平田の考える薬剤師像

病院薬剤師が生まれ変わる転帰~40歳が病院薬剤師としてのスタートだった僕~

平田純生(熊本大学薬学部附属育薬フロンティアセンター・臨床薬理学分野)

実は僕の学生時代の成績は最低レベル。就職したのは開院して3年目の白鷺病院という非常に小さな病院。医師は3名、病床数30くらいの腎不全専門病院、いわゆる透析病院でした。同窓会に参加するのが嫌でした。なぜなら、みんな○○大学医学部附属病院、県立○○病院、「ベッド数は300床の中小病院です」って自己紹介されると「俺はどうなるの?30床の個人病院じゃない?」って劣等感ばかり感じていました。ただしその当時はまともな透析のできる病院は珍しく、白鷺病院の透析患者数は関西で2番目に多く、透析に関してはいわゆる指導的な病院でした。

院長は研究するために病院を建てたほどの研究好きで、英語論文を読む抄読会で毎週のように論文を読まされました。その当時の僕の英語力は弱く、抄読会の前日に徹夜して訳した日本語は、「お前の訳文は日本語になっとらん」と怒られてばかりでした。

当時の病院薬剤師の仕事はつまらなかった。患者さんに薬の名前は教えない。薬効も教えない。教えていいのは飲み方だけ。PTPシートの耳(商品名の書いてある部分)をハサミで切って患者さんに薬名を知られないようにして渡していました。就職して2~3年後、カリフォルニア州ではクリニカルファーマシーなるものが実践されている、薬剤師が病棟に行って服薬指導しているらしいというニュースが入ってきましたが、「日本じゃ絶対に無理だ」と考えていました。本気で転職も考えました。薬剤師ではなく小学校教員に。僕の学年と1年先輩だけが教員免許を取れなかったので、学生時代に大学側に抗議して僕の1年後輩から復活しました。だから教員免許なし。一から教育学を勉強しましたが、小学校教員ってピアノも弾けなくっちゃいけないし、クロールで50m泳げなくっちゃいけない。結局、岡山まで行って受けた試験は不合格でした。

仕方なく薬剤師を続けていて、少しプライドがあるとすれば、医師がやらないような肉体労働の研究を仕事が終わってやってました。「透析患者の中分子量尿毒素の分析」、「透析中の血圧変動と血中カテコラミン濃度の関係」、「透析患者の微量元素と病態の関係」など、今では英語にしておけばよかったと後悔するようなよい仕事をしてました。でも研究は思ったとおりにはいかないことも多々あります。それが嫌で、辛くって、あまり研究熱心とは言えなかったと思います。

僕が30歳半ばの時、400床以上の病院では服薬指導の点数が取れる、いわゆる100点業務が始まりました。だけど当時の白鷺病院は就職した時よりは大きくなったとはいえ、90床の小さな病院。数年後、200床以上の病院でもより高い点数で服薬指導ができるようになりました。90床の白鷺病院はまだまだ。「病院が大きければ、薬剤師の能力も高いっていう評価はおかしい!」と悔しい思いをしながら、また数年後にやっと病床数の制限が撤廃された時は僕が40歳の時でした。

病棟業務を始めたのも(できるようになったのも)、薬学系の学会にはじめて参加したのも40歳、TDMを始めたのも、「薬物動態学」なる非常に難解な学問にチャレンジしたのも、40歳のときでした。この時から「夢を持って前向きに」をモットーにしていました。今までにたまっていたコンプレックスを、すべて吐き出すような勢いで仕事をしました。今までの辛い臨床研究とは違い、薬剤師の仕事をすることが臨床研究につながるなんて「こんなおいしいことはない」と思いました。薬剤師が好きで好きでたまらなくなりました。患者さんのところに行くのが楽しくてたまらない。医師とディスカッションするのがたまらないほど面白いのです。仕事に夢中になれるって、本当に幸せだなぁと思うようになりました。

決して競って学会発表していたわけではありません。薬局内の勉強会で疑問に残ったテーマ、解決できていない問題症例を何とか文献検索して、あるいは薬剤師同志で話し合って、あるいは医師やナースなどと話し合って疑問を解決したいと思うのは、プロの薬剤師として当然のことだと考えるようになっていました。解決できていない薬の問題点や症例に対する疑問点に全精力を注いで解決し、一定の結論が得られれば、それがポジティブデータであっても、ネガティブデータであっても学会発表、論文投稿という形で報告することによって完結させました。

そのうち僕は病院に寝泊まりし、夜2時まで文献を書き、朝の8時半に起きて病棟に行き、9時から5時までは薬局で仕事し、残務が終わるのが夜7時くらい。それからは自由です。毎日夜2時まで論文を読んだりデータ整理したり。40歳の時に書いた初めての薬学系の論文が1報、1年後には2報、2年後には4報、3年後には8報、それ以後はずっと総説なども含めて1年で30報くらいの論文をまとめています。服薬指導を始めて数年後で、数冊の本を書き、たった5年後の1999年には日本腎臓病薬物療法学会の前身である「関西腎と薬剤研究会」を立ち上げることができました。

学会でフロアーや座長から質問していただくことによって、あるいは文献投稿時にレフェリーに批判していただくことによって薬剤師として、そして臨床研究者として一歩一歩ステップアップしていくものだと思います。「私はちゃんと学会発表していますよ」なんて、ポスター発表程度で満足していませんか?ステップアップするための階段はまだまだありますよ。とはいえ薬剤師が成長して一人前になることは決して容易ではありません。結局、少しずつステップアップするしかないのですが・・・。

薬剤科内の症例検討会→院内の症例検討会(薬剤師も医師の症例検討会に参加して、症例報告させてもらうべきです)→地方の学会発表→全国レベルの学会発表→文献投稿→国際学会で発表→英語論文の投稿→国際的に認められた一流紙への投稿、このように、どんな環境の病院薬剤師でも成長する余地はまだまだあると思います。一段一段上がるごとに薬剤師として大きく成長しているのが自分で体感でき、数年前の自分がどんなに低いところにとどまっていたかがわかると思います。

勉強はちゃんとしていても、学会でちゃんと講演を聞いていても、実践しないあなたは高い山を見上げているだけ。見上げているだけでは全然、頂上には近づかないのです。周りの人が登り出さないのなら、あなた自身がステップを踏み出してみてください。学会で質問されることや、文献投稿時にレフェリーに批判されるのを恐れてはいけません。辛抱強くやれば、いい仕事はきっと評価されます。リサーチマインドのない薬剤師の集まりでは他の医療スタッフから評価されるはずはありませんし、社会的評価も得られません。それよりも問題なのは患者さんが薬剤師の存在によって当然、受けられるべき恩恵が受けられないことです。「私だってできるのです(Yes, I can.)」、あなたのこの考え方が”Yes, we can”の輪になって広がってゆけば病院薬剤師全体に活気がみなぎることは間違いないと思う今日この頃です。

 

英会話ってやっぱり難しい      熊本大学薬学部臨床薬理分野  平田 純生

英会話がなに不自由なくできたらすばらしいですよね。そのためには「留学」。多くの方が一度は体験したいと思っていませんか?僕も同じでした。そして昨秋、僕は50歳を過ぎてから半年間の米国留学を体験できました。

僕の留学目的は薬学教育、病院実習を体験し今後の薬学部での臨床教育に生かすこと。半年もいれば英語もきっと上達してペラペラになるかもしれないと思っていました。でもよほどうまくやらないと英語は上達しない、というのが今の僕の経験論です。

会話は英検準1級を持っているから、ま、何とかなるかな?でも一抹の不安があったため渡米する前の2ヶ月間、30万円かけて駅前留学に熱心に通いました。でも留学前の短期集中レッスン、これは高くつくだけで、英語力はほとんどアップしないっていうのが、僕の実感です。

薬学だけではなく英会話も上達したいので、日本人グループとは関わらない方針でしたが、これはストレスのもとでしたね。やっぱり日本語を話し合える友人がいないとホームシックになっちゃいます。Pharm Dコースの授業はスライドを使っての講義だから読解力がある日本人の僕には、苦もなくついていけました。病院実習も専門用語を知っていたため問題なく、ディスカッションできました。

でも1対1の私的な会話になるとかなりしんどい。友達同士の会話が、さっぱり分からない。授業内容は理解できても先生のジョークが分からないから1人だけ笑えない。生徒の質問が何を聞いているのかわからない。つらいからストレスになる。それを相談できる日本人はいないため、「早く日本に帰りたい」の毎日。留学も後半になると相手が話しているのを、理解しているように見せかけるふりだけはうまくなった。もっと若ければ、もっと長期間であれば、英会話も上達したかも?

「たら、れば」をならべたらきりがない。でも日本人との関わりを避けたことで1つだけ本当によかったことがあります。それはことばや国境を越えた信頼できる生涯最高の友を持つことができたこと。ベトナム出身の彼とは今でもメールのやり取りをしている。Dear, my best friend, why don’t you come to Kumamoto?

新世紀の薬剤師の1日
私なりに新世紀、それも30年後の理想的な病院薬剤師像を、急性期病院で活躍するAさんと慢性期病院で活躍するBさんを想定して考えてみました。

◎Aさんは年齢30歳、薬学部卒業後、大学院の社会人コースに通いながらPharm Dを取得し2年経過したところです。朝9時から夕方5時までの勤務ですが、今日は早朝の抄読会があるため、7時半に病院に行き、内科医師達の抄読会に参加します。今回の発表はAさんの担当なので、遺伝子診断による薬物投与設計について最新の英文ペーパーを抄読します。20世紀には一般病院ではできなかった遺伝子タイピングも今や患者さんの毛髪1本あれば薬局においている簡単な器械でタイピングでき、poor metaboliserでもultra rapid metabolizerであってもtransporterの欠損者であっても薬物投与する前に個人個人の体質に合わせた至適投与設計(いわゆるテイラーメイド医療)が可能になりつつあります。遺伝子タイピングによる薬物投与設計は急性期病院だけでなくすべての病院薬剤師の基本的な仕事になっていますが、まだまだ薬物療法において未解明な問題も多くあるため、Aさんはさらなる臨床研究をしているところです。TDM業務は21世紀初頭には大きく進歩し、薬剤師がTDMに基づく科学的投与設計を実施した場合、保険料が加算できるようになったのは10年前のことですが、この2?3年遺伝子タイピングの発達とともにTDM実施件数は少なくなりましたが、これからは遺伝子解析の結果をテーラーメイド医療に生かせるよう薬剤師が医師に代わり投与設計する業務にウエイトが置かれつつあります。現在、TDMは副作用の多い抗がん剤の分野が主流になっていますが、TDM業務は21世紀初頭には動態解析にポイントが置かれていたのと異なり、副作用および効果の確認が一番重要なポイントとされています。腫瘍が縮小したかどうかの判定はドクターの仕事なので、ドクターとの回診・症例検討会は毎日欠かせません。薬剤師は薬物療法の専門家ですから、薬物療法が主体となる症例検討会の時には薬剤師のAさんがイニシアチブをとっています。一方で、常に最新の信頼できる情報を医師に提供できるようAさんはインターネットを利用して最新の文献チェックを怠らないようにしています。患者さんは重症患者がほとんどで、服薬指導を行う機会は少ないのですが、病態が急変したり副作用が発現した時にはベッドサイドに行って副作用の内容を克明に調査します。昨日は薬物アレルギ?による肝障害が起こった症例があったためアレルギーの原因薬物同定検査を行ったところです。薬剤師は21世紀初頭に薬物療法におけるリスクマネージャーとしても認知されるようになりました。薬物の効果確認も大切な仕事です。薬物療法の効果を確認するのための検査のオーダーは最近になって薬剤師でもオーダーできるようになりました。十数年前にTDMの採血依頼が薬剤師でもできるようになり、その業務推進によって治療期間が短縮し投薬コストを削減できることが認められてから、薬剤師の業務内容も幅広くなってきました。近年は医師は診断に専念し、薬物療法に関しては薬剤師がリードして投与設計を行う時代に代わりつつあります。もちろん最終的な処方時にはドクターの承認が必要なためドクターとのコミュニケーションは欠かせません。Aさんは遺伝子タイピングによるゲノム薬理(pharmacogenomics)の認定薬剤師取得を目指しており、5時になると病院の研究室に行って「遺伝子タイピングと投与設計」についての論文をまとめます。薬剤師も臨床系の学会に参加することは20年以上前から当たり前の時代になっています。

◎Bさんの年齢も30歳、20年前に6年制になった薬学部を卒業して6年経った中堅薬剤師です。慢性期病院の薬剤師は当直者を除き、基本的に2交代性勤務になっており、朝7時から昼3時までと昼の1時から夜の9時までの勤務です。今日は早出の日なので、ナースステーションの隣にあるサテライトファーマシーに行って、昨晩、遅出の薬剤師が調剤した薬を患者さんのベッドサイドに配薬するのが朝一番の仕事になります。このように毎食後の薬物投与は薬剤師の仕事になってから、服薬アドヒアランス(コンプライアンスという言葉は死語になりました)は完璧になりました。毎日患者と会話しているため、この病院では副作用の第一発見者は薬剤師です。副作用がでるとドクターに報告して、どのような薬剤に変更するかを議論します。さらに10年前に薬剤師やナースにも一部の処方権が与えられたため、下剤や風邪薬などは患者から頼まれれば薬剤師の判断で処方できます。そのせいか外科系のドクターから、処方を任せられることも増えてきました。そのときはBさんに処方依頼がドクターから来ることになっています。配薬が終わるとナース・栄養士たちと一緒に患者申し送りに参加します。この病院では薬物以外のケアはナース、薬物に関するケアはすべて薬剤師の仕事です。そして医師は医師本来の仕事である診断や処置に集中して力を注ぐことができるようになったために、かつて問題となった医療事故もめっきり減っています。ナースもナース本来の業務に専念できたため、ナースの人数も減少しました。逆に21世紀初頭、この病院の薬剤師は全ナース数の1割しかいませんでしたが、今は薬剤師数が増えて全ナース数の2割を占めるようになりました。消毒薬の調整、点滴の準備だけでなく癌患者さんへのIVHメニューの投与設計も薬剤師の仕事です。10数年前から医師は診断に専念し、経口栄養に関しては栄養士が処方し、経静脈栄養に関しては薬剤師が処方するようになっています。考えてみれば薬剤師はもともとmEq、mOsm、Calといった計算は医師よりも得意なはずなのですから、当然かもしれません。もちろんサテライトファーマシーではIVH処方の無菌調剤も行われます。この病院では退院後のフォローも万全です。退院後の独居老人のところには定期的に別組織の在宅センターから医師・ナースだけでなく薬剤師も行っていますが、在宅センターの薬剤師との連携もBさんの仕事です。

私の提言?あなたにとってのプライオリティは何か??
薬剤師がこれからの生き残る道は中特半端ではなくとことん薬剤師としての職能を発揮することです。Aさんは薬物投与による患者治療cureを自分の職能として発揮するためにとことんドクターとの関係を密にして、薬物投与に関してはドクターを指導する立場として日夜努力しています。一方Bさんは患者careを自分の職能として発揮するためにナースとの関係をとことん密にしようと努力しています。週に1回、主治医、ナース、栄養士とともにカンファレンスも行います。では「とことん何をすべきか?」は勤務する病院によって、あるいは薬剤師それぞれの個性によってプライオリティ(優先順位)が異なってきます。当然そのプライオリティは医師やナースとは異なってくるはずです。薬剤師でないとできないことが最も優先されるはずです。Aさんは投与設計コンサルタントとして、Bさんは服薬コンサルタントの道を優先しましたが、どちらも副作用管理者(リスクマネージャー)としての業務は重要なウエイトを占めています。これからは薬剤師として、本当にやらなければならないのは何なのかを、自らの意志を持って判断し、そしてその実現に努力を惜しまないことが、大切だと思います。ここに私が書いたのは30年後、薬剤師として最良のシナリオかもしれません。現在の我々の努力が実ってこそAさん、Bさんが将来生まれてくるのです。現在の我々が「努力することもなく、与えられただけの仕事をこなし、5時になったら帰る」といったことを繰り返していれば、最悪のシナリオ:つまり、薬剤師という職種がなくなることはないでしょうが、病院薬剤師として必要とされるのは薬品管理だけと判断され、調剤するだけなら別に薬剤師でなくても問題ないと評価されて、病院薬剤師は激減するというシナリオも考えられます。

わからないことが多すぎる

なぜ、病院薬剤師が研究しなければならないか?それは「わからないことが多すぎるから」なのです。今私は、わからないことだらけです。今まで薬学部で学んだこと、多くの患者さんを今までに見てきたことから学んだこと、ドクターから学んだこと、多くの書物や文献から学んだことが本当のたくさんあります。でもわからないことはまだまだあります。今私が知りたいこと。私の病院は腎不全専門病院なので、腎不全患者さんについてのことが多いのですが、たとえば身近な薬のジゴキシンにだってたくさんあります。

  1. ジゴキシンの吸収は制酸剤で低下するけど、リン吸着剤の炭酸カルシウムで吸収は低下するのか?それは用量依存的か?
  2. 腎機能はCLCrで表すけど、ジゴキシンのように糸球体濾過されるだけではなくて尿細管分泌からも分泌される薬物の投与設計はCLCrによる計算式で適合できるのか?そして透析患者の尿細管分泌は無視できる量なのか?
  3. ジゴキシンの相互作用は多く、ベラパミル、キニジンなどはジゴキシンの腎排泄を阻害するといわれているけど、それだったら腎機能の廃絶した透析患者ではそのような相互作用は起こらないはず。でも実際には起こっているのはなぜなのか?
  4. 透析患者ではジギタリス様免疫反応物質が血中に存在するために測定誤差が生じやすいが、ジギタリス様免疫反応物質はどのような病態で発現するのか?

別にこれらの疑問は実験室に入って試験管を振らなければできないようなテーマばかりではありません。TDMの測定データと患者背景を詳しく調べることから解明されることも多いのです。

「研究はやりたいけれどテーマがない」なんて行っている薬剤師はいないでしょうか?私は逆です。「わからないことが多すぎる」のです。身近な薬の中にも、わからないことはたくさんありますし、おそらく、上記の疑問は自分で答えを探さなくては、誰も答えてはくれません。だから研究するのです。薬剤師は何のために必要なのか?薬剤師のアイデンティティは何なのか?を考えてみてください。単に薬剤を管理し、調剤するだけなら、今まで学んできた「薬学」は何のためにあったのでしょうか?単に薬剤を管理し、調剤するだけなら、専門学校でも十分教えることができます。4年間学び、そしてこれから先、6年間学ぶ必要があるということに現場の薬剤師からはほとんど異論がでてこないのに、現場の薬剤師が薬学を活用しきっていまい現実は何なのでしょうか?薬学をベースにして調剤すれば、この薬はこの病態の患者にこの量でよいのだろうか?という疑問は必ず生じてくるはずです。そして疑問が生じたら調べるはずです。そして調べてもわからなければ自ら解明しなければ誰が答えてくれるでしょう。薬剤師は薬のプロフェッショナルのはず。この先、6年間勉強してきた薬剤師に教えなくても薬剤師の存在価値を示すことができるような職場に変えていく必要があるとは思いませんか?

“Yes, we can” の輪を広げよう

「えー?学会で発表なんて!」なんて思っている人はいませんか?今までに薬局の先輩達が一度も発表したことがない方はそう思うかもしれません。でも、我々、白鷺病院の薬剤師であれば学会発表は必須の仕事、学会発表することが当たり前になっていますから、どの薬剤師も決して「自分にはできない」とは言いません。私自身が学生時代、相当の劣等生でしたが、そんな私にでもできているのだから、若い薬剤師達も「君にだってできないはずがない」と励ますことはありますが、みんながやっていれば誰でもできてしまうのです。結局、学会活動の活発な薬剤師の多い病院とそうでない薬剤師の多い病院の違いは「私にでもできる」「私にだってできないはずはない」と考えるような土壌ができているかどうかの違いではないでしょうか?決して我々は競って発表しているわけではありません。薬局内の勉強会で疑問に残ったテーマ、解決できていない問題症例を何とか文献検索して、あるいは薬剤師同志で話し合って、あるいは医師やナースなどと話し合って疑問を解決したいと思うのはプロの薬剤師として当然のことだと思っているのです。解決できていない薬の問題点や症例に対する疑問点を全精力を注いで解決し、一定の結論が得られれば、それがポジティブデータであっても、ネガティブデータであっても学会発表、文献執筆という形で報告することによって完結させます。学会でフロアーや座長から質問さしていただくことによって、あるいは文献投稿時にレフェリーに批判していただくことによって薬剤師として、そして研究者として一歩一歩ステップアップしていくものだと思います。「私はちゃんと学会発表していますよ」なんて、地方の研究会程度で満足していませんか?ステップアップするための階段はまだまだあるのですよ。とはいえ人間が成長して大きくなることは決してたやすくありません。結局、少しずつステップアップするしかないのです。薬剤科内の症例検討会→院内の症例検討会(薬剤師も院内の症例検討会に参加して、薬剤師も症例報告しています)→地方の学会発表→全国レベルの学会発表→文献投稿→国際学会発表→英文文献の投稿→国際的に認められた一流紙への投稿、このようにあなたの成長する余地ははまだまだあるのです。一段一段上がるごとに薬剤師として大きく成長しているのが自分で体感でき、数年前の自分がどんなに低いところにとどまっていたかがわかると思います。勉強はちゃんとしていても、学会でちゃんと話を聞いていても、あなたは高い山を見上げているだけ。見上げているだけでは全然、頂上には近づかないのです。周りの人が登り出さないのなら、あなた自信がステップを踏み出してみてください。学会で質問され、あるいは文献投稿時にレフェリーに批判されるのを恐れてはいけません。我慢強くやれば、いい仕事はきっと評価されます。リサーチマインドのない薬剤師の集まりでは他の医療スタッフから評価されるはずはありませんし、社会的評価も得られません。「私だってできるのです(Yes, I can.)」、あなたのこの考え方がyes, we can”の輪になって広がってゆけば薬局全体に活気がみなぎることは間違いありません。

Pharmacist dilemma

薬剤師は学校でかなり難しいことを習います。そして卒後も実によく勉強します。薬剤師会やメーカーが勉強会を開催すれば多くの薬剤師が集まりますが、これは医師を除く他の医療職種にはない現象だと思います。しかしこれらが十分、臨床に生かされているとは言い難いのです。学校で習った知識が一番生かされていない医療職種は薬剤師ではないでしょうか。これに関して反論する方も多いとは思うが、現在の多くの薬剤師は薬学で得た化学的知識を仕事に十分生かしているでしょうか?薬物動態学や薬理学、生化学で得た知識を臨床に十分に生かしているでしょうか?全く生かされていないとは思いませんが、どれも断片的なものであり、難しいことを学びながらもそれらを仕事に十分生かせないと思います。「この仕事はやっぱり薬剤師でなくては」といわれるような仕事をできていないこと、これを私はpharmacist dilemmaと名付けたいと思います。ジレンマとはあちらが立てばこちらが立たず、ということです。この問題になると多くの薬剤師は大学教育の問題と決めつける方が多いのです。確かにそれもあるでしょうが、医療現場での教育システムの欠如、リサーチマインドを持つ薬剤師が非常に少ないことの方が大きな問題ではないかと私は考えます。
リサーチマインドのない薬剤師が病院から評価されるわけはありませんし、社会的評価も低くなった薬剤師になろうと思う学生は減り、薬剤師のレベルはさらに低下すると考えられます。

しかし一方で、病院薬剤師が外来調剤中心から病棟での服薬指導中心の業務になってから、見違えるように大きくなった薬剤師が散見されつつあります。大学病院の先生方は、以前から多くの業績を残しているため除くとしても、一般病院でもTDMに関しては国立循環器病院の上野和行先生、薬物アレルギーに関しては新潟水原郷病院の宇野勝次先生、そして若手ではEBMに基づく薬剤師業務を推進する愛知厚生病院の三浦崇則先生、科学的な副作用モニタリングを実践している中国労災病院の前田頼信先生などなど、「薬剤師でないとできない業務」を遂行している薬剤師が現れはじめました。これらのひと味違う薬剤師は結局、自分自身のアイデンティティを持ち、「自分からイニシアチブをもって仕事のできる人」であり、安全かつ有効な薬物療法を患者に提供できる薬剤師だと思うのです。今までの薬剤師は医師の指示通り、処方箋に従って調剤をするという行為に慣れすぎたのではないのでしょうか?病院薬剤師の定員削減が話題になる中で、調剤技術だけでない「本当に病院にとって必要な、幅広い臨床的技能を身につけた薬剤師」の養成がこれからの重要課題になると思われます。そのためにはいつまでもorder takerであってはなりません。これからの薬剤師はself starter(自分からイニシアチブをもって仕事のできる人)に変貌する必要があります。

プロフィール

平田純生
平田 純生
Hirata Sumio

趣味は嫁との旅行(都市よりも自然)、映画(泣けるドラマ)、マラソン 、サウナ、ギター
音楽鑑賞(ビートルズ、サイモンとガーファンクル、ジャンゴ・ラインハルト、風、かぐや姫、ナターシャセブン、沢田聖子)
プロ野球観戦(家族みんな広島カープ)。
それと腎臓と薬に夢中です(趣味だと思えば何も辛くなくなります)

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