤十字病院の下石和樹先生がこの長州力氏の言葉を好きだとおっしゃっていましたが、偶然ですが僕も大好きな言葉で、名言だと思います。もう1つ、プロレスラーで今は政治家で文部大臣も務めた馳浩氏の言葉(僕のメモによれば馳浩氏だったと思いますが検索しても出てきません)も好きでした
~努力だけではつらいが好きなことだとつらくない~
努力するっていうことは本音からいうと、つらいことかもしれません。自分の好きなことを一生懸命やればいいんだといってくれたのが以下に示す本田宗一郎氏の名言です。本田氏は尋常小学校を出た後、自動車修理工場に丁稚奉公して戦後に本田技術研究所を設立しました。僕の考え方を「努力」から「夢を持って楽しいことに一生懸命やろう」、そして「嫌なことだったらやめてもいいんだ」と方向転換させてくれた言葉です。
英語論文を読んでみよう
自分らしいオリジナルの意見を持てない人に自分のアイデンティティを持つためのアドバイスですが、前述のように交友関係を広げることだけでなく広い範囲の読書をすることもとてもいいことです。でも薬剤師であれば、若い時にこそ、自分を高めるためのもう一度、薬物動態、薬理、病態について勉強してみませんか?若いうちに英語論文を読んでみませんか?英会話を始めてみませんか?勉強会や講演会で気の利いた質問はその講演会のテーマに関する原著論文を読んでいると10個くらいの質問は出てくるはずです。決してメディカルトリビューン、日経メディカル、M3comやメーカーのWebサイトから専門家の意見を見ただけで受け売りするだけではいけません。これらの情報を得られることは非常に良いことですが、自分の専門分野に関しては自分なりの考えを持ちたいですね。そのためには自分で原著論文にあたってGoogle翻訳などを使わずに独力で訳してみましょう。
自慢するわけではありませんが、僕は国際学会に行って自分の専門分野である腎臓病の薬物療法やTDMなどに関する英語の講演はほぼ100%理解できます。でも実際には僕は英字新聞も読めないし、CNNニュースも難しいし、英会話能力も深いディスカッションは苦手ですが、論文だけはたくさん読んできたから読めるし、講演もスライドや図表があれば日本語と変わらないくらいに理解できます。そして英語で質問も一応できるようになりました。そのようになったきっかけは僕が24歳のとき、初めて中分子尿毒素について学会発表するとき、ドクターたちから何を聞かれるかがとても怖くて、発表内容に関する英語論文20個くらいをすべて取り寄せて、毎日読み始めたことです。最初はほとんどの単語が分からなくて、そのたびに辞書を引いていましたので、仕事が終わって初めて23時になっても1つの論文すら訳し終わらなかったのが、2本目は半分の時間で済み、3本目は1/4の時間で済み、1週間たったころには辞書なしで楽に訳せるようになったのです。これって半減期の理論(半減期×4~5倍で薬物濃度はほぼゼロに近くなる=あきらめずにやり続ければ労力がゼロ近くになる)と同じで、この快感・達成感は今も忘れません。これ以降、僕はMedline検索、インターネットが発達してからは自分の体験した副作用や患者さんの薬物療法の最適化についてPubMed検索で解決することが多くなりました。そうすると何が新しくて、何が既にやられている仕事かが分かり、原著論文を書けるかの判断もでき、臨床で生かしたことを題材に次々と論文にすることができました。
夢を持とう、主体性をもって自分のゴールを目指そう
現在は病院薬剤師にも保険薬局薬剤師にも薬剤師としての活動の場が広がりつつあります。若い人たち、若くなくても活躍の場を経験したことのなかった人たちにも、主体的に動ける自己を作って高いゴールを目指してもらいたいです。小さな一歩からで構いません。勉強会で勇気を振り絞って質問してみよう。10分のプレゼンを頼まれたら、チャンスと思って全力を注いでみよう。それがユニークで好評であれば、30分の講演の依頼がいつかやって来ます。そして全国的な研究会や学会でプレゼンする機会ももらえます。当然この前後で原著論文を書けるようになっているはずです。夢は大きく持ちましょう。ゴールは高く掲げましょう。国際学会で発表し、英語論文を書けば、博士号も転がり込むように取れます。
僕の場合、薬学・医学とは関係ない本を読む読書も好きでした。そしてその中に書かれてある自分を高めてくれる言葉、名言を自分ノートに書き綴る習慣をつけていました。自分自身の将来を俯瞰的に見ることのない不器用な僕にとって、そういった名言が、横道にそれることなく、自分を高め、自己を確立するに至ったような気がします。そして小さなことではつぶれない強い自分になれたような気がします。次回はさまざまな名言を心の糧にして自分を高めることについてブログに書きたいと思っています。
ゴールを設定することができなかった僕の若いころ
皆さんはどんな薬剤師になりたいですか?目標はできるだけ高く持った方が高いゴールに近づけると思います。僕の場合、30歳まではつまらない調剤ばかり、服薬指導もできず悶々として薬剤師を本気でやめようと思ったこともありました。あまり夢中になることはできなかったけれど、仕事が終わってからの「血漿中の中分子尿毒素の測定、透析患者の血漿カテコラミン濃度の測定、透析患者の血漿セレンや亜鉛などの微量元素の測定」などの臨床研究で何とかプライドを保っていました。薬剤師としては調剤しかできないフラストレーションがたまっていた状況から解放され、100床以下の小病院でも薬剤管理指導業務が算定できるようになったのが39歳の時ですから、僕は40歳という遅咲きの病棟デビューから薬剤師としての臨床の本当の面白さを知りました。でもその当時の僕には将来の人生を俯瞰できるような高い能力はありませんでした。ただいい薬剤師、高い能力を持った薬剤師になりたかっただけです。だから本を書けたり、博士号を取ったり、教授になったり、学会の理事長や副理事長を務めるなんて目標は全く持っていなかったのです。人生を俯瞰する能力、そしてゴールを設定することができれば、これまでの道のりはもっと楽になっていたかもしれません。でも無我夢中でも前進することができれば、能力がアップすることは確かだし、途中で道に迷ったことも人を成長させてくれるかもしれません。
チャンスは誰にでもある
薬剤師として全くと言っていいほど活躍できていなかった若いころの僕の前にもいろんなチャンスがありました。それはたまたま僕がラッキーだったからではなく、誰にもあるはずだと思います。院内勉強会やメーカーの方がやってくれる新薬説明会や適応拡大の説明会などもチャンスの1つだと思っています。そういった勉強会で他人が気付かないような意見を言う、説明会でメーカーの人に鋭い質問をする、自分を高めるために気の利いた質問をすることだけでも自分の能力を上げるチャンスだと思っています。そして気の利いた質問であれば院長だけでなく、他のドクターたちも自分の能力を認めてくれるチャンスに変わります。そういった積み重ねがいつか職場でプレゼンをさせてもらうチャンスになるかもしれません。
今僕はI&H株式会社で毎朝、朝礼に参加していますが、朝礼の担当者は毎日変わります。声が通って、はきはきと話せる人、テキストに書いてあるありきたりのこと以外の自分の感じた一言を聞くと「この人、優れているな」と名前と顔を覚えようと思います。ほんの短いプレゼンでも「できる人」「できない人」の評価(この評価が絶対的とは思いませんが、すぐれていると思われた方が得ですよね)が分かれてしまうのです。だから人前で話をする機会をもらったら、それは大きなチャンスをもらったと思い、どうしたらわかりやすく話させるか、うまく伝わるか、他人と違った独自の自分らしさをアピールするかを準備する必要があります。主体性があるかないかはこんな短いプレゼンだけでも感じ取ることができます。
交友関係も大切
いつか職場で学会発表などの機会を与えてもらえるかもしれません。そして各地の腎と薬剤研究会や薬剤師会、病院薬剤師会などの講演会で気の利いた質問をしたりすると注目され、いずれ10分程度のプレゼンをさせてもらうチャンスもあると思います。そして院内の勉強会でも外部の勉強会でもなんらかの交友関係が生まれます。自分にとって指導者がいなければ、こんな交友関係からメンターを見つけるのもよい方法かもしれません(僕はドラッグフォーラムオーサカというコアな勉強会に参加することで、上野和行先生というメンターを見つけました。これについてはドラッグフォーラムオーサカの思い出を参照)。でもすべてをメンターにゆだねるのは大学の学生まで。卒業してからは1人の大人としてアイデンティティをもって自分らしさを発揮してもらいたい。これらの勉強会を通じて生まれた知識だけでなく、勉強会後の飲み会での優れた薬剤師と討論したシナジー効果によって、自分1人では解明できなかった部分が交友関係で聞くことのできた一言で一気に解明されることってよくありました。ジグソーパズルの端っこが埋まれば一気に作品完成に近づくのによく似ています。だから勉強会後の飲み会に参加してあこがれの薬剤師と同席してディスカッションできることは自分を高める良いチャンスと思っています。
熊大の教授になれたなんて夢のようなこと
大阪での薬剤師のころの経験から熊大薬学部に来ることができて、学生たちにいつも言っていたことは「処方箋を書く医師は薬物動態と相互作用に関しては医学部ではほとんど教えられていないのだから、薬剤師がカバーすべき。そのために薬剤師の存在価値がある。でももっと根本にかえって考えてみると、もっと本当に大切なものがある。薬剤師は医療者なんだよ。医療者に共通して絶対に必要なものは優しさと愛じゃないですか?僕は薬剤師として頑張って有効で安全な薬物療法を提供し、患者さんの不安を取り除くことによって患者さんに感謝され、他の医療スタッフからも感謝され信頼される。医療者の魅力はボランティアのような仕事をして、しかも給料をいただける。それはそれはありがたい仕事じゃないですか?」と。でも信頼されるようになるにはそれなりの力も必要だ。患者さんを助けたいという気持ち、患者さんのために何とかしてあげたいという気持ち、その熱意と優しさが、薬剤師としての力をつけたいというモチベーションに繋がるのではないかと思うようになった。
熊大で、よく講義中に話題を変えると、元の話題に戻れなくなり、「さっき僕は何について話してたっけ?」と学生に問うことがある。これは年を取ってボケたんじゃない。以前から頭が悪かった、特に記憶力は飛び切り悪かっただけのこと。まだまだ他人に劣ることはいっぱいある。未完成の自分、足らないことだらけだ。
いやなこともそりゃ人間だから、たくさんあるが、それ以上にやりたいことがあるってことは本当に素敵なことだと思う。でも学会の理事長になり、大学の教授になり、僕にとっては雲の上の人のような方ばかりと付き合えるようになって、強い戸惑いを感じることが多々あります。
いつも思うことはまだまだ僕は足らないことだらけの欠陥人間だなということ。いまだに英会話の勉強をしないとレベルが保てないし、統計も病態も薬理学も動態も勉強し直さないとどんどん進歩する薬物療法についていけなくなってくる。新薬についても勉強しなくては・・・・。ああ若いときにもっと勉強していたらなぁって、後悔することばかりの今日この頃です。
神戸に転居して
2020年3月、新型コロナウイルス騒ぎの中、熊大を定年退職し、4月から本社が芦屋のI&H株式会社(阪神調剤グループ)から声をかけていたき、神戸に住むようになった。心機一転、保険薬局で頑張っている薬剤師さんをいっぱい見つけて、将来の薬剤師としての夢について語り合いたい。関西地区でも「平田塾」を開催してみたい。まだまだいろんな本を書いてみたい。どんどん学会発表して、論文もかけるような力のある薬剤師を育ててみたい。体はいたって元気いっぱいなので、老け込むことないし、65歳になっても夢をもって仕事を続けられるってことは、とても幸せだとつくづく思う。あ~薬剤師になってよかった!
僕はエリートじゃない。
前から何度か言ったことがあるかもしれないけれど、小学校の時の成績はひどかった。4年生になるまで3人に1人は取れるはずの「良い」の評価が1つもなかった。いつも先生の話すスピードが速いため、理解力がついて行けなかった。割り算のやり方がさっぱり理解できなくてトラウマになったこともあった。何をやっても遅い、運動も何をやっても全くダメな生徒ということでいつも名指しで担任にいじられた。そのせいか給食で食べるスピードを上げることに熱中し、1~2番に食べるのが早かった。こんなことでしか1番になることができなかったのだが、今にして思えば、この早食い癖は健康には良くないなと思う。ただ僕は子供のころ、よく妄想するのが好きだった。すごい発明家になる妄想、総理大臣とディベートする妄想、それと夢中になると寝食を忘れて熱中する子供だった。
でも中学に入り丁寧に教えてくれる先生の成績は良くなった。クラス40人中23番だった1年生の1学期から徐々に10番内に入り、卒業時には5番内に入るようになり、小学校の時には普通科に入れるとは思いもしなかったが、一応進学校の普通科の高校に入れた。今思うとそんなに一流校ではないが小学校の時には僕にとってはあこがれの高校だった。同級生たちは「小学校のころからひどい成績だった平田が何で合格したの?」と不思議がっていた。
中学校や高校では運動音痴の僕にとってクラスマッチは本当に嫌だった。「平田のせいで負けた」とは言われなくても、そんな視線を感じて殻に閉じこもり、女子生徒とは全く話ができない、人前では全く話ができない、とても暗い高校生活だった。
大阪に来て20歳になって自分の考えを持てるようにはなった
暗かった広島時代から大阪薬科大学に入学して大阪で下宿生活を始めるといろんな友達ができたし、先輩たちにもかわいがってもらった。でも19歳までは葛藤、苦しみ、自己否定、悩みだらけの情けない毎日だった。このころ人生について考えるようになって高野悦子の「20歳の原点」などの本をたくさん読んだ。自分のオリジナルの考え方を全く表現できない子供だったが、先輩や友人の助言をもらって自分自身の考え、自分自身の個性、独自性、アイデンティティが芽生え始めたのは20歳の時。
100床以下の個人病院で埋もれていた誰も知らない20年近くの薬剤師時代
それ以来の平田の考え方は65歳になった今でも基本的には成長していないと思う。一個人としては物忘れがひどく、よく失くし物をし、全く運動神経がなく、方向音痴の頼りない人間でしかない。ただ好きでい続けること、少年のように夢中であり続けたこと。誰かの影響で「何かを始めなくっちゃ」と思うようになってドキドキワクワクすることがあると熱中する性格だった。いわゆるオタクです。40歳になってやっとわかったことは熱中すると集中力が出ることだ。いつもは出ない能力がその集中力のおかげで出せるようになる。
誰もが時がたてば仕事には慣れる。そして時間がたてばある程度の技量も身につく。でも人並外れて伸びる人になれるかなれないかは「何のためにやっている」かを理解できているかどうかの違いだと思う。僕の場合、40歳になって「目の前の患者さんのために」と思ってやると本当に重要な仕事をやっているのだと思えるようになって、かけがえのないものに対して集中することができるようになった。やっと自分自身の考えによってかけがえのないもの、つまり「薬剤師という仕事」に夢中になれたことが自分自身の宝になった。ただこのようにして年月を積みかさねることによって成長しているように見えているだけかもしれないが・・・。本当の大人になるのに20年もかかった。
やらなかったことで後悔することはすごくたくさんあるが、やったことに対して後悔したことはほとんどない。トライして失敗したことに対する後悔よりもやらなかったことによる後悔の方がはるかに悔しいと思う。
ゼロから1にすることが非常に大変だけど、それを超えれば一流の研究者
①まずは学会発表。
やったこと、経験したことは学会で発表しましょう。これは大学での卒業研究の経験もあるでしょうし、職場の先輩のアドバイスもいただけるでしょう。学会発表は緊張しますが、その夜の飲み会で苦労は吹き飛びます。ただし実績としてはほとんどないに等しい。だって仕事の内容が数百字の抄録だけだから、評価できるものにはなりません。
②その次のレベルは原著論文の投稿。
これは実績として残ります。原著論文の筆頭著者になっていれば、認定薬剤師を飛び越して専門薬剤師になれます。実際、原著論文を書くことは、慣れれば大変なことではありません。ただし慣れていないために学会発表と比べて、初めて文献にまとめることは大きなストレスになりますし、書き始めて「あれをやっていなかった」「症例数が少なかった」「このデータがそろっていなかった」などの理由で論文にならないこともありますので、臨床研究は計画的に行うこと、症例報告はできるだけ検査値など漏れのないよう、しかも経時的に検査値の推移が見れるよう、医師にはきっちりと検査依頼をしておきましょう。論文の書き方がわからないときは論文のテーマによく似た論文を探して手本としてみましょう。ただし、コピペはいけません。論文の中の数行コピペするだけで盗用となりますので自分の言葉で書きましょう。これらのことは「言うは易し、行うは難し」です。分からないことがあった時にすぐに聞くことのできるメンター(師、あるいは師匠)を見つけましょう。大学を卒業したら、教師はいません。自分で尊敬できる人、それは先輩薬剤師でも、医師でも構いませんし、同じ職場にいなければ学会で見つけて仲良くなることも大事です。「中小病院の薬剤師だから、開局薬剤師だから」というのは言い訳に過ぎません。施設外の勉強会や学会に行けば様々な出会いがあるはずですから。若い薬剤師さん、名刺を作ってますか?名刺は仕事道具ですので、職場で作ってくれなければ自分で作りましょう。安いところでは100枚が1000円程で作れます。
※僕のメンターは薬物動態では上野和行先生(写真右下)、論文の書き方についてのメンターは田中一彦先生(写真左)です
③日本語論文の1本目が大変なだけであって徐々に楽になります。
どれくらい楽かというと私の経験では1本目に要する努力が100だとしたら、2本目は50の力で、3本目は25の力で、4本目は12.5の力で、ということは半減期と同じようにどんどん楽になって3本目以降はほとんどストレスを感じなくなります。すなわち原著論文を3本書けば、あなたはもう一人前といっていいでしょう。とにかく論文ゼロから1本目を書くことが非常に大変ですがそれを乗り切れば、あなたのレベルアップの道は自然に開けてきます。その1本目を書くときに一番ストレスのない方法は、学会発表する前に論文投稿しておくことです。前述のように何度も同じことを繰り返すことは非常につらい作業ですが、未知のことを知ることはドキドキワクワクします。引用論文をすべて読んで夢中になって論文を書いて、学会発表に臨めば全く怖いものなしです。座長にどんなに難しいことを聞かれても「それに関しては全く検討されていません。つまり誰もそれについて検討していませんので私も知りません。ただし私が推測するに・・・・」などと言えるようなくらい文献をチェックしておけば何を聞かれても怖くありません。
④英語論文に挑戦しましょう。
結果云々よりもしっかりしたプロトコルが大切になりますが、日本語論文を数本書いた経験のある方ならもうお分かりですね。方法に関しては綿密に検討しましょう。お金がないけれど時間は十分ある人は、日本語を完璧にして(直しようのないくらい推敲しましょう)、それを英語に素直に直訳して、その英文を医学・薬学関係に長けたNative speakerにチェックしてもらうと安上がりです。私も数年前まではそうしていました。夜、職場を出る前に米国在住の元教授にFAXすると翌朝には訂正文が帰ってきていて費用は8000円程度の安さです。英語が苦手でお金持ちの方は英文作成会社に丸投げします。10万円くらいとられるかもしれませんが、こちらの方が自分で書くよりは専門家の英語なので、英文の出来は良いように思います。医学部の先生は多くの方がこのようにやっていました(きっとお金持ちだからでしょうね)。英語論文も論文ゼロから1本目を書くことが非常に大変ですがそれを乗り切れば、あなたのレベルアップの道は自然に開けてきます。英語論文3本も書けば博士号取得だって夢ではなくなります。僕も実はそのようにして基礎研究なしで博士号を取得しました。
僕は40歳になってからまともな薬剤師、つまり服薬指導するために病棟に行って臨床経験を積むことのできる薬剤師になれた遅咲きです。でもその臨床が最初のうちはさっぱり分からない。薬物動態も、病態についてもからっきし力がないことを思い知らされました。
その時に僕を救ってくれたのが図書館です。大阪市立図書館には専門書も患者向けの本もたくさんありました。動態については廃版になっていた日本の臨床薬理の父と言われていた石崎高志先生(元熊本大学薬学部教授)「循環器病薬の臨床薬理」をはじめとした名著を借りて読むことができましたし、腎臓以外の苦手な分野については患者向け、ナース向けの本を借りました。最新の学会誌を読んでも、新しいことしか書いていないから、かなり力がつかないと読んでも無駄ですが、患者向け、ナース向けの本はわかりきったことしか書いていない。つまりよくわかっていないことは書いていないから、とってもわかりやすいのです。患者向け、ナース向けの本で僕はジェネラリストになれました。
それともう1つは白鷺病院の図書室です。その当時は英語論文が熊大図書館以上にたくさんありましたし、腎臓関係の臨床雑誌は10以上ありました。その中で目を付けたのが電話帳のような「BrennerのThe Kidney」、「Seldin, GiebischのThe Kidney」、「Scribner, GottscharlkのDisease of the kidney」です。どれも2~3冊組。厚さにして3冊で20cmくらいあります。それらの英文教科書の巻末には腎機能低下時の薬物動態と腎機能別薬物投与量一覧が載っているのです。それを白鷺病院の医薬品集に入力し、薬物動態に関しては自分で訳してノートを作りました。そしてその中で分かりやすい図表は自分でアレンジして3冊の本のエッセンスをまとめた「自分ノート」ができたのです。それをもとに自分の臨床経験も交えて日本では誰も書いていなかったことを著したのが月間薬事の連載「透析と薬物療法~投与設計へのアプローチ~」であり、それをまとめた「透析患者への投薬ガイドブック」です。この本は難しくありません。だって僕はダメ薬剤師だったからこそ、その立場が分かっていたので、難しい書き方を一切やめて、英文を訳したものの、内容は自分の臨床経験や体験した症例を加えて非常に「わかりやすい本」が書けたのだと思います。これで僕は「透析と言えば平田」と言われるようになりました。でもその狭い範囲がコンプレッススに感じたので、その後は頑張って幅広く「腎臓と言えば平田」と言われるよう、間口を広げる努力をしました。これが僕のスペシャリストへの道です。
※写真右上:初めての書籍「透析患者の投薬ガイドブック」
※写真左下:僕をスペシャリストにしてくれた英文の専門書
◆まずは好きになる努力が大切
何も知らなければ、取り残されて、つらくなる。だから少し努力しても最初に勉強しよう。そうすればみんなよりできるようになる。みんなよりできるようになると楽しくなる。苦痛じゃないので好きになる。好きになったら夢中になれる。夢中になれる人を他人は「オタク」という。オタクは天才に勝てるのです。そうすれば普通のあなたが他人から天才と呼ばれるようになるのです。それは痛快でしょ?
まとめましょうか。まずは1つの薬、1つの病態について詳しく知りましょう。それに関する分かりやすい日本語論文を2~3読んでみるだけでいいのです。それだけであなたはその薬局でトップの知識人になれます。うれしくなって主だった英語論文を読むとあなたは県下で有数の物知りになれるはずです。学会で専門家に質問もできるようになりますよ。それをもとにどんな研究をすればよいかが分かるようになって自分で論文を書く。そして日本語論文に飽き足らなくなれば英語論文を書く。これであなたは日本で有数の臨床研究者の仲間に入るのです。
最初の「好きになってみる」ために、ちょっとだけ努力をしましょう。その努力は「さし水」や潤滑油のようなものです。ほんの少量でこれからの情報量を増やしてくれるもとになるのです。
◆疲れたら休む
疲れたら休む。眠くなったら眠る。眠くないけどやる気が起こらないときにはスポーツジムで汗を流す。ギターを弾く。要するに気分転換も大切です。やる気もないのにやったって成果が出るはずもないのです。
その代わり眠れないようなくらい夢中になって仕事ができて、翌日が休みなら朝まで頑張る。これが僕の仕事のコツです。僕は仕事に夢中になると頭が冴えてくるので、土曜日はほとんど朝帰りです。
◆待ち時間を有効に
待ち時間は無駄だと思っています。何か自分の成長につながることをやりましょう。英会話をスマホで聞いてもいい。気持ちを落ち着かせるために音楽を聴くのもいい。もちろんいろんな書物も読める。
僕は電車の中では論文を読んでます。なぜか机の上で読むよりも頭に入りやすいのと、新しいアイデアが生まれやすいのです。これは僕の場合、電車の中が適した環境ですが、人によってはスタバやドトール、マックの方が落ち着く人もいますし、図書館やネットカフェの方がいい人もいるでしょう。
◆フレキシブルに時間を使いこなせ
朝9時から夕方5時までのコアタイム。これはできれば守りたいのですが、本来ならば職場にいた時間ではなくて成長できるときに成長しよう。別に朝早くでも夜遅くでも構わない。僕は断然夜型なので、帰るのはほぼ12時。仕事が好きだから(それと不器用だから)12時までいるんですよ。いやだったら早く帰るしかない。
だけど職場と家の往復だけじゃ息が詰まりそうなときもある。だから友達の誘いはできるだけ断らないし、嫁とランチやディナーはできるだけ出かけるようにしてる。気分転換も大切です。そして良いアイデアは机の上以外のところで発生しやすいのです。トイレ、スポーツジム、通勤時、野球観戦時などなど。だから僕はポケットメモをいつも持っていて、それをすぐにメモると、結構いいアイデアや名言が生まれてきます。
◆ストレスを抱え込まないで
一喜一憂って言葉があるけど、1つ1つのことに敏感に反応すると、ストレスでつぶされそうになります。
仕事は抱えすぎるとパニックになります。仕事を貯めないようにするコツはない。いやな仕事も早くこなすしかない。溜まった仕事に追われると仕事は苦痛に変わる。でも仕事を1つ1つ終え、自由な時間を作ると、これからは自分から仕事を追えるようになります。
言っていること分かりますか?仕事を中途半端にしておくと、中途半端な仕事を何回も繰り返さなくちゃいけなくなる。飽きてしまうような仕事を何度も繰り返すのはストレスフルでとってもつらいことなのです。だけど予習は未知のことなので、ワクワクドキドキします。つまり自分から仕事を追える、こんな楽しいことはないのです。そして予習しておけばスタートラインから他人に勝っている。予習は知らず知らずのうちに好きになる努力をしていることと同じなのです。これをする人はいい意味での「オタク」です。天才よりすごいのです。
現時点で薬剤師が処方権を持つことには賛成しかねる。薬剤師は医師の処方を患者の病態、薬物の特性を十分理解したうえで、より有効かつ安全で、目の前の患者さんに配慮した最高の薬物療法を提供するという崇高な職務を全うすべきであり、ScienceをベースにしたIntelligenceの高い職種であると考える。
そのためには「薬物療法のすべてに関して責任を持つのが薬剤師」といわれるようにしたい。しかし今の薬剤師の問題はその多くがOrder-taker(指示されないと仕事ができない人)であることではないだろうか。薬剤師が今後のスキルミックスによって薬物療法に対して例示された業務内容を受身的にやるだけでなく、より大胆かつ先進的な業務を推進・標準化し、医原病となるような副作用をなくし、患者様にとってより良い薬物療法を提供できるよう主体的に取り組まなければならない。そのためには薬剤師はSelf -starter(自分からイニシアチブをもって仕事のできる人)にならなくては。
医学はアート、薬学はサイエンスとよくいわれる。患者の特性と薬物の特性を十分理解してうえで、最高の薬物療法の提供するのが薬剤師の職務。
うまくいかない薬物療法を何とか改善したいという思いが臨床研究に駆り立てる。そのうまくいかない理由を徹底的に追及して行けば薬物療法は薬剤師の力によってよりよくなる。それが薬剤師の本来の姿なのではないのだろうか?
日病薬から例示されたからやるのではなく、今、この患者さんの薬物療法に対して何が問題で、誰が主体的になって薬物療法を改善していくかを考えると、薬剤師である自分が主体的に改善するしかない。職能拡大は与えられるものではなく、実績を残した証しとして自ら勝ち取っていくものでは?
慢性腎臓病(CKD)患者に腎排泄型薬物を投与して中毒性副作用が発現した症例、あるいは腎機能悪化要因を持っている患者にアミノグリコシド系抗菌薬・造影剤などの腎毒性薬物、あるいは漫然としたNSAIDsの投与・不適切な利尿薬投与などによる腎虚血によって腎機能が悪化した症例は、今、現在に至っても枚挙にいとまがない。6年制薬剤師の誕生によって、これからの薬剤師は薬物動態・薬理作用・相互作用・副作用だけでなく病態にも精通した薬物療法のエキスパートになることが期待される。そのため腎臓病の薬物療法に関しては、アシクロビル、ジゴキシンなどの腎排泄型薬物を腎機能に応じて適切に減量することを怠ったために起こる中毒性副作用や、ベザフィブラートなどの腎機能を悪化させる薬物を不適切に投与したため起こる腎機能低下を未然に防止できる薬剤師が必要となる。さらにクラリスロマイシンとコルヒチンの併用など、CKD患者では特にマークしておくべき相互作用を予測することによって、未然にこれらの薬物不適切使用を回避できる実力のある薬剤師を養成することが急務と考えられる。
日本透析医学会の「二次性副甲状腺機能亢進症治療ガイドライン」に沿ったリン吸着薬の投与量・投与薬物の変更という日病薬の提言にとどまらず、「腎性貧血患者のガイドライン」に沿った検査データによるESA療法、鉄剤投与の適正化の医師への提案、腎排泄性薬物の腎機能に応じた至適投与設計の推進、さらにCKD患者に対して腎毒性薬物の投与忌避および代替薬の提案、相互作用により横紋筋融解症による腎機能悪化が懸念される場合の代替薬の提案なども積極的に行うべきある。これから薬剤師は「薬の処方は医師の仕事だから」と考えるよりも「患者様の薬物療法をよりよくする」ために、より主体的に行動する必要性があるのではないだろうか?
明日『これからの薬剤師のなすべきこと』に続く