平田の考える薬剤師像

 熊本に来て早や10年。極度の方向音痴、人の名前、薬の名前が出てこないという認知症症状は順調に増悪しつつあるものの、熊本の生活にはすっかり慣れました。今、僕はすごく忙しいです。でもすごく楽しいです。僕が大学を卒業し40歳になるまで薬学系の学会に参加したことは1度もなく、病院薬剤師会をはじめ薬学関係の会や学会には全く所属せずに、それでも一生懸命、薬剤師をやっていたつもりの20年足らず。思えば薬剤師になりたての頃は「暗黒の時代」でした。患者さんに薬の名前も薬効も教えちゃダメ。だからPTPシートの名前の部分をはさみで切り落としていた。それが病棟に行けるようになったのが、ちょうど40歳の時。すっごく遅い「本当の薬剤師」としてのデビューでした。それからの僕は夢中になりすぎて、みんなに迷惑をかけたかもしれないけれど、仕事が楽しくて楽しくて仕方ない薬剤師になれたのです。

 40歳を境に僕を変えたきっかけはいくつかあります。服薬指導ができるようになったこと、メンター(指導者)に出会えたこと、TDMを始めたこと、薬物動態学を初心に帰って勉強したこと、いろいろありますが、今回はダメ薬剤師の僕を変えてくれたドラッグフォーラムオーサカ(DFO)というユニークな勉強会についてお話ししたいと思います。

 僕は39歳の時に田中一彦先生という麻酔科医のメンターに出会えました。「養老の瀧」のような安い居酒屋が大好きな、どこにでも普通にいる「人の良いおじさん」に見えます。でも実は初代TDM学会の理事長であり、第1回の国際TDM学会(IATDM-CT)の大会長でもあり、今ではどこでも使っているアルコール手指消毒薬の「ウェルパス」の発案者で、いろんな実力者を知っていました。そこで紹介されたのが現新潟薬科大学教授の上野和行先生。薬物療法や動態はこの厳しい先生の影響で猛勉強しました。

 上野先生に「一緒にやってみよう」と紹介されて役員になったのが、1990年に関西の薬剤師の集まりである「ドラッグフォーラムオーサカ」という非常に個性的な勉強会。メーカーに頼らず勉強会をやることは大変ですが、この会は年に10回も勉強会をやっているのに、特定なメーカーがスポンサーになることはなく、テキストを発行していたため、13万円の広告を4件とって12万円。あとは11000円の参加費を取って資金を作り、日本中から講師を呼んでいました。年に10回の開催ということは、その準備のための世話人会も年に10回。それが終わるたびに安い居酒屋で役員同士で「薬剤師論」を戦わせていました。

 「ドラッグフォーラムオーサカ」の会長は廣田育彦氏(後の関西医大薬剤部長)、副会長は森田邦彦氏(後の同志社女子大薬学部教授)、事務局長が森嶋祥之氏(後の近畿大学病院薬剤部長)、監事が上野和行氏(後の新潟薬科大学教授)、本当にすごいメンバーばかりでした。

 こんなメンバーの中で揉まれて育たないわけがない。とはいえ、すごいプレッシャーやいじめによって、やめていった若い薬剤師も多かったのは確かですが・・・・。年に10回もやるとテーマ探しは大変ですが、ドラッグフォーラムオーサカは参加者に全くこびない、そして特定のスポンサーがいないため、メーカーにも全くこびない。僕が入ったばかりの時、「Polymorphism」について講演会をやろうということになりました。今ではおなじみの遺伝子多型ですね。アセチル化能の個人差の問題はN-acetyl transferaseの遺伝子多型、S-メフェニトインという抗てんかん薬を服用後に一部の患者で起こる重篤な副作用がCYP2C19の遺伝子多型が原因であったことが、このころ話題になりつつありました。でも一般の薬剤師レベルではほとんど知られていなかったし、これに関する雑誌の特集も書物もなかった時代です。テーマは前述のように「Polymorphism」です。「こんなテーマじゃ誰も来ないでしょう。『遺伝子多型が及ぼす薬物代謝能への影響』のような分かりやすいテーマにしましょうよ」と僕が意見を言ったら、「Polymorphismの意味も分からないような薬剤師には来てほしくない」という廣田会長の一言で、この講演会のテーマが決まりました。案の定、40人足らず(そのうち役員が10人以上)という客入りの悪さ。これがドラッグフォーラムオーサカの実態なのです。「月間薬事」や南山堂の「薬局」で特集になったような誰もが考えつくようなテーマは絶対にやらない。逆にこのマイナーなオタクだらけの勉強会にじほう(当時は薬業事報社)の記者が毎回取材に来て、その数か月後に月間薬事の特集が組まれるってこともよくありました。ユニークなオタクの集まりが年に20回も集まって飲み会(実際には忘年会や夏のビヤホールなどを入れると毎月2回は顔を合わせてました)をやるのだから揉まれます。このころ、まともな薬剤師の第1歩を歩もうとしていた僕が影響されないわけがない。この会は2000年以降も続き120回くらいまで開催されたのですが、かつて若手だった薬剤師がみんな大学教授になって去っていき、僕も腎臓と薬物療法に特化した勉強会をやりたくなって第100回の講演会を終えたくらいで退会しました。

  そして僕が立ち上げたのが「関西腎と薬剤研究会」です。最初は大阪中の腎臓オタクの薬剤師に声をかけて20人くらいで病院の会議室でジャーナルクラブでもできたらと思っていたのですが、役員候補に声をかけた全員が2つ返事で参加してくれるとのこと。これはひょっとしたらと思い、120人くらい入る医薬品卸会社の会議室を借りて、第1回の関西腎と薬剤研究会を開催しました。これが2000年の328日のことです。テーマは分かりやすく「腎不全患者への投与設計の基礎」で僕が講演しました。立ち見で入れない人も出て、この腎臓オタクの会になんと200人以上が集まりました。第2回はその後、透析医学会の理事長を2期連続務めた秋澤忠男先生(当時の和歌山医大教授)に講演をお願いして、またも200人近くの薬剤師が集まりました。ドラッグフォーラムオーサカとは異なり「分かりやすいテーマで、できるだけ多くの薬剤師に集まってもらって薬物療法をより良くするんだ」というビジョンで関西腎薬はスタートし、ドラッグフォーラムオーサカと同様、毎回テキストを発行しました。年5回の開催、時には合宿もやりました。神戸や京都に「巡業」もしました。その腎薬は昨年、佐賀腎薬が結成、そして今年は鹿児島腎薬、宮崎腎薬が22番目、23番目の地域腎薬として結成され、現在1700名の学会員が日本腎臓病薬物療法学会を支えてくれています。今回、僕が伝えたかったことは、「病院内に閉じこもっていずに、好きなことを夢中になってできる仲間と一緒に何かやれば、大きな実を結ぶかもしれない」ということです(この文章は熊本県病院薬剤師会の「病薬にゅーす」2016.9.20 Vol.49, NO1に掲載されました)。 20160930_2.png

写真は2人のメンターと僕、左が上野和行先生、右が田中一彦先生、そして真中が平田です(7th International Association of Therapeutic Drug Monitoring and Clinical Toxicology,

ダメ薬剤師が変われるきっかけ
 

 AさんのTDMの成果は高く評価され、白鷺病院では他の抗不整脈薬、ジゴキシン、抗MRSA薬、抗てんかん剤など、TDMは幅広く実施されるようになった。TDMを実施することによって薬剤師に幅広い薬学的知識が身に付くと、TDM対象薬以外にもその知識は応用でき、より多くの薬物の有効かつ安全な投与が可能になった。そして「100床以下の小病院では学会発表なんて無理」なんて思っていた頃のことが嘘のように、薬剤科の学会発表数、文献執筆数は毎年、倍々ゲームのように増え続けた。93年ゼロだった文献数は94年1本、95年2本と増え続け、2003年には総説を加えると薬剤師5人で文献数は31本になった。学会発表や文献執筆は病院外へのアピールも大きいが、僕は病院内でのアピールが最も効果が高かったように思う。医師をはじめとした医療スタッフの信頼が得られ、その結果、薬剤師が薬剤師らしい仕事をできるように変われたことが一番のメリットだと考えている。

 94年以前、僕たちは調剤しかできないダメ薬剤師だった。薬剤師が変わるきっかけはいろんなところにある。筆者にとってはAさんとの出会い、そして一生懸命、頑張ったTDMが成果を結んだことが変わるきっかけの1つと信じている。

(この原稿はファルマシア40(4): 304-306, 2004.に掲載されたものを改変しました)

TDMとは?

 AさんのTDMに際してはTDMの結果からさまざまな処方介入を行った。薬剤師が処方介入して、病状が悪化するとドクターの信頼を失い、TDMの依頼も来なくなる恐れがある。介入をした後は毎朝、毎夕、Aさんのベッドサイドに行った。そして処方変更後の効果の確認、副作用の観察を注意深く行った。結局、AさんのTDMを介して学んだことは「TDMは決して血中濃度を有効治療濃度域に直すためにやるのではなく、患者様を治すためにやっているのだということ。患者さんを見ないで血中濃度に対する薬学的コメントを書くべきではないこと」である。そしてそのポリシーは今も白鷺病院薬剤科で続いており、必ず服薬指導をしている薬剤師が血中濃度に対するコメントを書き、ドクターに報告している。試験室の薬剤師が血中薬物濃度を測定し、患者さんを見ないで薬学的コメントを書いている施設があるとすればそれはTDM(therapeutic drug monitoring)ではなくTDA(therapeutic drug assay/analysis)であると思う。これは筆者の勝手な解釈かもしれないが、AさんのTDMから学んだこと、「Monitoringにはその薬がちゃんと効いているかどうか、副作用は現れていないかどうかをmonitorするという意味もTDMには含んでいる」ということを信じている。

Aさんのその後
 

 Aさんの病状は改善し、疑問も解決した。しかし投与方法を変更しただけで副作用も不整脈も起こらなかったのは、奇跡としか言いようがない。危惧していた通り、約半年後にAさんは再び調子が悪くなり、50mgを1日2回投与ではコントロールできなくなって徐脈・頻脈が再発した。主治医は仕方なく50mgを1日3回投与に増量した。徐脈・頻脈は完全に消失したが、やはり視覚異常・食欲不振が再発した。再び文献検索した。何とか抗コリン作用を抑えられないものか?動物実験ではあったがジソピラミドの抗コリン作用はコリン剤で相殺できると書いてある文献を見つけた。しかしナパジシル酸アクラトニウムというマイルドな抗コリン剤を医師に勧めたが、ほとんど効果がなかった。結局、劇薬指定の強力なコリン剤である塩酸ベタネコールを1回15mg、1日3回ジソピラミドと一緒に投与するよう医師に勧めた。これは効きすぎた。下痢、腹痛、寝汗という強力な抗コリン作用が現れた。塩酸ベタネコールの最大作用発現時間は服用後1時間で作用持続時間は2時間と短い。これに対しジソピラミドはtmaxも遅く、透析患者では半減期が延長しているため、僕の投与設計ミスであった。結局1回7.5mgを1日6回という頻回投与することによってAさんの不整脈は副作用を全く起こすことなくコントロールできた。そのうちAさんは少量のベタネコールをジソピラミドのピーク濃度の直前に頓用すると副作用を防げるということを学んだ。

薬剤師としての疑問解決

 6月の終わりにAさんの症状は改善し退院した。しかし薬剤師としての疑問は残ったままである。

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①非常に低い遊離型濃度なのにピーク値付近では不整脈を抑えられたこと。②総濃度は有効治療域内にあるのに強力な抗コリン作用が発現したこと。この2点の疑問を解く鍵はクロマトグラムにあった。腎機能正常者のクロマトグラムには小さなピークとしてしか現れないジソピラミドの前のピークが必ず、Aさんのクロマトグラムでは振り切れるくらいの巨大ピークとして現れるのだ。使用しているカラムはODSカラム、つまり逆相分配クロマトであるため、水溶性のものほどretention timeが早い。「腎臓は水溶性薬物を排泄する。肝臓は腎臓で排泄されやすいように薬物を極性の高い代謝物に変換する。そのため代謝物は親化合物よりも極性が高い。」と、ある薬物動態の教科書に書いてあったことを思い出した。ジソピラミドの代謝経路を調べた。ラッキーなことに1つの経路しかない。脱アルキル化されてmono-N-dealkyldisopyramide(MND)になる。インタビューフォームによるとMNDには活性があるらしい(図1)。

早速、2つの原著論文を取り寄せると同時にジソピラミドを製造しているフランスのルセルに英文でMNDの原末を取り寄せるべく手紙を書いた。取り寄せた文献によると動物の様々な不整脈モデルでジソピラミドの1/4から同等の抗不整脈作用を持つことが明らかになった。これで①の疑問は解決するかもしれない。そしてさらにMNDの抗コリン作用についてPubMedを使って文献検索した。ある文献のAbstractを見て思わず鳥肌が立った。「MNDは親化合物の24倍の抗コリン作用を有する」と書いてあった。これで②の疑問も解決するかもしれない。9月のはじめになってようやくMNDの原末がフランスから届いた。早速、HPLCに注入した。そして見事、Aさんのクラマトグラムで必ずジソピラミドの前に現れた巨大ピークと一致した(図2)。

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これで薬剤師としての疑問は何とか解決できた。つまり①非常に低い遊離型濃度なのにピーク値付近では不整脈を抑えられたのはMNDに抗不整脈作用があったため、②総濃度は有効治療域内にあるのに強力な抗コリン作用が発現したのはMNDの抗コリン作用が強力であったためと考えた。

TDMの結果から投与設計

 総濃度でのトラフ値は0.75、ピーク値は2.87µg/mL、AAG濃度は103〜127mg/dLと健常者の約2倍あったため、蛋白結合率は約85%と高く、遊離型濃度はトラフ値が0.09、ピーク値は0.40µg/mLと低かった。この結果には薬剤師として大きな疑問が2つ生じた。①このような低い遊離型ピーク濃度では不整脈を抑えられないはずなのにピーク値付近では不整脈が完全に抑えられていたこと。②総濃度は有効治療域(2〜5µg/mL)内にあるのにピーク値付近では通常では起こりえない強力な抗コリン作用が発現していたことである。
トラフ値が低すぎたために徐脈・頻脈が現れ、ピーク値が高すぎたために視覚異常・食欲不振が発現するというAさんの病態から、投与方針は容易に決まった。ピーク値/トラフ値比をできるだけ大きくするためには少量頻回投与するべきである。至急50mgのカプセルを購入し、1日2回投与してもらうよう医師に勧めた。思った通り、ピーク値は下がり、トラフ値は上がった。そして奇跡的にAさんの徐脈・頻脈は1日中治まり、視覚異常・食欲不振も全く消失した。まさに奇跡であった。いくら内科医がAさんの投与方法を変更してもコントロールできなかった不整脈と副作用を薬剤師がTDMを実施することで完全にコントロールでき、退院できたのである。しかし薬剤師としての2つの疑問は残ったままだった。

臨床経過を追う

 入院当初、Aさんはジソピラミドカプセル100mgを1日1回投与されていた。そのうち不整脈が起こったため、主治医は100mgを1日2回投与に変更すると、徐脈・頻脈は完全に抑えられたが、案の定、視覚異常・食欲不振が現れた。100mg/日と200mg/日の1日おき投与を行ったが、視覚異常・食欲不振は持続し、100mgを1日1回投与に戻しても視覚異常・食欲不振は持続したため、主治医は100mgを28時間おきに投与するという変則処方を行った。今度は恐れていた徐脈・頻脈が現れた。結局、処方は入院当初の100mgを1日1回投与に戻ったが、Aさんの症状を観察していると視覚異常・食欲不振と徐脈・頻脈は決して同時には起こっていないことがわかった。ジソピラミドのtmaxは約3時間。ヒステリシスがあったとしても服用して3〜4時間が最大効果を示すと予測されるが、その時間帯では必ず視覚異常・食欲不振が起こっていた。そして次回服用前あたり、つまり血中濃度が最低になるトラフ値付近では必ず徐脈・頻脈が現れるのである。ここで初めてTDMの実施を決意した。その前にジソピラミドの薬物動態について調べた(表)。腎排泄型であるため半減期は延長しているはず。ジソピラミドは塩基性薬物であるため、アルブミンではなくα1-酸性糖タンパク質(AAG)と結合する。AAGの絶対量はアルブミンの1/40しかないため、ジソピラミドとの結合は容易に飽和する。そのため、蛋白結合率は5〜65%と幅広い。となると総濃度のトラフ値とピーク値だけでは効果の指標にならない。遊離型ジソピラミド濃度を測定するため限外濾過膜を購入し血清AAG濃度も測定した。遊離型濃度は低濃度であるため、師と仰ぐ上野和行先生(現新潟薬科大学教授)に教えを請い、HPLC法によって血清ジソピラミド濃度を測定した。

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服薬指導をはじめたきっかけ

 1994年の4月になり100床以下の病院でもやっと薬剤管理指導業務の算定ができるようになった。病院の大小によって薬剤師の質が決まるものではない。小さな病院という理由だけで「病棟における服薬指導業務」ができないというのは理不尽な決まりであったが、そんなことを恨んでいても何も始まらない。僕たちは「100床以下」という枠が取り去られてから、すぐさま「病棟服薬指導業務」を開始した。そんな時に出会ったのが透析歴20年以上で腹膜透析施行中の40歳台の主婦Aさん。洞不全症候群といって、洞結節やその周辺の障害が元で、心拍数が40に落ちたり180まであがったりを繰り返す、いわゆる徐脈・頻脈症候群を呈していた。主治医はペースメーカーの植え込みを勧めたが、ある宗教上の理由から手術をかたくなに拒むため、内科療法として抗不整脈薬を投与せざるを得なかった。循環器内科医の診断によりVaughan Williams分類Ⅰa族のジソピラミド(リスモダン®)が有効であろうということで投与された。ジソピラミドはAさんに実によく効いたが、同時に副作用も強力に現れた。ジソピラミドの主な副作用は抗コリン作用に基づくもの。口渇や、便秘などは耐えられる副作用であるが、Aさんに発現する抗コリン作用は強力で、ジソピラミドの投与量を増やすと視調節障害が現れ、目を開けているとピントが合わないため、食欲不振になり、やがてほとんど食事が摂れなくなった。副作用がきついので、他剤に変更すると効果がない。仕方なく減量してジソピラミドを投与すると徐脈・頻脈が現れる。そして増量すると視覚異常・食欲不振が現れる。こんなことの繰り返しで抗不整脈薬療法がうまくいかないため、この1年間Aさんは入退院を繰り返してきた。筆者が服薬指導をはじめたのはAさんが再入院した94年の5月のことである。 

各分野の薬剤師のスペシャリストが出てこなければ

医療において薬物療法は大きなウエイトを占めていることは言うまでもありません。特に本邦での医薬品使用量は全医療費の??%を占めており、先進諸国のトップクラスに位置しております。しかしこの医薬品が使用されている頻度に相関して臨床薬剤師が活躍しているとそうではありません。薬剤師は薬物療法のスペシャリストでありながら、臨床薬物療法における学会発表数・文献執筆数は医師と比べて非常に低いというのは明らかだと思います。

我々は透析患者への投薬ガイドラインの作製に着手して10数年になり、年々、その内容はグレードアップしており、インターネットでの使用者も続々と増えつつあります。薬物を使用した後の効果・副作用の評価に関しては薬剤師だけでなく、医師でも研究可能な分野でしょう。しかし、薬物動態となると、基礎で臨床薬理を専門とした経験のあるドクターは別として薬剤師の方が専門性は高いと思えます。いまだに安全に使用できない薬物は多くあります。病態に伴う薬物動態の変化についてまだまだ分かっていない分野も数多くあります。たとえば、癌患者におけるより安全で効果的な化学療法は薬物動態をよく理解した臨床薬剤師の参加によってもっともっと進歩する可能性があります。産科・婦人科での投薬ガイドラインができれば、どんなに多くの人が救われるでしょうか。肝硬変の患者、糖尿病の患者など、さまざまな分野で働くスペシャリストの薬剤師が活躍し、動態に関するスタディを行い積極的に専門性のある学会で報告していけば本当の意味で臨床薬剤師という言葉が一般的に認知されると考えます。

臨床薬剤師という言葉が聞かれるようになって20年以上が過ぎていますが、一般の人で臨床薬剤師という言葉を認識している方は、そう多くはないと思えます。いつまでも薬学系の学会に閉じこもって、臨床とは関係ない発表ばかりやっていては薬剤師の存在価値は上がるはずはありません。

2015年 薬学科5年生の薬物処方学試験 記述問題より
『あなたにとって薬剤師とはどのような役割を担った職種だと考えますか?
また将来どのように変わっていくべきだと思いますか?』

平田が感動した11名の、素晴らしい名文をご紹介いたします。

A君

私にとって薬剤師とは、自分の考え方、行動次第で対等に医者と接し、患者さんと関わっていくことのできる仕事だと思う。
 国家試験に通りさえすれば、晴れて薬剤師となって働くが、上司から受動的に任務をこなしているだけでは、それは”ニセ薬剤師”だと思う。昨今の薬剤部の乱立により、薬剤師になる人数は増加していく。その中でリードできる人間になるには、患者さん一人一人に対して向き合い、患者さんの病気を薬を通して接し、治療していかないといけないと思う。そのためには、一つ一つのことを考え、発信していく力が必要だと思う。つまり医者などの医療従事者に根拠のあるプレゼンテーションが大事であると考える。根拠のあるプレゼテーションができるように、日々、コミュニケーション力を上げていかないといけないと自分では感じる。私の意見としては、将来、自分の仕事だけ遂行する薬剤師は淘汰されていくと思う。私はニセ薬剤師でなく真の薬剤師になるために、コミュニケーション力をみがき、知識もつけて、大きな人間になりたいと思った。


Bさん

 薬剤師は医師の相棒になるような職種だと思います。
医師と薬剤師が相談して処方を決めていけるような形が理想です。平田先生が授業中に昔の話で、患者さんを診て医師と話して処方提案されていたのを聞いて、これが理想の薬剤師だと思いました。
 現在の医療は非常に複雑で深くなっているように感じます。医師1人でそれらをカバーできるとは思えません。
ある程度分野は区切って協力しなくては無理だと思います。医師と一緒に患者さんのベッドに行くようになれば良いと思います。
 近年、看護師に処方権を与える話がでました。私はそれを聞いてくやしくなりました。まだまだ薬剤師の仕事の認知度は低いです。
 学部2年の頃、父の知り合いの方から「わりの良い仕事。自分でもできる」と言われ、かなり苦々しく思いました。
 バイト先の看護師のお客様にも同じようなことを言われました。
 もっと薬剤師が積極的にとも思いますが、私がお会いした薬剤師の先生方はすごく積極的に仕事で活躍されていて、それでもなかなか一般の人には伝わらないのかと考えさせられます。
 いっそ薬剤師を主役にドラマとかが放送されればいいのかとも思います。


Cさん

 薬剤師とは、医療現場での潤滑油となるべき存在だと私は考えます。
 患者さんに対しても、お医者さんより気軽に相談ができる相手とされることで、お医者さんには知りえなかった患者さんのささいな、しかし重大な変化に気付くことができます。これは看護師さんのように、患者さんとの距離が近いだけでは決してできず、笑顔で患者さんの話を聞き心のケアまでも担いながら、さらに頭の中では、患者さんから何らかの異常なサインが出ていないかと常に検索をかけ続けます。さらに、お医者さんに対して、エビデンスのある、柔軟かつ適切なアドバイスをし続けることで、お医者さんの信頼を獲得し、お医者さんとお互いを高めあえる関係でさえも築くことができます。また、病棟に行く必要があれば自ら足をはこび、患者さんの問題点としっかり向き合うことで、普段患者さんに一番近い看護師さんたちの意見を聞いたり、情報を教えてもらったりすることができる機会も増えると思います。それだけでなく、新しい事を発見するたびに論文にし、そうすることで、目の前の患者さんだけでなく、それを読んでくれた医療者を通じて、遠くにいる人まで助けられると思います。そうやって、どんどん自分を医療の中で欠かせない存在としていきたいというのが私の理想であり目標です。


Dさん

授業を受ける前までは、薬剤師のヴィジョンがあいまいなものでした。もらった処方箋について検査値から患者さんの病態を推測し、疑義照会を検討、薬を出し、患者さんに説明する。そういった流れを考えていました。先生の授業を聞き、もっとも重要で大事な部分が最初のSTEPであることが分かりました。
これから求められる薬剤師は医師に負けない病理診断を求められるだろうし、正しい知識で検査値を読み取る力が必要です。さらに数値から患者さんを想像するという一歩踏み込んだデータ解析が必要となります。
また、薬剤師情報の明確なエビデンスを提示するために、日ごろから広く文献に触れておくことも大切だと分かりました。
現段階ではあまり自信はありませんが、将来的にはロジカルに仕事をこなせる薬剤師になりたいと思います。


Eさん

私にとって、薬剤師とは医療チームにおいての司令塔であると思います。どのスポーツにおいても、司令塔は必ず必要な選手であり、どの選手からも信頼されており誰よりもチームの事を把握し、時にはするどくミスを指摘し的確な指示を全体に送る。これは医療チームにおける薬剤師のポジションと全く同じように思います。良い司令塔になるために、必要なものは、知識、信頼、コミュニケーション、判断力、積極性であると思います。この中でも自分が特に足りていないと思うのは、知識、判断力、積極性であると思います。このような要素を向上させていくためにも、日々の授業、研究室での勉強のあり方を見直し、また実習で現場に立った時の的確な判断力、ミスを見つける積極性を身に着け、今の自分を変えていきたいと思います。


Fさん

薬剤師は絶対的に薬に関する事の責任を持つ職種だと考えます。患者さんの相談にのったりすることは、自分に薬に関する知識がないと、あいまいな記憶ではできないと思います。
国試が年々難しくなっているように、社会に求められている薬剤師はどんどんレベルが高くなっていると思います。処方箋通りに薬をただ出すだけではなく、相互作用や薬物動態、患者さんの背景など多くの面から見て、その薬が適切であるのかを考えられなければならないと思います。
病棟薬剤師は投与設計の計算も必要になるので、薬知で習うことを頭に入れるのはもちろんのこと、薬剤で習ったことも自分で理解し、使いこなせるようにならないといけないと思います。他の教科についても同じだと思います。国試に受かるのがゴールではなく、医療は日進月歩なので薬剤師はこれから向上心を絶やすことなく日々学ばなければならないと思います。
知り合いの薬剤師さんがよく言うには、薬剤師の地位は低く、疑義照会で勘違いを指摘するとおこる医師もいるらしく、電話もかけなければいけないけどあまりかけたくない。と思うそうです。これからは薬剤師が薬の専門家として自信を持ち医師に対等に薬についての相談を堂々とできるよう、変わっていくべきだと思います。


Gさん

  私が薬学生になってから良く感じるようになったのは、おじいちゃん、おばあちゃん、バイト先の友人など医歯薬関連でない人々は自分が飲んでいる薬の意味などほぼほぼ考えず、言われたとおりに飲んでいるだけということです。
 薬剤師は患者さんに直接薬を渡す最終段階に位置するので、薬の意味を教えてあげたり、注意する事とか、自分たちが間違えていないかチェックしたり、といった役割を担っていると思います。お年寄りには何回も何回も言うのが大事だと思います。
 薬の一般名と商品名をどっちも覚えるのが大変なので、一般名に商品名を統一した方が良いと思います。商品名長くなりそうだけど、ミスも減ると思います。
 これから薬剤師の数はどんどん増える予定だけれど、増えたら増えたで役割分担して、専門性を高めればいいと思います。
 30までに子供を産み終えて、子育てしつつ薬剤師の仕事がしたいので、シフト性になったらブランクなしで働きつづけられるなと思います。


Hさん

私は薬剤師は、患者の立場により近い医療従事者だと思います。私が薬剤師を目指すきっかけとなったのが虫垂炎で入院した際に、私の担当だった病院薬剤師の方に優しくして頂いたことでした。麻酔の危機が悪く、術後の痛みがひどかった時など、幼かった私は忙しそうな医者にはなかなか言えず、担当薬剤師の方が比較的若く、また医者じゃないという点で、私にはとても身近に感じられました。
 様々な職業があり、そのどれもが大切だと思いますが、私達の意識の中でやはり医者という職種は別物のような気がします。薬剤師は病気や身体の知識については、もちろん医者に劣るかもしれませんが、薬に関しては医者よりも知識を持ち、患者から親近感を持ってもらえる、そんな職種だと思います。


Iさん

私は薬剤師が、患者さんや医療従事者を含めたすべての人の「相談役」だと考えます。薬剤師として、私たちは薬のことだけでなく医療のこと、衛生管理のこと、食事や栄養素のことなど、様々な分野を学んできました。「薬剤師はまちの科学者」とはよく言われますが、理系のうちほとんどすべての生物および化学分野を同時に学ぶのは私たち薬剤師くらいではないかと思います。しかし「化学者」と言ってしまうと、自分の研究にばかり目を向けているイメージが強いので、私はあえて「相談役」の薬剤師としました。相談は自分と相手がいて成立するのは言うまでもありません。薬剤師はこれから薬剤師としての知識を医療・衛生に関することばかりでなく、もっと広い分野での「相談役」になれるのではないか、と考えます。そのためには、これからの薬剤師である私たちが薬剤師として学んだすべてを吸収して、活用できるよう、より勉学にはげみ、また学校生活を通してコミュニケーション能力を向上すべきだと思います。


Jさん 

薬剤師とは患者さんと触れあう機会が少なく、医療従事者として一番患者とは離れているように見えて、一番薬を媒介として密接に関わりあっている存在だと思います。
 医者と患者さんが進む方向を審査する門番(関所?)のような存在です。進む道が誤っていないか、間違っていなくても、それが本当にベスト、もしくはよりベターなのか審査し助言することで道を正す役目を担っていると思います。
 これからどう変わるべきか?
正直、失礼ですが日本の薬剤師の存在は”薄い”と思います。人気のある医療系のドラマで医者や看護師はよく出ているのに薬剤師役をほとんど見たことありません。
 まずは薬剤師ってこんな人だよ!!医療に欠かせない重要な存在なんだよ!!って知ってもらえないといけないと思います。(あまり職業柄、主張しすぎてもいけないのでほどほどに・・・)知ってもらうのは患者ではなくても、少なくとも医者や看護師に必要と思われること、そのためには薬剤師にしかできない薬と体の観点から極める事。例えば、効果がないとき、効きすぎるとき、きちんと飲んでいるのか、飲み合わせがよくないのかとか”病”ではなく”薬”が原因と気付くのは薬剤師なのかなと思います。
  飲み方、意外とみんな適当です。親族の方を見ても、水以外で飲んだり、ひどい人は友達からもらった病院の薬を使う人も!


Kさん

病気を治す医者(医療関係者)と病気と戦っている患者の間をとりもち、患者によりそう職種だと思う。腫瘍を小さくしたかったり、検査値を下げたい医療関係者と、今苦しんでいる症状を抑えたい患者の間には関心の違いや重きをおくところの差が出てくると思う。医者や看護師には言いづらいことを(副作用や薬の選択についての不安)、薬のうけわたし時などに少しでも話してもらえるような関係を築くことができれば、アドヒアランスの改善や、より患者のQOL向上に向かった医療に貢献できると思う。
私の祖母は、今もらっている薬が何の薬なのかに興味をもっているが、忙しそうな薬剤師に聞けない、また、半錠のむようにといわれている錠剤を割るのが難しく飲むのが億くうだけど薬剤師にがまんしろと言われた、と不安なことをたくさん私に教えてくれる。1日に多数の患者に服薬指導をする薬剤師からすると、ほんのささいなことに思えるかもしれないが、患者からするとその1つ1つが重要で、今後のアドヒアランスやQOLに関わることなので、そういうささいに思える1つ1つの問題を丁寧に扱うことが大事だと思う。処方を正して薬害や医療事故を未然に防ぐ、化学者としての意識をもつことも、また、大切だと思う。
研究者であり、よりそう人であることは、多忙な業務の中では難しいことかもしれないが、そんな薬剤師になりたいと考えている。

 


プロフィール

平田純生
平田 純生
Hirata Sumio

趣味は嫁との旅行(都市よりも自然)、映画(泣けるドラマ)、マラソン 、サウナ、ギター
音楽鑑賞(ビートルズ、サイモンとガーファンクル、ジャンゴ・ラインハルト、風、かぐや姫、ナターシャセブン、沢田聖子)
プロ野球観戦(家族みんな広島カープ)。
それと腎臓と薬に夢中です(趣味だと思えば何も辛くなくなります)

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